心理カウンセリング@3回目
日曜日、彼の家に泊まっていた。
仕事に行く彼を見送ってゆっくり寝て起きたら
叔母が亡くなったと弟から鬼電が入っていた。
叔母は持病の手術後であったが予後が悪く再入院していた。
時間の問題と聞いていたが、こんなにも早く逝くなんて…。
そして同時に大切な友人が無事出産した日でもあり、安心した気持ちも感じた。
そんな中、大豆田とわ子最終回をうっかり観てしまいさらに涙が止まらない。笑
母親の本気の恋によってとわ子の存在を問われる回だったから余計に琴線に触れたのかもしれない。
そんな状態で臨んだ3回目のカウンセリングは
幼少期に報われなかった自分の気持ちを初めて口に出せた回だった。
今まで誰かに話したことはなく
なんとなく記憶していて、たまに一人で無意識に思い出していたくらいだった。
ゆっくり言葉にするたびに涙が自然とこぼれてきて、あぁ私はこの気持ちを親に知ってほしかったのだなと気づいた。
大人になった私からしたら、
他にいくらでも自分の気持ちを伝える方法を知っているものだが
子どもの私からしたら、
単に拒絶されて辛かったに違いない。
些細なことかもしれないが
幼い私にとってはとても大きい出来事だった。
カウンセリングは一旦そこで終わったが
気持ちが落ち着かずに電車に乗るまで30分、うろうろして帰宅した。
思っていたことを口に出して認識すると
他のことも含めて点と点が線になる気がしている。
いつもぼんやりと
"ここではない、どこか遠いところ"
に行きたかった。
私を受け入れてくれる場所を探していたのだろう。
私が地元を離れて上京したのも、
留学したのも、転職を繰り返していたのも
たぶんこの気持ちが背景にあったから。
離陸する飛行機を地元の空で見かけては、羨ましさが募った。
私は愛されている実感がなかった。
今思い返せば、両親は愛を注いでくれていたが
愛情表現として子どもが感じにくいくらいに、乏しい表現だったように思う。
褒められた経験はほとんどない。
どこか上辺だけで家族が成り立っている気がしていた。
いつかは深く話し合う必要があるのでは、とずっと学生の時は思っていたが自分からは言い出せなかった。
大人になって、恋愛や仕事の人生経験を通じて
事実と感情を分けて考えられるようになってから
親の愛情にやっと気付いた。
祖父の昔話、昔書いた手紙、海へ2週連続でお出かけしたときの家族写真が残っているのを見て、
私は一人じゃないんだと、愛されていたんだと
その時に初めて実感した。
ちょうど26歳だった気がする。
自分が鈍感なのか分からない。
だけど今は昔より随分と
相手からの愛や思い遣りに気づけて
心があたたかくなる。
これからもっと自分を大切にしていけたら、いいな
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?