小さな羽
「ボーイ、ミーツ、ガール」という言葉がある。高校生になれば誰でも知っている。ただ、それはあくまで小説のジャンルの話だ。現実にどのぐらいのボーイがガールとミーツできるか保証はない。そもそも、学校には普通に女子もいるし、毎日そういう意味ではガールと出会っているはずだ、、、わかっている。
ボーイミーツガールという言葉が示しているのがそんなありふれた出会いではないということも。もっと、運命的な、なんというか僕の人生が変わってしまうような出会いのことだ。
ただ、学校に僕を運んでくれる電車が日常になってきて、家の外には出ているけど新しいものや、全く知らない何かが僕の上に降りかかることはない。毎日混んでいる電車に乗って、本を読む。それこそ青春小説を読んだりする。その中に描かれているものはフィクションとわかっている。信じたことはない。いや、読んでいる間は信じているのかもしれないけど。
僕の考える、ありきたりな言葉や妄想が、何か新しい想像をつくることはできるだろうか。僕の考えた、この仕方のなくあふれでる考えが、何か意味あるものか、何か素晴らしいものか、考えに値するものかどうか、誰かに尋ねる必要があるだろうか。多分ない。
これは、ボーイミーツガールの話ではない。でも、そこに近いところにある。僕が誰かに会う訳ではない。突然、空から女の子が降ってくることはない。確信はもてないけれど、あり得ない。でも僕は出会いたい。
ここに、アイマスクがある。白いアイマスクだ。布でできていて、耳にかけるゴムバンドがついている。百円ショップで買った。なんとなく、バーチャルリアリティーのグラスににているから買った。実際に被ってみたら、不思議なことに視界が一面、白に覆われた。そうしているうちに眠くなって、僕はベッドに寝た。
夢の中で僕は、先生に怒られないように課題を一生懸命に取り組んでいた。その課題は、今日、すでに出し終えた課題であるはずだった。僕は焦って、夢の中で必死に課題に取り組む僕を眺めていた。
僕は、何とか答えを書き写して、課題を終わらせるが、先生に出すときはもう時間を過ぎていた。遅れているかもしれない、という不安になる僕を見ていた。夢の中であれこれやっている僕が、不安になっているのか、夢を見ている僕が不安になっているのか、どちらかわからなかった。
こうして文字にしていると、なんとなく夢を見ている僕が不安になっているだけで、夢の中で演じている僕はそこまでなにも思っていないのではないか。
夢の中で、とんでもない美少女と出会ったこともある。そのときも、僕はなにも話さなかった。夢だというのに、現実世界の僕を引きずっている。
それどころか、現実の僕よりも控えめで、言葉も丁寧だ。鈍感で、いま起こっている夢がどんな意味を持つのかも気づかない。こうして僕がボーイミーツガールのことを考えているというのに、全く、夢の中の僕は無関心だ。
アイマスクを見て、僕は昨日のように夢を見られないかどうか考えていた。眠いことは確かだ。何時間昼寝をするのか。タイマーはするべきか。一人称でしか語ることができないもどかしさに、僕はイラついていたんだ。
待つこともできずに、最適な時間、最適なタイミングで物事が起こる世界から、飛び降りてみたいんだ。そこでは何かひとつでもやり過ごすと誰かが僕のために考えたプログラムから外れることになる。「宿題をやりなさい」というリマインドを無視するたびに僕は最適な何かから外れていく。
無視するたびに新しいプログラムが組まれて、別の命令を送り込んでくる。僕は、最適から遠ざかっていく気配を感じる。どこが上でどこが下なのか。わからなくなってくる。しかし、命令を無視し続けることで何かの底にたどり着くのなら、命令を守り続けること変わらないような。
十一時三十五分の電車に乗りなさい。その日も、僕は言われた。そんな命令が送り込まれてくるのは初めてだった。命令は、宿題をやりなさいとか、今月のお金の使い方の計画を提出しなさいとか、そんなものが多かった。
何て言うかよくわからないけど、わかるだろう。僕はそれをほとんど守らなかったから、たまに変な命令がくる。糖分を含んだ食べ物を食べてください。眠くなったら、眠ってください。それは、守ることもある。まさにズッキーニが入ったハンバーガーを食べようとしているときに、ズッキーニが入ったハンバーガーを食べてくださいと命令が来たときがある。それは、逆に破ることの方が難しい。
