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ハグがしたい

フリーハグという活動をご存じでしょうか?
私はこの活動を知ってボランティアに参加したいと思っていました。

フリーハグってすごく素敵な活動だと思っています。
ちなみにどんな活動かというと数名でフリーハグという看板をもって街頭に立って、希望者の人とハグするという活動です。

地元では参加できる団体がなかったので、参加した事は今のところはありません。

今のご時世だとフリーハグはできませんね。

私はツイッターで日々セックスしたいと言っていますが、本当は人に触れたいのだと思う。
定期的に触れることができる存在がずっとほしかったりします。

私は昔から愛に飢えているのかもしれない。
ここ数年不安定なのは私の中の「飢え」に限界が来たのだと思う。
人に触れたくて触れたくて苦しい。

ここ数年で何度かセックスをする機会があったけれど、そんなことでは全然足りない(笑)
飢餓状態の私にとってほんの少し水が飲めた程度で、渇きは満たされていないのだと思う。
逆に余計にのどが渇いたりしているのかもしれない。


中学生の頃だったか、母に怒られてビンタされたのを覚えている。
その時私が思ったのは「母と触れたのは何年ぶりだろう。」ということでした。

私が悪いことをして怒られているのですが、とっさに私もビンタを返したのを覚えている。
ものすごく腹が立っていた。
理由を聞かずに叩かれたことと久々のスキンシップがビンタされたことだった事に対して怒っていた。
そしてすごく悲しくなっていた。

私には年の離れた妹がいます。妹が生まれた時に母は入院をしました。
それまでは母と手をつないだ記憶もありますが、妹が生まてからのスキンシップの記憶はない。

両親は私に愛情をもって育ててくれたと思います。でも、私は両親から愛されていないとどこかで感じている部分があります。
これは私にとっては愛情=スキンシップとなっているのかもしれません。私のとってスキンシップの価値がとても大きいものなのだと思います。

人が何かを思い出す時に視線をどの向きに向けるかによって五感の何を頼りにしているか分かるそうです。
視覚・聴覚・触覚など。私はこのテストをしてみると触覚によって物事を覚えている節があるようです。


スキンシップってとても大事じゃないですか?
海外のハグの文化にすごく憧れる。私もハグがしたい。

日本人はスキンシップが少なすぎるとまじめに思っています。


私はセックスができないことに悩んで自殺未遂をしました。
上の話で言えば人と触れることに私は悩んでいたことになる。

自殺を考えてしまうほどに悩んでいたわけですが、変な事件を起こさなくてよかったなと今更思ったりします。
いきなり女性に抱き着いたりしたかもしれないじゃないですか。

そう思うと自殺未遂は褒められたものじゃないですが、女性を襲わなくてよかった(笑)


こういう悩みを持っている人だったり、不安や孤独を持っている人もフリーハグは解決できるわけですよ。
フリーハグって改めて偉大だなと思ったので、コロナが終わったら参加したいなと考えています。

フリーハグ活動じゃなくても、みなさん私とハグしてください^^

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