恋の行方ⅩⅧ
1
{
(土曜日のバトルを終え、櫂の勤務が終わるのを待って、ジョシュアの軽自動車で部屋に帰る。ジョシュアの机に新しいPCがある。)
ジョシュア、これ、見ても良い?
ああ、良いよ。俺、着替えてくるわ。
(PCを操作し始める櫂。デスクトップに「回帰と終末」と題したテキストを見つけ、開く。着替えたジョシュアが来る。)
ジョシュア、この「回帰と終末」って何ですか?
ハハハ、それか。ちょっと思いついてな。
回帰と終末は異なる概念だそうですよ。輪廻と終末にしたらどうですか?
うん、だが、それも異なる宗教のようだ。
でも、宗教繋がりでしょ?
仏教とキリスト教かい?俺、その方面の素養ねえからな。
ジョシュア、哲学の勉強してたよね?
ああ、そうだね。ちょっとかじった程度だ。確かに哲学と宗教に接点が無いわけじゃ無いけど。・・・俺向きじゃなかった。
能力が無かったの?
ハハハ、そうとも言う。・・・大量の本を読んで、言葉を組み立てる。そんな地味な作業に合わなかったんだ。
物は言いようですね。
・・・ビール、飲もうかな。
私、何か作るわ。
}
{
ジョシュア、iMac買ったの?
うん、奮発したよ。新しい職場に必要な物だから。
会社から支給されるんじゃないの?
まあ、小さな団体だからね。自分で用意出来る物は、自分で用意する。職場と自宅で、同じ環境を持ちたいんだ。
そうですか。
やっと就職できた会社だからね。俺は、出来ることは何でもする。
はい。
俺が勤めたい会社なんだ。イメージはある。・・・朝、会社に行く。アパートから近いし、すぐに着く。PCの電源を入れ、書類に目を通す。朝の時間は貴重だ。午前中の作業を終え、昼食。おまえが作ってくれた弁当かもしれない。昼休みが終わり、午後の作業だ。その日のうちには、終わらないかもな。で、適当なところで切り上げて帰宅。理想の生活だよ。
勤める前から、あまり期待しない方が良いんじゃない?
櫂、人生は、所詮狭い道さ。俺の夢と希望は、その先にある。
ジョシュア、過度な期待をしてはいけません。
}
{
・・・帰るわ。
泊まっていけば?
明日、昼前にまた来る。
そうか・・・タクシー乗り場まで送るよ。
はい。
}
2
{
(溜めておいた郵便物からフリーペーパーを取り出し、目を通すジョシュア。三面左下のコラムに目を止める。昼食をテーブルに並べた櫂が、ジョシュアの肩越しに覗き込む。)
・・・「消えた教室」・・・。なんですか・・・子供の数が減って、クラスも減るとか?
ハハハ、そんな話じゃない。ずいぶんと昔の事だが、田舎の小さな小学校で、六年生の一クラス全員が姿を消したことがある。
全員が姿を消したって、どこへ行ったの?
解らないんだ。
・・・・・・。
夏休み前だった。新任のシシクラ先生のクラス全員が学校に来ていない。次の日も、その次の日も。
行方不明ですか?
うん、でも、失踪から一週間後に戻ってきたんだ。シシクラ先生と一緒に。そのうち、その事件は忘れられた。
シシクラ先生は、子供達の居所を知っていたの?
いや、誰も知らなかったんだ。
どうして先生は子供たちに会えたの?
それが、解らなかったらしい。教育委員会や警察も先生から事情を聴いたんだが、パラレルワールドの何処かに迷い込んだのだろうという結論にになったそうだよ。
パラレルワールド?
この世界と並行して、類似する世界があるということだ。子供達は、その世界に迷い込んだ。
現実的ではありませんね。SFの世界ですか?・・・タイムトラベルとか。
まあ、昔の話だし、当時の関係者が出した結論だよ。このシシクラ先生のコラムだって、そういう事件があったって言ってるだけだしな。
何で今頃になって?
若い頃の不思議な体験を思い出したんだろう。若くて生気に満ちた日々、人生の宝物だよ。定年間際の田舎教師の追憶だ。・・・何事にも代え難い。
私、このコラムには、もっと別の意味があるような気がする。
}
3
{
(後日、シシクラ先生宅を訪れるジョシュア。)
先生、ご無沙汰しています。
ああ、ジョシュア君。元気そうだね。就職は決まったの?
はい。ドリーム保全センターに・・・。
それは良かった。給料、安いんじゃないの?
かなり。でも、俺、土曜日戦争で飛んでいるんで、それなりの収入があります。
そうか、それなら良い。彼女は居るの?
はい。5月には同棲する予定です。
5月か、良い時期だね。太陽が力を増す時期だ。世の中の全てが、きらめきを増す季節だ。
・・・先生のコラム、読みました。
感想は?
特にはありません。先生は、事実だけを短い文章で書いていました。そこには理由がありません。なぜ子供達が消えたのか、なぜ先生が子供達を連れ戻せたのか。理由が書いてない。
そうだね。それは、理解されないことだ。今更言ってもしょうがない事だから。
パラレルワールドですか?
