Xデザイン学校 ベーシックコース #7 構造化シナリオ
ラショウモンアプローチの重要性
プロの仕事のほとんどがラショウモンアプローチ(順番は決まってなく、網目のように、色々な方向、関係をみながら学ぶ/能動的/大学生〜社会人)が必要とされる。
会社では、部下や後輩のキャリア育成に関わることがあるが、口を空けてまっているような工学的アプローチ(分かりやすいゴールがあって順番に学んでいく/受け身/小学校〜高校生)の姿勢では、いつまでたってもプロには近づけないと感じることがあった。
指導する側、受ける側両方にとっても、工学的アプローチとラショウモンアプローチという言葉を知っていることで、学びについての考え方や取り組む姿勢やが大きく変わるように思える。
とくにUXを学ぶということは、ラショウモンアプローチそのものであり、「UXの勉強をするのにUXの本を買うな」というメッセージにも表れていた。
UXデザイナーによって、プロジェクトへのアプローチの仕方が大きく異ることがあると思っていたが、このあたりの背景によるものだと感じた。
あるあるをどう探すか(共感と普遍性)
あるあるという共感の広さ(どれだけ一般受けするか)と深さ(どれだけ刺さるか)の釣り合いを取ることにビジネスセンスを求められそうだと感じた。
誰もが感じる浅い共感では、当たり前すぎて今さら言うまでもないことになるだろうし、特定の人だけに刺さる共感では、狭すぎて商業的に成り立たないだろう。
他の人には分からないであろう、自分だけが感じてると思っていることを、作品の中で見いだしたときに感動が大きくなると思う。自分という存在を作品の一部に置き換えることができれば、特別な作品と感じるはずだ。
きっと、名作とは、それぞれが異なる時代に、異なる箇所で、自分だけの深い共感を感じることができるような作品なのだと思う。
また、戦略として狭く深い共感を初期に確立したうえで、作品の方向性やメディア力等で大衆向けに育てていくことができれば、広く深く共感させることができるのではないかと思う。(受け手の価値観を育てていくような)
ナラティブな学びと構造化シナリオ
文化的な作品は、ひとつの箱に、いくつもの出来事が入っていて、ナラティブになっている。ナラティブだから、作品を自分ごと化して解釈できるので、感動ができる。名作はナラティブであり、普遍的な作品として出来上がっているから、現代にも置き換えることができる。
ナラティブに語ることができれば、価値を普遍的・本質的に考え、様々な手段を用いて(新しいインターフェイスやデバイスであっても置き換える事ができる)相手に伝える事ができる。操作ではなくユーザーの行動を理解することが価値を作るということなのだろう。
1人前数万円するような高級な寿司屋に通いつめる若年層の人たちがいるが、寿司そのものの味を楽しみたいのはもちろんだが、大将との粋なやりとり、通な隣客との高度な会話や繋がりを含めて、総合的な学びも期待しているようだった。銀座の高級クラブに通うような人たちもそうだろう。ナラティブな人生を学びに高い授業料を払う価値を感じているということだ。
また、江戸時代の鰻屋が、お客を想像を膨らませ店に誘うために、店頭で鰻を焼きながら、その匂いも含めて体験をつくる。こういった一連の顧客体験をつくるという考えは、今昔問わず、応用が効くという話を聞いた事があった。
江戸の鰻屋もスマホのサービスも、未来のサービスも、顧客を楽しませるための本質的な価値は同じだということ。様々な仕組みを組み合わせて効果的な手順によって、顧客を満足させる体験を作ることができる。
アクティビティシナリオを書くときには、昔の人でも理解できる言葉でナラティブに書く必要があるということだった。このナラティブに書くというのが自分にはなかなか難しく感じた。ここ数年、映画や小説などの物語にふれる機会が少なくなっていることが原因かもしれない。一流のナラティブにもっと触れていこうと思った。