ただ、十一時三十五分の電車に乗りなさい、という命令は明らかにおかしかった。なぜなら、十一時三十五分の電車はすでに通りすぎてしまったからだ。
それは、もう、取り返しがつかないことについての命令だった。僕は初め、明日の十一時三十五分のことだと思っていた。明日やるべきことを、一日前の今日からリマインドしている命令だと思ったのだ。十一時三十五分の電車が過ぎ去ってすぐ、命令は僕の頭の中に鳴り響いた。そのタイミングが、過ぎてしまった電車を指しているようだった。まさに、ドアがしまる瞬間のことだった。
そのとき僕はまさに、アイマスクのこととか、美少女のこととか、明日の天気のこととかを考えていた。命令の声は、そんな頭の中を切なげに横切って行った。その声を聞いたとたん、電車のドアが閉まり、発車のベルがなった。電車に駆け込んでいった人が間一髪で乗り込み、ドアの向こうで息をついていた。ホームから人が少なくなり、反対の側に人が並んでいた。頭の外の世界が、一斉に目に入ってきた。僕は自分が立っているはずの場所を忘れてしまった。
ここは駅だ。たくさんの電車が行き交う。たくさんの人が電車にのる。たくさんの思いがその人の中に思い巡らされている。僕はなんとなく家から出て、学校に通っていた。家の外に居たかった。命令を無視して、いろいろなところを探してみたけど、決まった場所に行って決まった場所に帰ってくるのが一番落ち着いた。
空気中の塵と一緒に音が遠いどこかに飛んで行った。向こうのホームに相変わらず立っている人がいる。それは、少し前の僕みたいにぼんやりしながら、電車を待っている。あちらはまだ、十一時三十五分なのかもしれない。きっとそうに違いないと思って、僕は向こうのホームにに向かって歩きだした。初めて電車が通る線路に降りた。からだがふわりと浮いて硬いレールの木を踏んだ。そのときに僕は、ずっと知らなかった電車に轢かれて死んでいった子どもたちが最期に見ていた景色を見た。それは、さまざまな色の石が宝石のように光っていた。冷たい鉄のレールは、ほっぺたをつけたら気持ちが良さそうだ。
僕は、それらを通りすぎて、向こうのホームに手を掛けた。思い切りジャンプして右足を掛けるとお腹を乗せて左足もホームに乗った。辺りが静かなのに、鳥が悲しく鳴くような音が聞こえた。僕の頭の中だけで耳鳴りのように聞こえているようだった。
対岸の十一時三十五分に辿り着いた僕は、またぼんやりと頭の中を探ってみた。新しい命令が楽しみに思えた。それが来る前にアイマスクのことを思い出した。いつもアイマスクを持ち歩いていれば、電車の中で夢をみられるだろう。学校に通っている間に夢を見るのだ。行きも帰りも見られると思ったら、それだけでわくわくした。
そのあと僕は大人たちに呼び止められてしまって、狭い部屋で何時間も話をした。彼らは話をするというのにいつも、話をしたくないみたいだった。僕に話してほしいことを彼らは、話ながら注文してきて、まるで演劇のように決まったことを話す。だから、僕はいつも「はい」としか言わないことにしている。そうしていると、大人はもっと話がしたいのか僕に「はい」以外の言葉を話すように求めてくる。
僕はそれには応えないで、黙っている。そうすると大人は怒ってしまうので、落ち着くのを待つ。怒ってもどうにもならないことを理解してやっと大人は静かになる。
大人にならないでよかったと思う。大人になることの素晴らしさしか、世界は教えてくれない。お酒を飲むことの楽しさ、結婚して子どもを持つことの幸せ、お金を稼いで車を運転し、趣味を楽しむ生活。まるで、大人にならなければいけないかのように、みんな思っている。
道に、踏みつけられた煙草が落ちていた。二度と来ない十一時三十五分に起こったことを表す言葉を、頭の中で組み立てようとした。ホームから落ちる時のふわりとした感覚がまだお腹に残っていた。どこかから落ちればまた少しだけ味わえるだろう。落ちれば落ちるほど、子どものままでいられるような気がした。
子どもは大人になれるけど、大人はどんなに願っても子どもには戻れない。そのうち、大人は子どもであったことを忘れてしまう。夢の中で会った美少女は、命令を守ったり、破ったりして大人にならないぎりぎりの子どもであり続けているのだ。僕は何も言わなかった。
そんな子どもが、どこかにまだきっといるよ。
美少女が言っていたその言葉だけはフィクションではない。
教室から、知っている人がいなくなって、知らない人が入ってきた。
