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幻覚

面白いの語源は、笑った面に光が当たり、白く輝く様子から、という話をいつかに聞いた覚えがあります。

突然ですが、わたしは自他共に認める犬馬鹿です。なによりも犬を優先して行動したがるし、何処にいても頭の片隅に愛犬の姿を思い浮かべて今頃どうしているのかと、穏やかに眠ったり、起き上がって冷めてしまった白湯を飲んだり、なんて想像する。物心つくより前から、実家どころか親戚の家々には様々な顔の犬がいたものだから、彼らがいる生活がわたしにとっての当たり前でした。

身内で1番若かった、我が家のお犬様は、家族以外が自分のテリトリーに踏み入ることをひどく嫌がり、彼の気が向かないタイミングでわたしたちが至近距離で構うとふい、と顔を背けて少し距離を取りたがり、よく眠り、よく食べ、ちょっとお馬鹿なところまで愛おしいクリーム色の、男の子です。

彼を迎えた日、わたしはまだ小学5年生で、大嫌いなバスケットのクラブチームに所属していました。3月の半ば頃のことです。練習終わり、その日は1つ上の学年の卒団式が催されるために普段よりも2時間ほど早く母が体育館にわたしと弟を迎えにきました。大きなハイエースの後部座席のドアを引くと、まだ生後5ヶ月の彼がぶるぶると体を震わせ、1人座席の上で立ってこちらをじっとうかがっていました。その姿を今でもよく、覚えている。

彼は我が家の歴代わんこの中で、1番手のかかる子でした。トイレはなかなか覚えないし、家族全員に1度は噛み付いたし、誰も家にいない間にケージをよじ登って脱走してありとあらゆるところを齧り、うんちで汚して、何事もなかったかのように階段の上から帰宅後リビングに上がろうとするわたしたちを出迎える。何度、母が大声で彼を叱ったか分からないほどです。

彼が来て4年目、家の建て替えがあって借家と今住んでいる、当時で言う新居と、2度の引越しをしました。今となっては、この引越しも彼がトイレを覚えられず、粗相をしていた原因だったかもしれないし、これまでに迎えた先代たちよりも長くペットショップで過ごしたことが家族以外が苦手だった理由だったのかもしれない、と考えます。それを本人に聞くことはできないから確証はないけれど。

新居に住み始め、彼とリビングで過ごす時間が長くなりました。我が家の2階の間取りはほとんどワンルームに近いような形をしていて、彼は自由にそこを行き来しました。とは言っても、初めに言った通りよく眠る子ですから、夏は床が冷たい方へ冷たい方へと移動し、冬は眠る家族の体温が高いところかわたしの使うブランケットに埋もれることがほとんど。それでも、やっぱり最期の1年間に比べるとよく動くし眠る時間も短かった。

さて、わたしは大学3年まで下宿をしていたのですが、その途中で心をひどく病み、救急車で運ばれ、食事も睡眠もまともに摂られなくなって、痩せていくのを見兼ねた母に実家に戻るように勧められました。けれど、自分の部屋は母が使っていたのでわたしの寝床はリビングの床。どうせ遅くまで眠れずにいたのでわたしは常に彼と夜を過ごしました。一緒にテレビを見て、時々横になって、彼がトイレと言うのでそれに付き合って、またテレビを見る。外が少しずつ白んでくるのをベランダで煙草を吸いながら眺めていると、不意に起きた彼が、気の済むまでガラス越しにこちらを覗いているから、手を振って視線に応える時間がわたしは好きだった。このやりとりは、彼が息を引き取る日の、3日ほど前まで続きました。

彼との日々は凪のように穏やかで、それでいて慌ただしい。

引きこもりに等しかったわたしは1日中彼と過ごす日が多かった。数年前、1度立つことを拒むほど腰を痛がりヘルニアだと診断されたけれど、最期まで彼はトイレに行こうと立ち上がるから、腰を支えて起き上がらせ、オムツを変える必要があった。何もしないでぼうっとするなんて時間は、彼といると驚くほど少ない。そうそう、ヘルニアといえば。年老いて筋肉の衰えも加わり、日々少しずつ、少しずつ、自由が利かなくなる体にストレスを感じていないか、とかかりつけの獣医に聞いた時、動きにくいことなどほとんど気づいていないからストレスも感じていないと言われ、母と笑ってしまったこともあった。こちらが想像する以上に彼は呑気で、強い子だった。

