老人の夢と孤独ⅩⅨ
1
{
母さん、今日は外で昼食を食べないか?
良いわね。どこへ連れて行ってくれるの?
市役所か歴博だよ。
(市役所の駐車場に車を止める。庁舎内に入り、地下に降りて行く。)
日替わりランチで良いかな?
はい。
ご飯と味噌汁はセルフだ。
(食堂は、それほど混んではいなかった。)
なに?・・・そんなに見ないで。
いや、なんでもない。(無表情のGが答える。唐突に老妻を愛おしく思う感情が湧いたのだった。)
お父さん、美味しかったね。
うん。
また来ようね。
そうしよう。
私、買い物をしたいんだけど。
良いよ。いつものスーパーで良いかな?
はい。
(家の近くのスーパーに向かう。)
お父さん、昨夜は夜更かしをしたようですね。
うん、寝そびれちゃってな。昔のテレビドラマを見ていたら、息子が口ずさんでいた歌が流れて、涙が出たよ。
どうして?
思春期の中で、懸命に生きようとしていたんだと思ってね。不憫に思えたんだ。・・・思い出は切なく甘い。
お父さん、感情の浪費ですよ。
うん。
}
2
{
(夕食の卓に着くエムとスワン。)
お爺ちゃん、だいぶ回復したみたいね。
まあな。
額の傷も瘡蓋が取れれば綺麗になる。
そうかな。
ねえ、お爺ちゃん・・・。
何だよ。
私達のこれからのことを考えない?
良いよ。考えがあれば、言ってみてくれ。
私ね、これから先のことを考えると不安なの。
そうか・・・一時的なものだよ。
・・・・・・。
おまえは、ここから高校に通っている。卒業したら、進学することになるだろう。おまえの進路だ、自由にすると良い。
自分を見失いそうです。
さて、それは困ったな。
私、どうすれば良い?
そうだなあ・・・。
どうすれば、内面の平穏を保つことができますか?
俺は、そんな方法を持ち合わせていないよ。ただ、なすすべもなく、心の有り様が変わるのを待っているだけだ。
お爺ちゃん、無力なんだね。
まあ、そういう意味では・・・。
お酒を飲めば、心の有り様は変わりますか?
ハハハ、一時的には確かに変わる。だけど、酔いが覚めたら元通りだ、残念ながらな。
お爺ちゃんも大変なんだね。
同情はいらんよ。どうしようもない酒飲みだ。
}
{
(放課後、文学部の部室に行くスワン。)
こんにちわ、入部希望ですか?
いいえ、エコーが居るかと思って・・・。
ああ、彼女の友達ですか。僕は部長のフクナガです。
私はスワンです。少し学校を休んでいたので、ご存じないかも・・・。
・・・君がスワンですか。エコーから聞いています。
どんなふうに?
お父さんが家を出て、お母さんは入院中、遠縁のお爺さんと一緒に住んでいる。エコーは、そう言っていました。大変でしたね。
はい。
エコーは、今日は来ないでしょう。託けあれば伝えますよ。
いいえ、特にはありません。私が来たことも言わないで下さい。
解りました。
先輩は、何をしているんですか?
考え事です。
何を考えているんでしょうか?
愚にもつかないことです。
そのことに意味がありますか?
どうかなあ・・・無意味も意味のうちだから。
・・・先輩、もしお邪魔なら言って下さい。
スワン、気遣いは無用です。一人で退屈していたところだし。
もう少し話しても良いですか?
良いですよ。
}
{
先輩、歴博に行きませんか?・・・今度の日曜日に。
デートの誘いですか?
はい。
意外だなあ。僕は、一度もデートに誘われたことがありません。誘ったこともね。
私もです。
なら、お互いに初心者だね。
はい。私、手を握ったこともキスしたこともありません。
ハハハ、僕もですよ。
}
{
あの、タカハシ先輩はどうされていますか?
東京の出版社に就職しました。大きな出版社ではありません。都内でアパート住まいをしていると聞いています。
順調に、社会に船出したんですね。
それはどうだろうか。彼は自分を拒絶するから・・・。高卒の初任給で、どれだけの生活環境を手に入れることが出来るのかな?
解りません。
僕も解りません。・・・タカハシ先輩は自意識が強いから。・・・自分を拒絶するってどういうことなんだろう。そういうこと、言った人居たよね?
アルベール・カミュ・・・だと思います。
そうか、カミュかあ。調べてみよう。
はい。
それでさ、今度の日曜なんだけど、JR駅前の待ち合わせでどうかな?時刻表を調べておく。後でメールするよ。
ありがとうございます。
}
{
(夕食のテーブルに着くエムとスワン。)
スワン、どうした?さっきからスマホばかり見てるじゃないか。
ごめんね、お爺ちゃん。彼から連絡が来ることになってるの。
彼?
日曜日にね、デートするの。
それは楽しみだな。
はい。・・・お爺ちゃん、Gって幸せだよね。
幸、不幸は個々人の判断だからなあ。傍目には幸せそうに見えても、どうかな・・・。
Gは幸せだよ。奥さんと、穏やかな日々を過ごしている。豊かじゃないかもしれないけど、幸せな老後を過ごしている。
スワン、否定はしないよ。・・・そんな、不満そうな顔をするな。日曜のデート、楽しんでおいで。
楽しいかどうかは、してみなければ解りません。
}
3
{
(日曜日、10時過ぎにJR駅前で待ち合わせ、バスで歴博に向かう。)
(バスを降り、入り口に向かい、緩い上り坂を歩く。陽の光が暖かい。スワンが躊躇いがちに先輩の手を握る。)
スワン、学生証あるかい?
はい。持っています。
そう・・・入館料が無料になる。・・・それにしても広いね。
そうですね。
人は、同じような行動規範の中で生きている。僕は、そう思うんだ。
画一的ってことですか?
うん。良い高校、良い大学、良い会社に所属する。そうすれば、幸せになれるんだって。男と女が結婚し、息子や娘は親と同じような人生を生きる。環境は変わっても、マインドは変わらない。そんな気がするよ。
}
{
(館内をゆっくり歩きながら、小声で会話する。)
スワン、お父さんと連絡取れないの?
はい。連絡先知らないし、知ろうとも思いません。
そうなんだ。
私は今まで自分のことを言ったことがありません。恥ずかしいと思っているからです。
君のせいではない。
}
{
先輩、小説を書いているんですか?
ハハハ、そんな大層な物じゃないよ。
どんな話ですか?
う〜ん、そうだね。ヒーローは居ない、大した出来事も起らない。同じような行動規範に基づいて生きる同じような人の話だね。
面白いですか?
たまには、そう思うことがあります。大半は惰性ですよ。
はい。
進む速度は問題じゃない、止まりさえしなければね。3日で1行なんて時もある。
・・・・・・。
}
{
(帰宅するスワン。)
ただいま、お爺ちゃん。
おかえり、早かったな。
一休みしたら、夕食の用意をするわ。
・・・帰されたのか?
違います・・・失礼ですよ、お爺ちゃん。
そうか。(エムの口元が緩む。)楽しかったか?
はい。
そうかそうか・・・さて、ビールでも飲もうかな。
}
令和6年5月23日