ひまわりのような母親。
私の母は、12年前に亡くなっている。
享年60歳。またまだ若かった。
子宮がんから、肺や脳に転移してしまったからだ。
発覚した亡くなる10年前、子宮を全摘すれば、再発の可能性が低くなると聞いたのだが、母は、自分が女で無くなるのは嫌だと。
ガン部分のみ、摘出し、通院を続けた。
通院していた頃の飲み薬も副作用が強く、家事を休み休みするので精一杯。
ほどなくして、再発が見つかり、抗がん剤治療、髪は抜け落ち、脱力感、倦怠感が続いた。
やがて肺へ転移がわかり、1日2リットルもの水が出た。
そして脳へ転移し、とうとう私達家族の事さえも、わからなくなってしまった。
時折、昔話しをする。
名前が出てくる。
でもすぐに会話が止まる。
最後の入院時は、兄と姉と実家に帰った。
私は当時上の子を妊娠中で、我が子が産まれてくるのを見せたい一心だった。
父と兄が夜は泊まり込み、昼は姉と私が病院へ出向いた。
くる日もくる日も。
記憶が前後しながら、それでも精一杯生きようとする母。私達は願うしかなかった。
ステージ4まで進んでる状態、肺や脳に転移、この最悪な状況を乗り越えれるだろうかと。
「お若いので、心臓がもつとおもいます」
医師に告げられ、少し安心したその日、
兄が夜泊まり込んでいた。
朝になろうという4時前。
静かに息を引き取った。
脳に転移していたので、痛がる事はなく、モルヒネの注射は打たなかった。
安らかに、眠っているかのような表情。
私達が到着すると兄が肩を震わせて泣いていた。
強く逞しい兄のそんな姿は初めて見た。
霊安室から通夜を行う為、我が家は団地住まいだったので公民館を借り、そこで通夜をした。
段取りは抜け殻になった父にかわり、兄がすべて行い送り出し火葬場へ。
小さい小さいカケラとなってしまった。
今の医療では、救われた命だったのかもと思うとやるせない。
何故、母があんな思いをしなければいけなかったのか。
あれは必然の運命だったのか?
今でも繰り返す自問自答。
いつも明るくてユーモアがあり、笑顔がひまわりのようだったあなた。
今は空の上でのんびりしていますか?
楽しくやってますか?