あまりにも長い時間を2人で過ごしたような、そんな気がする。話しかけると彼が程良い間で、ぶぅっと鼻を鳴らすのが返事のようで面白く、2人っきりの時はよくお喋りをした。なんて事のない、外での話だったり、誰にも吐露できない本当の自分だったりを、くりくりと真っ黒な目にわたしを捉えて聞いてくれた。100%、内容は理解していないだろうけど、それがわたしには丁度よかった。

適度に距離は保ちたいくせ、ひっそりとこちらの気配だけは感じていようとわたしが視界に入る場所に陣取る彼は、癒しでした。彼といる間、気が滅入って希死念慮に駆られることは誰と過ごす時間よりも少なかった。わたし自身のことでぐるぐると終わりの見えないネガティブに襲われてしまえば、彼の世話を焼けられなくなってしまうから、常に行動の中心を彼に置いていられた。

つい、笑ってしまうの。だって、ああ真っ暗に覆われる、と目線を落とせばいびきをかく姿があって、勢いに任せ消えてしまおうとすればトイレに行きたいと立ち上がるから付いてやらなくちゃとお節介が勝ち残って。尻尾がない代わりに表情や耳で感情を伝えてくれる子だったから、耳を立てて笑うように口角を上げあ、やばいな。もうさ、その顔でこっちに振り返る姿が、あまりにも鮮明に、家の至る所に見える気がするのよ。あんなにも愛おしくて、つられて笑ってしまったその姿が、今、現実に見えるはずがない、その姿がさ、見えるの。そこにも、ここにも、あそこにも。なあにってつい吸い込まれてしまうあの姿が、こんなにも遠くて、辛くて、涙が出てくる日が来るなんて。

丁度1年前、眼振と斜頸、食欲不振で病院に連れて行った日、脳腫瘍か老人性の前庭疾患のいずれかだと診断を受けて、後者であってくれと信じてもいない神様に祈った。この犬種の平均寿命をゆうに超えた老体に全身麻酔をかける必要のある診察は難しく、経過観察以外に方法がなかった。前者であれば余命幾ばくもないはずだったので、恐らく、後者であったと結論付けた。そのあたりから、病院通いが始まりました。もう随分なおじいちゃんだし、先天性のヘルニアとその日のことが重なったのが理由でした。

腎不全は、その1ヶ月ほど後に見つかりました。フードを食べなくなって、母は手作り食を用意した。腎臓に負担のない食材を調べては、獣医に助言をもらい、毎日薬とサプリメントを与えて、彼の体を如何に安静にするか、それだけを考えていた。体調に合わせて週に2日から多い時だと毎日、皮下点滴を受けるのは、人間の長生きしてほしいなんてエゴで、彼にとっては大嫌いな時間だったと思う。母は自分の時間を極限まで割いて、朝は5時過ぎに起きて彼の様子を確認し、仕事から帰れば病院に連れて行ったり、嫌がる彼に薬を飲ませたりの繰り返しだった。そうして、何度かの危うい日を超えて、以前のように過ごす彼が、喜びそのものだった。

ああ、6月21日からの10日間。撮影前に見た彼が普段よりもぐっと顔色が悪いようで嫌な予感がして、撮影後、名古屋に向かう予定を取り消して実家に戻った。元気があれば病院に行く時間が近づくと抵抗する彼が、大人しく、母に抱えられる光景がじくじくと、朝の予感を掻き立てた。彼はその日、帰って来なかった。容体は最悪で、24時間の点滴をすることで経過を観察し、症状の緩和を願う他に方法がないと言われたらしかった。もしものことが有れば父に連絡が入る。あんなにも父の着信音が聞きたくない2日間はなかった。ソファの傍で、空っぽの小さなお布団に縋り付いて泣いた夜もなかった。火曜の夕方、帰宅した母と様子を見に行って、変わらない様子に付けていたグレーのマスクがまだら模様になった。彼が大嫌いな病院で、なんて、考えられなくて、連れて帰りたくなってしまうのを堪えるので必死だった。誰よりもしんどくて、苦しくて、お腹が空いていて、眠たい彼がこうして生きてくれているんだから、わたしがしんどいなんて言ってはいけない。毎日毎日、わたしよりもずっと彼を守り続けた母が堪えているのだから、わたしが根をあげるわけにはいかない。いかなかった。

