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岐阜生活終

2022/02/28で私の7年間の岐阜生活が遂に終了しました。

2015年(?)に進学に伴い岐阜へ来ました。もうそんな昔なのか、、その時出会った友達は今や就職して、結婚する子も出てきてより時の流れを感じる。

なぜ岐阜へ進学しようと思ったのか。

私は建築にずっと興味があって(建築に興味があるというのはカッコ良すぎる、マンション住まいだったから一軒家に住みたかった。なら、自分で作りたい)、それならこんな学校があると母に勧められたのが最初で、でも岐阜から地元は車でだと9時間。とにかく遠い!!!!でもなんで岐阜に行けたか、母のチャレンジ精神が遺伝したのと日本国内だったら遠いとかないじゃんっていうよくわかんない自信で来てしまった!!!

よかったこと

7年もあるしその間の出来事を覚えている限り書こうと思うと大変な量で飽きてしまうので特によかったことを!!

  • 大切な人たちとの出会い

  • 寮生活と一人暮らし

  • 学びたいものの発見


この3つでしょうか。もっともっとあるのは事実だけど、箇条書きに1番書きたいものはこれかな。

大切な人たちとの出会い。
本当にいろんな人に出会った。私の地元の中学の友達はみんないい家ちゃんとしたいい子ちゃんで、世間を知った!いい人もあんまり好まない人も。
好まない人なんてもう記憶にない。そんな人の記憶のスペースは大切な人に充てないと!
先輩だけど親友と呼べる人に出会えたのは大きかったな〜。私の全てを知ってると言っても過言ではなく、いろんな経験をさせてもらった!本当に感謝!!

他の友人も然り、ありがとう。これからもきっと会うんだろうなと思う人が何人も。

あとはもうお別れしてしまったけど、岐阜生活の半分近くの記憶にいる大切な人。あなたのおかげで岐阜で、岐阜以外でも、大切な青春時代がきらきら輝いて、嬉しいことも悲しいことも寂しさも知ったよ!いろんな経験をさせてくれてありがとう。
まだ引き出しに鍵をかけることは難しいかもしれません。あなたは分からないけど、もう少しだけ不意に思い出させてください。


寮生活と一人暮らし
入学してから3年間は寮生活。寮生活は本当にいい経験でした。他人と24時間生活するなんてきっと結婚生活くらいなんだろうけど、ここでの経験は人として重要なものを学んだ気がします。元々、海外で数週間のホームステイの経験やホストファミリーとしての経験があったから誰かと住むことに抵抗はなかったけれど、相部屋でお風呂もずーっと一緒。
抵抗がない性格に加えて、相部屋の先輩も両脇にいる友達もいい人たちだったので運がよかった✨
先輩にも可愛がっていただけて、そこである意味縦社会や処世術的なものを得たような、、、(?)

一人暮らし暮らしは最後の4年。
2年目の初夏に大事件があり引越しだけど引っ越し先は本当綺麗でまじで最高物件でした!!!
味噌汁はまず出汁を取るってことすら知らず、目玉焼きを作る時は蓋をしたほうがいいなんてことも知らない娘が4年間の一人暮らしをやり切りました。しかも、お弁当もちゃんと作っていたし。自分偉いです。褒めます。
学校はほとんど実家暮らしの子が多かったから、一人暮らしは珍しい環境で、だから宅飲みでもりもり酒飲むっていう大学生らしいことも出来たし。
自由にさせてくれた両親、ありがとうございました!

寮生活も一人暮らしもたくさんの思い出があるけど、ひとまずこんなもんで。


学びたいものの発見
これは後半3年くらいの出来事かな。
学校入学して早々、建築は才能・センスだと気付き、中学生の時にイメージしてた有名建築家が手がけるような世界的な建築物に関わるなんて夢のまた夢で、仕事にしたくないなと若干感じてしまっていた。だけど、岐阜へ背中を押してくれた両親にもなんとなく言えず、そして就職もイメージできない。
とにかく、建築ではないかなという理由で建築から逃げるように選択した都市計画の研究室。

最初の1年はがむしゃらだったのでただただ言われるがままに研究してただけだけど、2回目の進路を考えるタイミングでも就職のイメージは出来ず院への進学を考え、でもここでは明確に都市計画の研究をしたい。特に人と関わるもの、コミュニティだったりまちづくりだったり。
たしかに建築の課題でも人のいる空間を具体化させるのは得意ではなかったけど想像するのは好きだったな〜。

そして、行きたいと決めた研究室に入るために人生で1番勉強して、春からはそこへ!
都市計画という学問?分野に出会えてよかったな。
もっともっと知りたい。どうなってるの。
この欲は絶対に消さないぞ!

ということで、岐阜生活で得た特に大きなことを記録しておきます。
また岐阜行きたいな。行くことあるのかな(笑)

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