見出し画像

楽園の狂人Ⅸ


(7月下旬、猛暑の日曜日。エムは庭には出なかった。娘からのショートメールで、地域交流会に誘われていたからだ。コーヒーを飲みながら、PCでニュースや動画を見て時間をつぶす。シャワーを浴び、着替えを済ますと時間になる。10時に集会場だ。集会場までは徒歩で5分余り。10分前に家を出る。)
(集会場に着くと、娘も居た。サムズアップで、来たよ、と合図をする。資料とペットのお茶を受け取り、席に着く。主催者と出席者を合わせて30人弱。)
(30歳くらいだろうか、出席者に比べればはるかに若い女性が前に立つ。「こんにちわ」という挨拶の後、老人の生活についての注意点を述べる。)
(皆さん、暑い日が続きますね。クーラーをしっかり使えていますか?電気代、高いですからね。節約したいという気持ちは解ります。わたしもそうですが、クーラーはしっかり使いましょう。水はどうでしょう?摂れていますか?2リットル?良いですね。一般的には、1日1.2リットルと言われています。一時間ごとにコップ1杯です。お歳を召すと、喉の渇きを感じにくくなります。ぜひ、お気をつけ下さい。)
(また、なにかお困りごとがありましたら、私共にご連絡下さい。プリントを用意しましたので、冷蔵庫にでも貼っておいて下さい。電話番号は、特に大きな文字でプリントしました。)


(説明に、いちいち頷きながら聞くエム。パイプ椅子の薄っぺらなクッションで、尻が痛くなる。開始から一時間を過ぎ、次第に辛くなる。)
(出席者の一人が退席したことを確認し、エムも席を立ち、受付に立ち寄る。)
エム、早退します。
はい。お弁当をお持ち下さい。
ありがとうございます。


(弁当とお茶の袋を下げ、ゆっくりと自宅に向かうエム。中途退席した事を心苦しく思う。「俺、忍耐力ねえなあ。」)
(自宅。2階の自室で弁当を開ける。普段、自分で作る昼食、焼きそば、炒飯、もりそばなどに比べれば、はるかに立派だ。少しづつ盛られたおかずの数も多い。)



(早めの昼食後、芋のロックを飲み始めるエム。一人暮らしの良いところでもあり、悪いところでもある。楽な方に流される。)


(数日前のこと、MacBook Proで使っていたワイヤレスのマウスが壊れた。バッテリーが膨張しているのでトラックパッドが効かない。ウインで使っていたマウスを持ってくる。使えるようだ。思い立って、近所の電気店でワイヤレスマウスを購入。ところが、このマウスが動かない。ウインで試しても動かない。)
(いずれにせよ、マウスが使えないと厄介なもので、別の電気店まで走り、安いUSBマウスを購入。ウインで試す。まあ、動くわね。)
(引き続き、マックに接続する。動いた。当然と言えば当然なのだが。)
(ウインであれマックであれ、ポインティング・デバイスが使えないと、相当ヤバい。老人も、追い詰められると動くものだ。)


(蕎麦、スーパーで買ったちくわの天ぷらで昼食を済ます。かき揚げも考えたが大きすぎるのでちくわにした。一口大に切って蕎麦に添える。)
(後は、夕方にトマトを一個。朝、コーヒーとヨーグルト、昼はそれなりに。言わば、1日一食の生活だ。)



(猛暑の週日、徒歩で郵便局に行った帰りに、西公園に寄る。ベンチに座る少年に気づき、近寄るエム。屋根裏部屋の少年だ。)
やあ、また会えたね。
・・・エム・・・。
また、ママに追い出されたのか?
はい。一時間くらい、帰れない。
そうか。爺さんが、少し付き合おうか?
ありがとうございます。
おい、大丈夫か?顔が赤い。
大丈夫です。(水筒の水を飲む少年。)エム、僕は大丈夫だよ。
そうか・・・。
それより先生の方が心配だ、高齢者だからね。喉の渇きを感じる前に水分を摂らないといけないらしいよ。それに、炎天下を歩くのも良くない。
ハハハ、その通りだ。ご心配いただき、恐縮だね。
食事はどう?老人一人の自炊じゃ、偏らない?
う〜ん、君の言う通りかもしれないな。覚えておこう。


先生、あなたのグランドサン、カリフォルニアに行くんだってね。
ん?・・・そのようだが。なんで知ってる?
母さんに聞いたよ。凄いね。
どうだろうか・・・。若くして、徒手空拳で異国に行くんだからな。
徒手空拳?
英語が少し出来るだけだ。
・・・・・・。
ガチの世界らしいよ。出来の良い生徒には優しいが、そうでない者にとっては厳しいらしい。
土曜日戦争と一緒だね。ワーク・ハード、僕の世界も、そういう世界だ。楽じゃない。時折、腹の奥から怒りに似た感情が湧いてくる。負けないぞと、僕は思う。
それが、おまえの生きる縁か?
そうかもしれません。スタディ・ハード、ワーク・ハード、自分を奮い立たさなくちゃ。


僕、夏休みは嫌だな。
どうして?
同級生だった友が、学校に行かないからね。顔を会わせることがある。気まずいよね。
そうだなあ。察するよ。・・・そんな時、おまえは顔を伏せ、自分を恥じるのか?
はい。
愚かだな。
僕、何事も成していない。父母の期待を裏切って、不登校だから・・・。
じゃあ、今から学校に行くか?
・・・いいえ。取り戻すということは、そういうことじゃない。僕は、そんな事を望んではいない。
頑固だな、悪くはないが。・・・なあ、デビッド、心のままに生きろや。
僕、そう出来ますか?
おまえ次第だな。狂えば良いのさ、俺みたいにな。
先生・・・。


なあ、ボーイ、俺はよう、それなりの人生を送ってきた。今や、後期高齢者だ。長く生きてきたが、成功はしなかった。
成功って、何が・・・何が成功なの?
自己実現かな。
自己実現?・・・隘路だね。
そうだよなあ・・・。
先生、路傍の人になれば良いのに。

   令和5年8月2日

いいなと思ったら応援しよう!