うん、教育委員会や警察に説明したんだけど、なかなか理解されなくてね。荒唐無稽だけど、そういうことになったんだ。私も同意したよ。
俺の彼女が、先生のコラムには別の意味があるって言ってます。
・・・そうかね。
}
{
先生、一杯やりませんか?酒代、俺が持ちます。
そうか、ご馳走になろうか。
居酒屋ですけど。
ハハハ、飲めれば文句は言わないよ。駅前か?
はい。
女房に送って貰おうか。ちょっと待っててな。
いや、恐縮です。
大丈夫だよ。
}
{
すみませんね。教え子にたかるなんて、教師にあるまじき行いですよね。
いいえ、俺が、ぜひご一緒願いたいとお願いしました。
あら、そうなの。ご奇特な方ね。駅前まで、お送りします。・・・あなた、教え子の酒で酔い潰れないでね。
ああ、解っているよ。
ジョシュアさん・・・。
はい。
主人は、どんな先生でしたか?
俺、子供だったんで・・・。先生は若くて、やる気があって・・・そんなふうでした。
この人、髪の毛一本あれば葬式は出せるなんて言う人だから。
母さん・・・。
ジョシュアさん、適当な時間に帰してくださいね。宅はもう歳だから。
はい。約束します。
なら、安心ね。
俺に、任せて下さい。
}
{
(駅前の居酒屋に着いたシシクラ先生とジョシュア。午後4時過ぎだ。応対の店員が、予約のお客様が居るので、6時30分には空けて欲しいと告げる。了承する二人。ビールから日本酒へ。)
ジョシュア君、私が最初に赴任したのは、田舎の小さな小学校でね。
はい。
私もまだ若くて、青臭い理想に燃えていたよ。思い返すと、恥ずかしい限りだ。
はい。
家の近くに、小さな神社があってね。立板に、こんなことが書いてあった。「文月の夜、池から光の柱が天まで登り、辺りを照らした。その夜に、男児六人、女児六人が神隠しに遭った。七日後、南野藩の若い侍が、彼等を連れ戻した。」
・・・あれ?・・・それって・・・。
絵空事だと思った。作り話だろうってね。私は、中学生だったかなあ。それから、思い出すことは無かった。・・・本当だったんだ、と思ったよ。私のクラスの子供達が消えた夜に、私は光の柱を見た。私の家は、見ての通り古くからの家でね、庭は広い。夜、涼みに庭に出ると、驚くような光景が広がった。
光の柱ですか?
そうだね。若い頃の話だ。・・・良い時期だったなあ。
先生・・・。
ハハハ、定年間際の老教師の戯言だ。・・・事の顛末をレポートにして教育委員会と警察に提出した。教育委員会の方は、それだけで良かったんだが、警察の方は刑事と一緒に報告書を作った。
}
【
南野警察署刑事課のスドウです。
はい。
こんな場所しか用意できなくて申し訳ない。(取調室だ。)上に報告書を出さなければならないんでね。まあ、もう解決した事件だし、気楽にお願いしたい。
はい。
まず、確認ですが、先生のクラス全員が姿を消したが、一週間後に先生と一緒に帰還した。
そうです。
原因は、パラレルワールドのどこかに紛れ込んだ。
否定はしません。
で、先生がそこに行って、生徒達を連れ戻した。
はい。
では、その方向で報告書を作成するので、署名押印して。
僕が、どうやってそこに行ったのか、聴かないんですか?
・・・今はね。自分は当事者じゃないんで。・・・先生、鏑木かい?
はい、そうです。
俺は城内町だ。・・・これで終わりだ。ご足労様でした。
・・・・・・。
次に機会があれば、パラレルワールドの入り口の話でもしようか。あの、小さな神社の池なんだろ?
知っているんですか?
知ってるよ。自分も光を見た。天に届くような光を。その時だったんだよな、生徒達が消えたのは。
そうだと思います。
まあ、そのことは伏せておこう。今更ほじくり返すのは得策とは思えない。だから、この辺で結論としよう。子供達は、パラレルワールドに迷い込んだ。そして、君が連れ戻した。その理由は問わない、と言うか、確認出来なかった。そういうことで良いよね。
はい。
】
}
{
(六時過ぎ、店員がラストオーダーだと告げに来る。オーダーはせずに席を立つ。シシクラ先生がトイレに行き、ジョシュアは会計を済まして待つ。)
先生、お宅まで送ります。
大丈夫だよ。タクシーなら、すぐだから。
いいえ、奥様と約束したので一緒に行きます。
そうか、悪いなあ。
気にしないで下さい。誘ったのは俺だし。
じゃあ、そうするか。
はい。時には生徒の言うことも聞くもんです。
うん。
(タクシーの中で。)
ジョシュア君、君の彼女って櫂ちゃんか?
はい。どうして?
君の話を聞いているうちに、そんな気がした。
・・・・・・。
そうか、出来の良い生徒だったなあ。とても利発な娘だったよ。兄の純君はどうしているのかな?
彼は、亡くなりました。
(黙り込むシシクラ先生。)
お客さん、ここで良いですか?
はい、すぐに戻るので待っていて下さい。(ドライバーが頷く。)
先生、行きましょう。俺、奥様にご挨拶して帰ります。
すまんなあ。
いえ、今日はありがとうございました。
}
令和6年3月14日