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孤独という美学

銀座でホステスをしていると「男性」という生き物と関わる事が日常になり、ある程度の免疫と振り分けが習性になる。

いくつかのパターンが構成され、データ化される。美男だろうが・著名人だろうが・資産家だろうが「男性」というカテゴリから外れる事は決してなかった。

初夏に差し掛かる気持ちの良い5月に“彼”と出会った。銀座には接待で仕方がなくクライアントを伴って訪れたという。私よりも7個歳下だった。過去に10歳以上歳の離れた男性としかお付き合いして来なかった経験からか、この時限りだろうと思った。それでも、彼との会話は本当に不思議だった。初めて会ったのに、昔から知っているかの様にお互いのポイントを完全に理解していた。時間も周囲の景色も全く気にならなかった。ずっと話をしていたかった衝動に駆られていた。

「momoさん、お客様です」

黒服に呼ばれて別の席へ移った。話に夢中で名刺も渡していなかった。

「よくある事だ、この世界はどうせ一期一会なのだから。」

広い店内の中で、さきほどの夢の様な会話が嘘の様に日常の風景に戻っていた。

銀座を出てタクシーに乗った瞬間だった。たった一回、話をしたその人に恋をしてしまった事に気がついた。何が起こっているのか分からなかった。ただ、どうしようもなく切なくて苦しかった。咀嚼しようとしても、どこまでも色濃くその心が私の中に想いが広がっていった。人を好きになった事はもちろんある。だが、こんなにも深い切なさは初めてだった。不思議とそれから逃れたいとは思わなかった。この切なさのもっと続きが見たかった。

“彼”ともう一度話をする機会はその1カ月後に訪れた。久方ぶりに話をする彼の声は最初に感じたままの、大きくて真っ直ぐで力強かった。

「またあなたに会いたいんです」

まるで、10代の少女の様に私は彼に告げた。少しはにかみながらその人は静かに口頭で連絡先を呟いた。私は必死で数字を書き留めた。

『気が向いたときで良いからね。』

何度もそう言いながら笑っていた。きっと銀座ホステスの常套句だと思っていたんだろう。そういう男性だった。

1週間後に私たちは再び会う約束をした。

指定されたのは、銀座にある会員制のレストランだった。同伴で数多くのお店に訪れてはいたが、ここまで贅沢なインテリアは見たことがなかった。1階には真っ赤なフェラーリと壁一面のワイン、2階には2部屋のみの個室があった。

「〇〇さんと約束をしています。」

迎えてくれた男性にそう伝えると、2階の個室まで案内してくれた。

12畳はありそうな広い空間に贅沢な調度品が飾られていた。

「少し遅れるから何かお飲みになってお待ちください、との事です。いかがなさいますか。」

迷ったが、喉が渇いていた。

「白ワインを頂けますか。」

部屋には壁一面の大きさの日本画が飾ってあった。白ワインを一滴ずつ身体の中に染み込ませながら、静寂なまでに落ち着いた気分で、描かれた赤い車を何かの儀式の様に眺めていた。これから起こる出来事から逃れたい衝動と戦っていたのかもしれない。

後ろから階段を登る音がした。ドアが開く音と共に、彼の姿があった。

お互いきっと同じ量の緊張感を想像していたんだと思う。真正面で向き合った時、答え合わせをする様に次に訪れる表情を探っていた。

白いシャツをまとった彼の姿はとてもナチュラルで、飾らない美しさを持っていた。この時点で既に、彼は私の中で”男性”というカテゴリを超越した存在になっていた。私はまだ彼の事を何も知らない。それなのに色濃く時を刻んでしまっていた。

運ばれてくる料理の味よりも、彼の吸う煙草の香りが私の中を征服していった。赤ワインを5杯飲んでも全く酔えなかった。

お店を後にして、2人で銀座の街を歩いた。慣れ親しんだ街が全く別の街に見えた。ネオンが宝石箱の様に妖しく輝いて見えた。彼の言葉数は少なかったけれど、何かが伝わって来た。

『家まで送るよ。』

駐車場のフロアまで降りる階段の途中で、彼は初めて私の手を取った。

銀座から家までは車で10分もかからない。決してホテルに行こうとは言わない、確信があった。だからこそ、切なかった。霞ヶ関の信号前で、彼の手が私の右手を捕らえた。10本の指が溶け合うように絡まった。まだキスさえしていないのに、肉体の奥底から快楽が広がっていた。思わず折り重なった手の上に、自分の右頬を委ねてみた。そこに産まれた繋がりを一滴も逃したくなくて、必死だったんだと思う。

神様に願った。どうか魔法を下さい、と。
彼と”ひとつ”になりたい、ただそれだけを。

飯倉の交差点を越えた時に、真っ赤な東京タワーと満月に近い月の光景が目の前に現れた。ひたすらに美しかった。

車を止めて指を絡めたまま、熱くなったものをなだめる様に2人で時間を過ごした。私は何度も何度も彼の名前を読んだ。こんな自分は初めてだった。どんな歳上の男性にも、ここまで甘えた事は無かった。

真っ直ぐに目の前にある瞳を見つめた。遠慮がちに少しづつ少しづつ、お互いの唇を求めた。一つずつのプロセスを味わうように、優しく大切に重なった。吐息と共に、どんどん胸が苦しく切なさが大きくなっていった。ただ触れているだけなのに、身体が壊れてしまいそうだった。

私は何度も何度も彼の名前を呼んだ。

そうでもしないと、本当にどうにかなってしまいそうだった。こんなに静かに、激しく誰かを求めた事は無かった。

彼の車を降りて1人夜道を歩いた。冷たい夜の風が私の身体を通り抜けていった。どこまでも、いつまでも、歩いていたかった。彼と出会う前の自分では無かった。もっと孤独だった。

切なさや苦しみから、逃げたくなかった。その全てが彼の与えてくれたギフトだから。

『大丈夫だよ。だから泣かないで。』

最後に彼はそう言った。まるで子供をあやす様に。

人間はどこまでも孤独な生き物だ。それは誰かを愛した時に一番思い知らされる感情なのかもしれない。切なさを好物に生きる人間にとっては尚更だ。

神様は私に魔法を下さった。

もう会う事は無いだろうと思った。そういう世界だ。

ふと街を歩いていた時、あの日の彼の煙草の匂いがした。無条件に涙が出た。止まらなかった。抑えつけていた感情の現れだった。溶けない魔法の代償だ。

分かっている、自分で望んだ事だから。
答え合わせの必要はない。

あの涙を思い出しては、また再び甘い夢を見る。”孤独”という幸福感と共に。


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