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「引き寄せの法則」の舵をきる
こんにちは。
NOTEにはまだまだ慣れない。
最近というもの、「引き寄せの法則」について想起せざるを得ない出来事ばかりだったのでこの事について少々書き込んでみようと思う。
ここで少し私の中高生時代の話を。
世間では毒と称されるような親から逃げる前の私は、家庭の事情や自分の好きなことを周囲に漏らすことに酷く怯えていた。後にそれがPTSDの類のものに起因することだと知るがここでは省略。
まあとにかく、「自分が全ての原因で間違っている」という思い込みが激しかったので、周りに壁を作り、悩みをどんどん蓄積。
どこにも爆発することができないので言わずもがな精神疾患に。
そんなこんなで現在の私。家出を経て周囲に助けられ、この「溜め込む病」を克服しつつある。
そんな私が現に思う。勿体ない!!!と。
勿体ないと思える程成長したという表れでもあるが、本当に勿体ないことをしていたと痛感する。
意外と周りは助けてくれる。
こちらが手を伸ばさない限り、その恩恵は得られないということを念頭に置けば。
これは私に救いの手を差し伸べてくれた恩師の言葉。
「手を差し伸べても、その手を振り払う人は助けられない。」
そんなことも仰っていた。
私は「助けて」というSOSを出したから繋がりができたのだな、と思える。
あの時、自らなりふり構わず電話をかけていなかったら、私はまだあの忌々しい病を患っていたことだろう。人なんて、社会なんて、世界なんて、誰も、誰もと、とうとう人間社会から遮断されていたに違いない。
つまることながら、人は助け合いの価値観が当たり前に搭載されている方たちもいるだろう。
しかし、私にとってあの瞬間は、寝ても醒めても興奮が収まりきらないほどの出来事で、初めて世界を直視できた、そんな感覚であった。
そして今現在も。
話が大分脱線したが、この体験こそ、私にとってのファースト「引き寄せの法則」成功体験であった。
そこからというもの、自ら周囲に築いた壮大な壁は、己の虚像に苦しめられる無意味なものであったと学習した私は、まだ内に潜む対人のトラウマと戦いながら、自分の進みたい方向へ舵をきる感覚を得た。
まあだが、進みたい方向へ精通する人に出会うことはそう容易ではないと理解している。
全てが思い通りにいくことの方が少ないのは至極真っ当だ。
しかし、舵をきるその手を離していいのか?諦めていいのだろうか?
『ONEPIECE』のルフィを思い出してみてほしい。個人的にあの漫画は、「引き寄せの法則」を気持ちよく体現していると感じる。
「海賊王になる」なんて、最初は皆から馬鹿にされ一蹴されていたが、「それ面白い」と思うようなヤツらが続々とルフィの後に続いたり、助けたり。
今や、すげえ大物になってるし。(ジャンプ的おいしい展開なのは承知として)
ここまでつらつらと講釈を垂れたが、もうONEPIECEを観た方が理解できるなこれ。
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この名シーンこそ正に。
もう、全部がここに凝縮されていて、爽快さまで感じる。
このシーンとは少々逸れるが、自己開示せずして、引き寄せは得られないなと痛感する。
ルフィのように全員に公言せずとも、自分の好きな分野に少しでも通ずる人は案外近くにいるものだ。
少々スピっているように聞こえる「引き寄せの法則」の正体は「思いがけない幸運」なんかではなく、「起こるべくして起きる必然」であるなと。
己の大海原を、自らの力で渡っていこうと強く思った今日この頃。