数えることをやめてしまった、春の始まり。大人だって、命令をすべて守っている訳じゃない。仕事のため、恋人のため、家族や子どものために、仕方なく守れないこともあるのだという。
いつの間にか、小さな紙で切った痕が親指の横にあった。さっきからずっとひりひりと痒かったのはこの傷のせいだったんだ。透明な皮膚の層の下に、ピンク色に腫れた親指の細胞の集まりが見える。ペンで数学の宿題を解こうと思ったけど、指を動かすと少し痛いから、止めた。
窓の外を見ると、もう僕がなにもしなくてもよいような、明るい空だった。お母さんが眠りについたときも、こんな空だった。十二月の晴れた日を、最期にしよう。お母さんは、冬が好きだった。
僕が生まれる前、お父さんと何度も、冬の晴れた日に散歩をしたのだ。僕もたくさん連れていってもらったことがある。レジャーシートを芝生の上に敷いて、横になって日なたぼっこをした。空は雲が無く、遠かった。僕は吸い込まれそうになって怖かった。お母さんとお父さんの手を握った。
お母さんは、そのときの気持ちで、空に吸い込まれて行ったのだ。お母さんがいなくなった身体だけが白い箱の中に残っていた。お母さんが目を閉じるとき、僕を見て少し微笑んでくれた。二人で話し合って決めて、わかっていたことだった。けれど、哀しかった。
大切な人のために命令を破り続ける大人は、破った命令のことを覚えているのだろうか。それとも、守った命令の方を覚えているのだろうか。
ゆらゆらと考えながら、学校へ続く街の中を歩いていた。車椅子に乗った人が、なだらかな傾斜を降りていった。両腕を前から後ろに振って、車輪を回す。右も左も同じリズムで回る。カーブするときは、体のバランスを変えて曲線を描く。髪の毛が揺れて、頬と耳が見えた。
小説は、どこから生まれる。散歩をしたり、眠ったり、考えたり、恋をしたりするところから生まれる。ペンが小説を書く。タイプライターや、スマートフォンが文字の情報を編んでいく。お母さんは、書くこととは生き方のことだと言った。
書くことは無力で、たった一日書いただけでは何も書くことはできない。それでも、何日も続けて言葉を繋いでいると、いつの間にか何かが書けている。何かを書くためには、生きていなければいけないはずだ。生きて、明日も書かなければ、何も書けない。
そうしたら、書くことは初めから、未来と今が繋がっている。明日の希望が見えなければ、人は書くことはできない。
「あのさ言葉は」
先輩は、窓際にいて僕を見た。植物みたいだった。赤い車椅子のフレームは、プランターで昼の太陽の光を浴びて、光合成している。呼吸しているだけの人間には、到底かなわない柔らかな空気が先輩の周りに漂っている。運良く、先輩のまわりには人が少なかった。僕はいつも、二人きりで先輩と話す。僕の近くにも人は少なかったから。
話されたことは覚えていない。どうしてそんなに細い腕で、車椅子を颯爽と走らせることができるのか、謎は解けなかった。
ただ、原稿用紙にまっすぐと電車のレールのように繋げられた文字は、先輩の手の中にある力を隠さずに表していた。
金色の万年筆から生み出される、黒いインクの文字を見ると、僕は今まで書いてきたどんな文字も小説にはそぐわないと思ってしまう。授業中にノートに書いた鉛筆のかすれた字では、何を書いても物語にはならない。
僕は携帯用端末に入れた文字入力アプリで、書いていた。小さな文字がいつの間にか連なっていく。きっとアプリを消したら、小説も嘘のように消えてしまう。
「つかれた」
と先輩が言った。
僕は立ち上がって、「散歩する」と聞いた。
先輩はうなずいた。
狭い文芸部の大半を占める机を回って、先輩の背後に立つ。それから、車椅子の背後にある小さな雛の羽のようなハンドルを掴む。そっと体重を掛けて押すと、先輩の持つ質量と同じだけの力になったところで前に進む。ドアノブは、先輩が掴んで引く。僕も後ろに下がる。
ドアが開いて、その隙間をすり抜ける一歩だけ先輩も車輪に手をかける。そのドアをすり抜けるためだけの一歩の幅を僕の足は覚えている。
誰もいない廊下を進むあいだ先輩は目を閉じて小説の続きを想像している。すこし上を向いた前髪のあいだから、にきびのあるおでこが見える。人が来たら、僕はハンドルを押して緩やかに手を離し、先輩はもう一度前を向く。
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