自分らしく生きること=反抗ではない

自分らしく生きること=反抗 ではない 

 ※意味の分からない自己満足の文章です。読んでからの苦情は受け付けません 。

 先日、欅坂46が改名を発表しました。 私は3年ほど前から欅坂46を好きになり、ライブはもちろん握手会などにも複数回参加する熱心なオタクでした。 

 だからこそ、今回の発表はとても悲しくて寂しくて、しかしそれと同時に、彼女たちの活動を数年見守ってきた身として、"仕方ないのかな"と思ってしまう部分もありました。 

 そして、改名した彼女たちは、これからどのような"カラー"で表現者として舞台に立つのか、希望も含めた予想を考えていきたいと思いました。 

 まず、彼女たちが改名に至った要因は複数あると思いますが、必ず挙げるべきだと思うのは、"イメージに縛られすぎた"という点です。 同調圧力に屈しない、自分を曲げず生きていくと歌う彼女たちは"反抗路線"と呼ばれることもあったと思います。もちろん、ファンであれば反抗的な曲だけでなく、明るい曲や温かい曲なども沢山あることを知っています。しかし、世間の多くの人々には"反抗する少女たち"の強い印象が植え付けられているように感じます。 

 実際に、私自身、彼女たちの"自分は自分らしく生きていく"というメッセージに強く惹かれました。 しかし、今回改名が発表され、改めて彼女たちの"路線"を見つめたとき、私の惹かれた"自分らしく生きる"という彼女たちからのメッセージと、世間が彼女たちに対して抱く"反抗路線"との間に大きな違いがあるのではないか?と感じるようになりました。 もちろん、いわゆる"反抗路線"の楽曲もありますが、"反抗路線"じゃなくても、彼女たちのメッセージの根底にあるのは"私は自分らしく生きるから、あなたも自分らしく生きていいんだよ"ということだと気付きました。 

 その時、私の頭には、 

 自分らしく生きること≠反抗 

 という考えが浮かびました。 自分らしく生きていく、自分を貫くこと。 それは、時には周囲への"反抗"も伴うものかもしれません。 しかし、反抗なくして自分らしく生きていくことはできないのでしょうか? それは、違うと思います。 例えば、女性は男性のためでなく、自分のためにメイクする、誰になんと言われようと自分の好きな赤いリップを付けるのだ、といった内容の投稿をSNSで見かけたことがありますが、これは"自分らしく生きる"ことではあっても"反抗"ではないと感じます。 自分の好きなファッションやメイクをすることに、誰も口を挟むことは許されないと思うからです。 

 一方、「髪の毛をなぜ染めてはいけないのか?私は私らしく、校則なんか無視して自分の個性を表すヘアカラーにする。」と言うとどうでしょうか?"自分らしく生きる"というメッセージ以上に"反抗"の色が強く出ていると感じます。外見に関して自分らしさを貫くという点では上記の例と変わらないのに。 


 少し話が逸れてしまいましたが、つまり欅坂46は、これまで伝えてきた"自分らしく生きる"というメッセージはそのまま、しかし世間にとってはこれまでと違った姿で、改名し再出発できる可能性があるのではないか、と思うのです。

 "自分らしさ"は貫いて、でも"反抗"からは卒業していく。 こんなカラーで彼女たちが再出発したとき、そこにはきっと、欅坂46の生み出してきた世界以上のものが生まれている可能性もあるのではないでしょうか? 


 これは、一オタクのただの妄想です。 こんな路線もいいんじゃないかなあ、程度に受け取っていただければ幸いです。 


 ここまで、欅坂46から生まれ変わるグループの、新たな路線について述べてきましたが、私たちオタクがみな願っていることは、頑張っているメンバー全員に幸あれ、ということです。どんな路線になろうとも、幸せになってほしいと願う気持ちはきっと、ずっと無くならないでしょう。

 これから生まれ変わる、現欅メンバーに幸あれ、そしてあわよくば、生まれ変わった彼女たちが、"反抗を伴わない自分らしさ"を表現してくれたなら、"欅坂46"のファンとして、これ以上嬉しいことはないだろう。

 締  

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