第十夜

直樹と連絡が取れなくなって七日目の晩に既読が付いたかと思うと、アパートに転がり込んできてずっと寝ている、と洋介から連絡がきたので、顔を見に行くことにした。

直樹は大学でも一、二を争うほど顔が良いうえに優しくて、人を疑うとか騙すとか、そういうことをしない。ただ、妙な趣味がある。夕方になると、銀のジッポを弄びながら住宅街を歩き回る。そして、茶髪の女が通りがかると足を止めて、その行方をずっと目で追うのだった。
直樹は茶髪以外に興味がないようで、どんな美人であっても目もくれない。そのくせ茶髪の彼女がいたという話も聞かない。まあ、そんな不気味な趣味があるのだから当然かもしれないのだが。
直樹は煙草を吸わない。それが、どういうわけか、大奮発してジッポを買ったという。当時は友人たちと宝の持ち腐れだのなんだのとからかったものだが、本人は特に意に介していないようで、次第に誰も気にしなくなった。

ある夕方、直樹がいつものように住宅街をぶらぶらしていると、例のジッポが手から転げ落ちた。そこに茶髪の女が通りがかり、ジッポを拾って直樹に渡した。直樹は丁寧に礼を言い、いつものようにその場に立ち止まると、女の行く先を眺めていた。すると女はすこし歩いた先の角で、ちょいちょいと手招きをする。直樹が行くと、女は一緒に来てくれませんかという。それで夜遊ぶはずだった洋介に遅れる旨の連絡をして、それきり、なんの便りも寄越さなかった。
直樹はもともとのんびりした質だから、半日や1日くらいなら「寝てた」とか言って連絡がつかないこともある。しかしさすがに何かの事件にでも巻き込まれたのではと騒ぎになって、親に連絡したり、いよいよ捜索届けを出そうかと話していたところに、ふらりと帰ってきた。みんな安心したやら驚いたやらで、何があったのかを訊いたら、直樹は電車に乗って遠くの街に行ったんだと答えた。

直樹の話では、電車は繁華街の真ん中へ着いたという。すっかり日が暮れていたと思うが、辺りは往来も激しく、昼間と見まごうような明るさであった。
繁華街を見下ろすように大きなデパートがあり、女はこっちと言って直樹を連れて屋上へ上った。
屋上には遊具が並べられていた。電子音楽と、遊具に呼び込むヒーローの声があちこちから聞こえてくる。何組もの親子が遊んでいるのが見えた。

女はここから飛び降りてみてよと言った。フェンスの下を覗くと、街の灯りがひとかたまりの火のように燃えてみえた。直樹は丁寧に断った。すると女は、それじゃ子供が来るけど良いのと聞いた。直樹は子供とミスチルが大の苦手だったが、命には代えられないと思って、飛び降りることは出来なかった。

そこへ2歳くらいだろうか、子供が駆け寄ってきた。直樹は悲鳴を上げて辺りを見回すが、保護者と思われる人影がない。子供は相当人懐こいと見えて、一心にこちらへ向かってくる。
「くるな!」
思わず手を突き出すと、子供はにっこりと笑ってその掌を叩き、そのまま直樹の後方へ駆けていった。振り向いても、そこに子供の姿はない。まさかと思いフェンスから下を覗くと、カラフルな子供靴の底が見えた。その場にへたり込みそうになった直樹の耳に、パタパタと小さな足音が飛び込んできた。また別の子供が直樹のところへ駆けてきたのである。
いくら子供の苦手な直樹といえども、目の前で転落死されてはたまらない。それで、今度は両手を広げて子供の前に仁王立ちになった。子供はきゃっきゃっと笑って、直樹の脇をすり抜けてビルの下へ落ちていった。するとまた一人子供が現れた。直樹が顔をあげて見ると、遊具にいたはずの子供が幾人もこちらへ向かって駆けてくるのが見えた。直樹は震え上がった。しかしなんとか止めなければと、次々すり抜けていく子供の前にまた手を広げて立ち塞がった。
直樹の後ろにはフェンスがあるのに、子供はすぐに落ちていってしまう。見れば、繁華街の灯りのほうへ、子供の小さな身体がいくつも沈んでいく。電子音もヒーローの声も、直樹を追い詰めるには充分であった。子供は楽しそうな笑い声をあげて駆けてくる。直樹は泣きそうになりながら、それでも七日六晩、奮闘した。しかし、踏ん張る足に力が入らなくなったと思うと、一気に床がぐにゃぐにゃになって倒れ込んでしまった。倒れ込んだ直樹を、子供らは寄ってたかって抱きしめたり、頭を撫でたりした。
洋介は直樹の話をここまでして、ろくな趣味じゃないよなと言った。自分もそうだなと思った。直樹は、洋介の部屋で布団にくるまって、ジッポはお前にやるよと言った。

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