老人の夢と孤独Ⅷ
1
{
(日曜日、夜明け前から降り始めた雨が、午後には強まる。Gは、窓を打つ雨音を聞きながら、自室で酒を飲み始めている。老妻がドアをノックする。)
こんにちわ、お父さん。
ああ、君も飲むかい?
いいえ、様子を見に来ただけです。こんな日は、ひどく落ち込んでいるでしょうから・・・。
その通りだよ、よく解るね。
何年一緒に居ると思ってるの?
・・・・・・。
あなたは、得体の知れないものを相手にしているのかも知れないけど、私は実体のある物を相手にしているの。我が家の秩序を保たなければならないからね。
俺が生き延びてるのも、君のお陰だな。
それはどうかなあ?・・・お父さん、案外長持ちタイプなんじゃないの?
自覚は無いよ。
昔から、無自覚だったもんね。
そうだったかなあ・・・。
私には、解っていましたよ。
母さんには、頭が上がらないようだ。
ハハハ、解れば良いのよ。・・・少し、元気が出たわ。たまには夫の頭を叩いてみるものね。夕食には、まだ間がある。飲みすぎないで。
うん。
}
{
(一人になった部屋で、飲酒と喫煙を重ねるG。雨が降り続いている。携帯に着信が、西公園の神だ。)
よう、東公園、一杯やらんか?
良いですね。いつにしますか?
そうだなあ、明後日でどうだろうか。今日、明日は天気が悪そうだからな。
解りました。ウチに来ますか?
いや、俺の所にしようや。酒、用意しておくよ。
ありがとうございます。俺、ツマミを持って行きます。
奥さんの手料理か?・・・料理上手だからなあ。調理師免状を持ってるとか。
まあ、そのようです。
なあ、東公園、最近はどうだ?
はい、相変わらずですよ。良くも悪くもないと言いますか、自分を見失っています。
ハハハ、俺もそうだ。空虚な余生だな。
そうですね。・・・空虚な余生って怖いです。
庭、引っ掻いてるって聞いたよ。
心の空白を、埋めることは出来ません。
そうか、そうだろうなあ。まあ、明後日、一杯やろうや。昼前で良いかな?
はい。楽しみにしています。
俺もだよ。
(電話の後、西公園の家を訪ねる様子を、繰り返し考えるG。女房に簡単な料理を頼む。タッパ2、3個を袋に入れて、11時30分頃、家を出る。10分足らずで西公園の神の家に着く。少し高い日本酒の4合瓶も1本持って行こう、純米酒か大吟醸、などと。話題は、老後の人生だろうな。西公園の語り口は、解っている。酒席の話だから、同じような話を、何度も繰り返すことになるだろう。暇つぶしには、持ってこいだ。)
}
{
(妻の呼ぶ声に気づき、階下に降りるG。)
お父さん、何度も呼んだのよ。
ああ、すまんね。考え事をしていた。
まあ良いわ。座って。
うん。
消化の良い物を、少量用意しましたよ。
ありがと・・・。母さん、西公園に誘われた。
いつ?
明後日の昼に。
そう、料理が必要ね。用意してあげる。三人分ね。
ん?
西公園の神様は、第一公園の神様も誘うでしょうから。
ああ、そうかも。
老人のピクニックだね。お弁当を作るわ。
ありがとな、母さん。
}
2
{
(翌月曜日も雨だった。朝食のテーブルでコーヒーを飲むG。)
お父さん、今日も雨ですね。
そうだなあ。
お庭を引っ掻くことは、出来ませんね。
うん、残念だなあ。
まさか、朝から飲もうなんて、思ってないよね?
思ってないよ。昼過ぎからに・・・。
内臓が強いなんて、過信してはいけません。血圧も高いんだから。
・・・・・・。
飲酒、喫煙、悪癖です。
う〜ん。・・・速読のトレーニングでもしようかな。
速読?
ウディ・アレンは「戦争と平和」を20分で読んだそうだ。
あら、凄い。お父さんの知り合い?
いや、そういうわけではないが。・・・晴耕雨読って言うから、雨の日は読書だよな。
それは、昔の話よね。今の社会ではどうなんでしょう。別の価値観が必要なのではないですか?
そうかもしれないね。
お酒を飲んでばかりいても、見つかりませんよ。
禁酒しても、見つかる保証はないだろう。
お父さん、屁理屈を言ってはいけません。
}
{
(簡単な朝食を終え、自室に戻るG。体が重い。霞む目で本を手に取る。何ページかめくるうちに、居眠り。すぐに目覚め、いくぶん目がすっきりしている。)
【
(回想、20年以上前。街を歩くGとキャロル。キャロルがGの腕を取り横顔を見つめる。視線に気づくG。)
どうした?
私を、何処かに連れて行ってくれるのかなあって、想っていたの。
ラブホ?
