さっぽろレインボープライド#雨上がりの札幌は美しい
先日9/16,17に札幌で「さっぽろレインボープライド」というイベントがありました。
全国各地でレインボープライドが開催されていますが、これはニューヨークの「ストーンウォール・イン」というゲイバーを定期的に取り締まる警察に対して、ゲイたちが抵抗・反発し、怪我人や逮捕者を出した「ストーンウォール事件」が起源とされています。
そして今回のさっぽろレインボープライドのテーマは
「雨上がりの札幌は美しい」
公式HPにはこんなことが書かれていました。
ここでは雨が当事者の涙、そしてそれが止む時、虹がかかると書かれています。
素敵といえば素敵ですが、悲しいテーマですよね。
私はレインボープライドに関わって2年目。
文章を書くクリエイターの一人として、テーマと深く向き合うことが、自分がやるべきことだと思ったので、私なりの解釈も付け加えて話していこうと思います。
誰もが涙を流す世界
最初から脱線してしまうのですが、これはLGBTQだけでの問題ではありません。
その大量の涙は、いわば、この世界に生きる私たち全員。
だから、札幌に降る雨は、札幌に住んでいる人の涙。
LGBTQの人はもちろん、何かしらの障がいを持った人や、個人的に悩みを持っている人、いじめられている人や、誰かとの差異や差別を受け、何かに苦しむ毎日を送る人。
色々な人が日々涙を流し、それらが私たちの頭上に、雨となって降り続けます。
その一方、その雨を受け止めなければいけないのも、私たち。
私たちは、常に涙を流しながら、その涙を受け取る側でもあります。
現実の雨というのは、やがて晴れ、幸運なときには虹をみることができます。
それは、雨を降らせる雲が流れ、雨を全て降らし切ってしまうという、ごく自然な現象によって。
しかし、涙の雨は違います。
誰かから涙が溢れる限り、それが止むことはありません。
だって悩みの種は人の意図によるものだから。それはずっと曇りの状態を指します。
だから、自然的になくなることなんてありません。
だから私たちが本当に考えなければいけないのは、
ただ涙を流していると、訴えるだけではいけません。
常に誰かの涙に共鳴し、受け止めることをしなければ、
どこかの雨は止はやんだとしても、
この世界には終わりなく雨が降り続けます。
レインボープライドに参加してみて
私は実際にレインボープライドに参加して、思ったことがあります。
レインボープライドに参加する人はLGBTQだけではなく、さまざまなことに関して受け入れる人々が多いということです。
例えばファッション。
みんなここぞとばかりに自分の個性を出して、言ってしまえば、かなりカオスな状態。
正直、普段街中で見かけたら、白い目で見られそうだなって人がたくさん。
それは他の人とは違う「差異」があるからです。
本当にただ、それだけなんです。
けれど、それがあの場所・時間ではそれが許されていました。
むしろ、認め合い褒め合っているんです。
それは好きが同じという共感というよりも、相手の“好き”を認めることができる強さのように感じました。
自分の「好き」「嫌い」を素直に言うのはもちろん大切ですが、相手のことを考えて表現するっていうのはもっと大切にしたい部分です。
この世界にはLGBTQのあり方を否定する人もいて、それは個人の考え方なので、仕方ないことなんだと思います。
ただ、自分が多数派だと大きな方向があったときに、それが当たり前かのように考え「理解できない」や「気持ち悪い」などの無神経な言葉で少数派を傷つけます。
だから、そうした雨を受け止められない人が、雨を降らせてしまうのです。
自分の周りだけ晴れれば、それでいい。
そんな自分本位な考えだから、いつまでも周りに降り頻る雨さえ、気づくことができないのです。
そんなことを気付けたら、この世界の雨はもっと減るはず。
だからレインボープライドは性のあり方を認めていく取り組みでもあり、そうした雨を受け止められない人を気づかせ、減らしていくことが大きな意味になるのではないかと思います。
みんな何かのマイノリティ
私も性ではないにしろ、当然のようにマイノリティな部分を持っています。
本当は誰だって、そう言う部分を持っているんだと思います。
でも、そのマイノリティが、多くの人が気に留めないようなことや、法制度などの制限を受けないものだったりするので、明るみに出ることはないし、大きい否定もありません。
そこをあえて否定される世界だったら、結構キツイですよね。
例えば、私はあんまファッションもメイクも得意じゃないので、基本ダサいです。
けれど、周りには私のことをダサいと思っても、悪く言う人はいないし、メイクをしていないことで「メイクしろ」と言われることもありません。みんなにとっては、どうでもいいことですからね。笑
もし、やりたいことや生きていくことで精一杯の中に、服やメイクに悩みを持っていたら、生きていくのが面倒になると思います。だから、ダサいのもメイクしないのも自覚しつつ、それも私。
ただ定職に就かず、フリーランスをしていること関しては「定職に就け」と言われることもありますが、やっぱりそれも私の決めた道で私の生き方。だからと言って、他の人にもフリーランスになるのを押し付けたり、定職に就いている人を否定したりしません。
自分を受け入れ、同じように他人を受け入れたら、私たちはもっと晴れの空を見ることができるのではないでしょうか。
本当はとても単純なんです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。