水曜日の夜、2日間の点滴の末、容体は悪化傾向であると検査結果が出て、様子を見に行ったわたしの腕に涙の跡がひどい彼が収まった。いつ、どうなるか分からないから、自宅で過ごさせてあげてほしい、というのが診断だった。

そうして、7月2日、どっぷりと暗い、夏の短い夜が明けていくのと同じように、見えなくなった。母とわたしに撫でられながら、すっと。おまえ、水溜りは絶対避けるのに、あんな雨のひどい日じゃなくたっていいじゃない。ねえ、どうしちゃったの。

覚悟なんて嫌でもしてた。退院した週の金曜日、点滴のために受診すると、月曜日に入院した時点で3日ほどの命だったと思うって、それなのにこんな風に元気でいられてすごいなって、告げられたし、週明けにはヨーグルトと八朔のゼリーと、カスタードクリームくらいしか食べてくれなかった。水曜日には痙攣発作を起こしたし、木曜日は浅い呼吸でなかなか寝付けていないみたいだったし、2度、嘔吐しかけた。ひどい眼振で目が回って、まともに座っていられなかったし、寝返りを打つこともやっとだった。退院したあの日、1日、1日だ、と言った先生の声は毎夜反芻して、しんどいなら頑張らなくても良いと何度彼の小さくなった額に自分のそれを押し当てて祈ったか分からない。それでも、わたしは自己中心的だから、深夜0時を迎えるごとにもう1日、と強請った。あの10日間、わたしが祈る神は、彼だった。

母が朝起きて、仕事に行くまでの間で仮眠をとって、他の時間はずっと、そばにいた。何があってもいいように。1人にさせないように。いや、1人で寝れるって思ってただろうけどさ。毎秒、これが最後かもしれないって思って動いた。だって、後悔なんてしたくなかった。

それでも呪った、心底、呪った。犬や猫が老いると心臓や腎臓のような大切な臓器に疾患が出やすいことも、腎臓が移植以外で治らないものであることも、もう、調べ尽くして分かっていたけれど、それでも呪った。何がというわけじゃなくて、ただ、ただ、世界を。わたしの心を救ってくれたこの子がどうしてって。腎臓でも何でもいくらでもあげたかった。仕事なんていくらでも休むし、何でも食べたいものは買ってくるし、トイレも臭いなんて言わないで片付ける。鬱陶しいって思うかもしれないけど、でも、そこに居てほしいの。

おまえが、ここで笑ってくれてさえいたら、もう他はどうでも良くって、おまえが、美味しいってご飯を食べてくれることが最上の幸せで、おまえが、わたしの腿にもたれかかって眠る時間が人生の平穏そのもので、おまえが、だって、きみが、いちばん、いとおしい。

短くて量の多い、真っ白なまつ毛とか、ちょっとかさついた肉球とか、昔の名残でゴツい肩周りとか、何故か香ばしい匂いのする大きな耳とか、ぷくぷく喋るみたいに動くお尻とか、信じられないくらいの剛毛とか、白がかった丸い眼とか、食べ物が付きっぱなしの豚みたいな鼻とか、笑えてくるほど臭いお口とか、貧乏ゆすりが激しい脚とか、顔を寄せると拒否する手とか。おまえの全部が、わたしの愛のかたちで、生きる理由で、日々なのだけどさ。

ねえ、最愛。わたしの、最愛。ああ、文字に起こして名前を呼ぶにはまだ、心が追いついていないの、許してね。

まだ当分、1人で眠れないわたしを馬鹿にしたみたいに笑ってくれる?1度でいいから、もう1度で、いいからさ、白く輝いて。

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