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老人の夢と孤独Ⅲ


お父さん、今日は千葉に行く日ですよね。
ああ、そうだね。・・・億劫だよ。
そんなこと言わないで。心のメンテナンスは大事よ。ジュードって、どんな人?
そうだなあ・・・紳士的な男だよ。
土曜日戦争で飛んでいたんでしょ?
うん・・・。サムと連んでいた。
なぜ除隊したの?
自分の限界を感じたからかな。サムは優秀だったから・・・敵わないと思ったんだろう。対等だと思っていた戦友との差に耐えられなかったって言ってたよ。
つまらない自尊心ね。
いや、彼にとっては違うようだ。除隊後は、荒れたようだがね。今は、自制的な生活をしている。物静かな男だよ・・・時折、寂しげな表情を見せる。


車で行くの?
いや、バスと電車で・・・。睡眠不足だ、運転には不安がある。
運転免許の更新手続きはしましたか?
・・・ああ、やっとの思いで行ってきたよ。
ずいぶん先延ばしにしてたからね。
うん、解ってはいたんだが。
千葉へは・・・お昼、食べてからにしますか?
いや、古い友人が蕎麦屋をやっている。そこで食べるよ。
夕食はどうしますか?
暗くなる前の帰るつもりだ。
夕食のリクエストはありますか?
う〜ん・・・なんか魚料理が良いかな。


(午後2時、ジュードの事務所に着く。)
G、元気でしたか?
まあまあだよ。このところ、やることは解っているんだけど、行動に移せないんだ。
ああ、僕もそういうことがよくあります。ストレスになりますよね。
しなければならない、でも、億劫だ。頭の中でグルグル回って、なに一つ進まない。
心の負担になりますね。・・・日常生活に支障はありますか?
夜、眠れない。
ハハハ、昼寝してるでしょ?
まあね・・・。
睡眠薬を使用していますか?
いや、薬はなるべく飲まない主義だ、血圧降下剤は服用しているが。
効果はありますか?
そう思っているよ。
良いですね。・・・今日は、キャロルの話をしませんか?
ん?・・・構わんが・・・。
昔のことを、話しましょう。・・・回想ですね。
意味があるのかね?
無意味も意味の内ですよ。


じゃあ、そちらの椅子にどうぞ。
ああ、いつもの椅子だ。
そうですね・・・深く腰掛けて、リラックスして下さい。
(腰掛けて、背もたれを少し後ろに倒す。ジュードは少し離れた左後方だ。)
ジュード、良い声してるなあ。
たまに、そう言われます。・・・眠れないことの他に、心配事がありますか?
多すぎて、なにから話して良いのか解らないよ。
不安だということですか?
うん、もともと鬱傾向だからな。
鬱で片付けてしまうことには賛成できません。どんなに縺れた糸でも、ほぐすことはできますよ。
そうかなあ・・・。
ところで、庭仕事はしていますか?
いや、冬だし寒い・・・していないよ。
冬だと、草は伸びませんか?
それが、そうでもなくてね。冬でも青い草があるんだ。そんなに成長はしないが、あるんだ。もう少し暖かくなったら、少し引っ掻いてみようと思ってる。・・・それほど広い庭じゃない。少しずつでも、毎日やればなんとかなるよ。
良いですね。



G、運転免許証の更新はしましたか?
うん、散々悩んでやっとね。
なにを悩んだんですか?
地元の警察署にするか、運転免許センターにしようか・・・。
で、どうしました?
地元の警察署で・・・。駐車場はどうかとか、駅前の駐車場から徒歩で行こうか、天気はどうか、いろいろ調べた。・・・運転免許センターだと高速道路を走ることになるからなあ。現役の頃は行ってたんだが。
そうですか。
即日交付だったからね。・・・幕張・・・幕を張るってどういう意味かな。
さて・・・。
蘇我・・・我、蘇るだよなあ。
キリストのように・・・復活?・・・会話が飛んでいますよ。
そうか?・・・まあ、手続きは済んだよ。あと3年間は運転できそうだ。
良かったですね。
うん。このお婆さん、俺より年上だよなという人たちが何人も居たよ。女は凄いなあ。・・・単なる感想だ。
お気持ちですか?
今まで、社会の様相には興味なかったからな。自分さえしっかりしていれば、それで良いと思っていた。・・・高慢だったかな?
僕は、判断する立場にありません。
女房には、偏狭で強欲だと言われた。小市民の強欲など、たかが知れてるけどね。・・・俺、女房が先に逝ったら、後追おうかな。
賛成できませんね。・・・してはいけない事です。
ジュード、仮定の話だよ。漠然と考えただけだ。俺、だらしなく生き延びるさ。・・・飲んだくれの爺さんだからな。