いいえ、もっと別の場所よ。・・・もっと遠い所。
俺には無理かも知れんな。
そうですね、残念だわ。
】
(50歳を過ぎて、初めての不倫だった。まあ、最初で最後という、なんとも面目ない話だ。思い出は苦く切ない。)
}
3
{
(火曜日、重苦しい寝覚め。一服して、階下に降りる。)
おはよ・・・。
おはようございます、お父さん。今朝も落ち込んでいますか?
相変わらずだよ。
今日はピクニックの日だよね。さっさと朝食を済まして。コーヒーとヨーグルト、用意できてますからね。私は、掃除に洗濯、お父さんのお弁当を作らなくちゃ。
ありがと・・・。
さあ、少し急がないとね。時間はどんどん経っていく。
手伝おうか?
そうねえ・・・洗濯物を干してもらおうかしら。
うん。
}
{
(洗濯機が止まるのを待って、洗濯物をバスケットに取り出すG。)
お父さん、部屋干しにして。
ああ、解った。
ゆっくり、丁寧にしてね。早ければ良いってもんじゃないの。
・・・・・・。
(二階の自室の隣部屋に洗濯物を干す。自室に戻り一服、11時を過ぎている。階下に降りると、老妻がタッパに料理を詰めている。)
母さん、終わったよ。
ありがと・・・お弁当、もうすぐ出来るからね。お出かけの用意をすると良いわ。
いや、すぐそこまで行くだけだから・・・。
お父さん、身だしなみは大事です。清潔な衣服を着なければいけません。ヨレヨレの綿パンは、失礼ですよ。
ああ、着替えてくる。
}
{
(着替えて、階下に降りるG。)
母さん、用意できたよ。
どれどれ、まあまあね。私も用意できました。ちょうど良い時間になったわ。
本当だ。
出かける前に、一杯引っかけようと思ってたでしょ?
まあ、そうだが。
でも、飲まずに済みましたね。
これから、飲むし・・・。
そうだね。楽しんでらっしゃい。お弁当を持って行きましょう。落とさないでね。
大丈夫だ。
転ばないように気をつけて。
うん。
暗くなる前に帰るのよ。
解った。
(タッパ3個と日本酒の4合瓶を入れた袋を下げ、門をでるG。日差しはあるものの、いくぶん肌寒い。)
}
4
{
(ゆっくり歩き、西公園宅に着く。)
よう、東公園、よく来てくれた。
いや、誘ってくれて、ありがとうございます。
第一公園にも声を掛けたのだが、都合が悪いそうだ。
そうですか。
(袋からタッパを取り出し、テーブルに料理を並べる。)
ああ、奥さんの手料理か。ありがと。奥さんにお礼を伝えてな。
はい。
}
{
これさあ、最近、人気の缶ビールなんだ。
良いですね。・・・西公園、最近はどうですか?
まるで、牢獄に居るようだよ。少々、長生きが過ぎたみたいでね。出口の無いトンネルの中を進んでいるような感じかな。
なんと、絶望的な状況じゃないですか。
ハハハ、はっきり言えばそういうことだ。これ以上、悪くはならないと思っているんだがね。
はあ・・・。
空虚な余生だ。・・・ところで、お迎えって来るのかなあ?
お迎え、ですか?
うん、なんか有難いお方が来て、あの世まで連れて行ってくれるんだそうだ。
あまり聞いたことがありませんが。
単なる噂話か。ぽっくり弁天様はどうだ?
看板を見たことがあります。現役だった頃、車の窓から何回か。行ったことはありません。
なるほどね。イマイチ、根拠が希薄だということか。
}
{
(杯を重ねる。次第に酔いが回る。)
先生、人生コロコロって言ってましたよね。崇高な理念だって。
覚えているよ。人生コロ、人生コロコロ、人生コロコロコロだったねえ。
持続性とか、多様性って言ってました。
まあ、それはもういいんだ。人生コロコロなんて、言ってる場合じゃない。俺は終わったんだ。
はい。・・・生きてますけど・・・。
ただ、生きているだけだ。女房が死んだ時、後を追おうと思ったんだけど、出来なかった。情けないよな。
先生、死んだら酒を飲めませんよ。
そりゃあそうだ。・・・ところで、お前さん、不倫してたんだって?
昔のことです。
時効かい?
いや、そんなつもりは・・・。
適当に忘れて、何食わぬ顔で生きるのか?
・・・・・・。
}
{
(西公園の神と別れ、自宅に帰るG。午後3時を過ぎている。)
帰ったよ、母さん。
お帰りなさい。約束を守れて、偉いわ。夕食は、お茶漬けにしましょうかね。
うん。
西公園の神様は、お元気でしたか?
それが、そうでもなくてね。お迎えとか、ぽっくり弁天の話をしてた。
そうですか。余計なことを考えなくても、神様仏様が、ちゃんと始末して下さるのにねえ。お父さんも、ジタバタしちゃダメですよ。
うん・・・。
}
令和5年5月14日