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その涙と引き換えにして僕らは行ける

先日、とあるライブでBUMP OF CHICKENのコピーをした際、「同じドアをくぐれたら」の歌詞が不意にぶっ刺さってしまった。

思えば私は「別れ」というものが本当に本当に苦手だったように思う。大学時代、バンドを組んでいた先輩が卒業するときも、引退ライブのあとに2,3回はライブ出演を打診してしまったし、別れる恋人にも未練がましく「友達としてまたよろしく」みたいなことを言っていた。

能動的に別れることができない。自分から離れるということができないので、だいたい相手に負担を強いることになる。
いつまでも決意ができずにまごまごしている私の後頭部を、例の歌詞がハチャメチャに殴りつけてきたのであった。

昔、中島みゆきの「二隻の舟」にも、同じものを感じていた。歌詞を読むとさみしさでどうにかなりそうだったので、とくに文字情報として入ってくるカラオケで流れると席を外すほどだった。

しかしながら、それを理解したからといって即座にきれいな「別れ」を会得できる訳ではない(以前のスタイルに別れを告げることが、やはりできないということである)。甘ったれたことを言っている自覚はあるが、もう少し時間も覚悟も必要だ。
ただ、歌詞にここまで揺さぶられる経験が久しぶりだったので、それは素直におもしろいな、と思った。

敢えなくわたしが 波に砕ける日には
どこかでおまえの舟が かすかにきしむだろう
それだけのことで わたしは海をゆけるよ
たとえ舫い網は切れて 嵐に飲まれても
きこえてくるよ どんな時も
                                           【中島みゆき「二隻の舟」】



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