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お金を払ってやりたいことは何ですか?
先日、「やりたいこと」の見つけ方という本を読んで、本に書いてあることに沿って自分の「やりたいこと」を探しています。
本に書いてある内容の一つに「お金を払ってやりたいと思うことがあなたの本当にやりたいこと」だと書いてある。確かにその通りだ。
私は、お金を払ってまでセックスをしたいかと言われると、正直微妙です。
デリヘルさんとの経験が数回ありますが、「すごくいいな」と思った人ともまたお金を払ってしたいかと言われると罪悪感の方が強くてやめました。
デリヘルさんがどんなものなのか、経験できたのでもういいかなと。
自分がお金を払ってやりたいこと、やっていたことは何だろうと考えた時に、「人助けのために人に会いに行くこと」でした。
昔は人の相談を聞いたり孤独で辛そうな人のところにお金をかけて時間をかけて会いに行っていました。自分が少しでもその人の心を救えるならと会いに行っていた。
やりがいと使命感があった。あの頃の私は活き活きとしていたと思う。
今の私はその活動をしなくなりました。
なぜ私は、昔やりがいだと感じていたことを辞めたのかなと考える。
理由はいくつかある。
一つ目は、単純に相談をされることが減ったということ。
以前の私の主なネットでの居場所はyahooチャットとmixiでした。あの頃は色んな人と会話していました。あと、今より深い話をしていた気がする。
最近のネット上でのやりとりは表面的なものが多くなったなと思う。私のネットの利用の仕方が変わったのと同時にネットでのつながり方というのが一昔前とは変わったと思っています。
ツイッターでの私に何かを話そうとは確かに思えないと思う。私は以前のようにいろんな人と語り合って繋がれる場所が欲しいなと改めて思う。
二つ目の理由がとても大きい。人を本当の意味で救うのは難しいなと痛感したことが原因でした。
自分が恋愛に悩んでいたこともあり、相談内容は恋愛であることが多かった。恋愛以外の相談事は特に問題ないのですが、恋愛の相談に問題がありました。
相談相手が異性であることが多く、相手に自信を持ってもらいたいと元気付けました。それ自体は成功するのですが、よくある流れとして
「励ましてくれるけど、だったらなんであなたは私を選んでくれないの?」みたいなことがよくあった。
これを言われると私は非常に複雑な気持ちになる。選んでもらえない気持ちはよく知っているし、すがりたい気持ちも本当によくわかる。
でも、好きであることとすがることは違うと思うのです。そのことを諭すあたりからグダグダになる。
相手を元気付けているのか傷付けているのか。わからなくなりました。そのうち、誰かを救うどころではないぐらいに私が落ち込んでいってしまいました。
人を本当に救うというのは難しい。でも、だからこそ私が救える人には手を差し伸べたい。
私は「人を助ける」ということを何故したいのか、一つ一つ分析をしてみた。
まず「人を助ける」と言っているが、相談を聞いた相手は圧倒的に女性が多かった。私は「女性の味方でいたい」のだと思う。
私は以前からどちらかと言えば女性の友人が多かったですし、価値観や考え方はどちらかと言えば女性に近い。昔から同性の方が苦手だ。
この活動は恋愛したいという下心は全くありませんでした。既婚者の方もいましたし、相手の恋愛の後押しをすることもありました。
会社でも「職場での女性の立場を向上させる」という活動もしていたりしました。
「女性の味方でいたい」という気持ちが強いのだということを自覚しました。
あとは単純に私は人と話すのがとても好きである。「人と会いたい、人の話を聞きたい」という理由もあるのだろう。
「新しい場所に行くこと」も好きです。一人旅は嫌いではない。でも、これはできれば、好きな人としたいことです。
私の「やりたいこと」メモ。
「女性の味方をする」
「人と会いたい、人の話を聞きたい」
「新しい場所に旅行する」
少しずつこういう自分のやりたいことをまとめていって、今後の人生で何をしたいかの道筋を決めたいと思います。