「美しい」世界
初めて顔にメスを入れたのは20歳の時だった。数mmの小さなラインは人生を変えるには十分だった。
”私には大層美しい顔を持つ姉がいた”
昭和世代の俳優顔で、彫刻の様な二重を持つ父親の遺伝子を引き継いでいた。
逆に母は昭和世代の平均的なのっぺり顔で、「こけし」の様な形相だった。父の遺伝子を引き継いだ姉・母の遺伝子を引き継いだ私。
いつ頃だったろうか、おそらく自我が芽生え始めた13歳の時に気が付いたんだと思う。
「私は醜いのだ」と。
家には大きな三面鏡があった。母が嫁入り道具で持って来た物だった。その重厚な創りに触れる時に、幼い頃の私はまるで異なる空間へ飛び込む様な心地だった。
左から見ても、右から見ても、真正面から見ても、私の顔はのっぺりと醜く鏡に写し出されていた。それでも、毎日毎日私は三面鏡の中の自分に会いに行った。
早くに「美しい世界」に憧れを抱いた私とは真逆に、姉は鏡に全く興味を示さなかった。
それ故、彼女の持つ美しい顔に憧れと腹立たしさを抱いていた。
何度鏡を見ても、私の顔は滑稽だった。同じ姉妹なのになぜこんなにも異なるんだろうと彼女を恨んだ。母を恨んだ。それでも何も変わらなかった。
18歳で故郷を離れ、都会に出た私は一気に垢抜けた。変わらず田舎の実家暮らしの姉とは180度異なる世界に居る気分だった。コンプレックスだらけの過去の自分から、ようやく抜け出せた気がした。
19歳の夏休み・実家に帰省した時のことだった。三面鏡の前で、姉は私に「化粧をしてほしい」と言った。垢ぬけた私が物珍しかったのか、ただの暇つぶしだったのか。
「momo ちゃんのお化粧品すごいねぇ!こんなのよく使いこなせるねぇ」「お姉ちゃんだって、なにこの眉毛!もうちょっとで、繋がっちゃうとこじゃない」
クスクスお互い笑いながら、姉の顔に化粧を施して行った。
コンシーラーでニキビを隠し、眉を整え、アイシャドーやラインを重ねていった。
ある瞬間から胸の奥からモヤモヤした何かが生まれて来た。昔のコンプレックスだらけの「醜い記憶」が。
マスカラをひと塗りするごとに、アイシャドウを重ねるごとに、姉の顔はみるみる美しく変わっていった。息を飲んでしまう自分が居た。言葉が出なかった。
ひたすらに美しかった。彼女は一瞬で私を超越した存在になっていた。三面鏡の中に映る2人の女性。神々しい彼女にため息が漏れた。
「私は姉に勝てない」
咀嚼しきれない嫉妬が私を支配した。
ドロドロしたこの”醜い”感情を何とかしたかった。
その一か月後、誰の為でもない・自分の為に顔にメスを入れる事にした。苦しさから逃れるために痛みを受け入れた。そこまでして手に入れる美しさの価値を問うのは無意味だ。歪んでいる、分かっているんだそこまでは。
「親に感謝しなくちゃダメだよ、その顔に生んでくれたんだから。」
銀座のクラブでよく言われる言葉だ。その度に険しい表情になってしまう自分がいる。そうだ、感謝している。醜く生んでくれた事に。
初めてメスを入れて20年経つ。
子育てに追われすっかりと脂肪を蓄えた姉に何の憧れもコンプレックスも抱かなかった。皮肉だと思った。私は姉の様には生きれないし、彼女も私の様に生きたいとは思わないはずだ。
それでも、あの夏の暑い日に観た姉の美しい顔をいつまでも忘れる事は出来ない。
どんなにメスを入れても・私の心の中は醜い13歳のままだった。
「歪んでいる、分かっている」そこまでは。
三面鏡に映る世界。永遠に解放されない私の答えなのかもしれない。
やっと気が付けました。答えなど、要らないのだと。
「あなたは美しい」