ジュード、君の話を聞かせてくれないか?
良いですよ。僕の何を知りたいですか?
君は独身主義か?・・・それともゲイか?
ハハハ・・・どちらでもありません。
そうか、不躾ですまんね。
構いません。この歳になると、誰も内面的なことは訊いてくれません。自分から話す機会もありません。時折、寂しく思うこともありましてね。
その気持ち、解るなあ。・・・それなりの歳になれば、そうなるよ。
まあ、そうなんでしょうね。・・・入隊は僕の方が先だった。サムは、後から入隊してきました。同じ歳頃だったので、よく遊びました。力量も同じくらいだと思っていた。そんな気持ちも長くは続かなかった。サムの方が優れている。僕の何が劣っているのか・・・だんだん苦しくなって除隊しました。僕はボロボロだった。
気にすること、無いのに・・・。
G、僕ね、物事ってそんなに複雑なものじゃないと思うんだ。・・・息子は父親と同じようなメンタリティを生きる。そういうことじゃないかな。母親と娘だったり、兄弟姉妹だったり、似たり寄ったりの人生を生きる。
否定はせんよ。
でも、本人にはそのことが解らない・・・。
そうかも知れないな。大人は、自分を解ってくれなんて言ってはいけないんだろう。


なあ、ジュード、子供たちは幻を見る。時間と感情を費やし、その幻に近づこうとする。俺もそうだったよ。だがなあ、幻に抱かれる者は少ない。俺は、そうじゃなかったよ。
ルーザーだと?
少なくとも、勝者じゃない。
良いじゃないですか。僕も同じです。・・・僕と同じじゃ不満ですか?
そんなことはない。俺と君を比べてるわけじゃないし・・・。だがなあ、年老いて、まだ夢を見ている。
どんな夢ですか?
黙っていた方が良い夢だよ。・・・漠然として、捉えどころがないんだ。




G、キャロルとの情事は奥様にバレましたか?
うん、俺、ハッキリと認めてはいないが・・・女房には、俺の浮気を疑う合理的な理由があったようだ。
代償を払いましたか?
ハハハ、以来、女房が俺のボスになったよ。
深刻な諍いの中にも、和解の道はあるようですね。
そうだ・・・君もそういう立場になったら、改悛の情を態度で示すと良い。
はい、覚えておきます。キャロルとの関係は、長かったんですか?
いや・・・短い。逃げ水のような女だったよ。
憶えているんですか?
憶えていることも、そうでないこともあるんだろう。記憶は、途切れ途切れになり薄れていくから・・・。


逃げ水、見たことありますか?
あるよ・・・二十歳くらいの頃、引き篭もりでな。たまに、自転車で遠出した時に何回か見たよ。子供の頃には皆既日食も経験した。空が暗くなって気温が下がる。まあ、それだけのことなんだけどね。
引き篭もりだったんですか?
うん、人生で2度、引き篭もりを経験している。・・・今は、3度目の引き篭もりだ。老人だから、いくらか気が楽だ。
それは何よりですね。怠惰は悪いことじゃないと言う哲学者も居るようですから・・・。
ジュード、物知りだなあ。
僕、浅学非才ですよ。
謙遜も、過ぎると無礼だ・・・。
はい。すみません。
(ジュードと別れ、駅に向かうG、背中が丸い。小一時間で家に着くだろうなどと考えながら、ゆっくりと歩を進める。サラリーマンの帰宅時間には、まだ間がある。)


          令和5年2月12日

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