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働き者の赤ちゃんと働く意味を見つけた私

久しぶりに書きます。

子供が生まれてあと1週間で2か月がたちます。
ほんとうにあっという間。
よく「赤ちゃんは泣くのが仕事だからね~」というけれど、
そうだとしたら我が子ももれなく働き者です。
最近は、意味不明の(本人は意味があるんだろうけど親からしたら原因不明。笑)泣きも減った気がします。
泣く原因は、お腹がすいたか、眠いか、暑い寒いか、おむつが湿って気持ち悪いか、構ってほしい、
であり、原因が分からなければだいたい「構ってほしいんだね」に分類しています笑。

そして「泣くのが仕事」という言葉に戻ると、
一人でできることがほとんどない赤ちゃんにとっての仕事というものは、
「生きていくために必要で不可欠な行為」なんだなと思います。我々よりも切実な。

私にとっての仕事ってなんだろう。
働く意味ってなんだろう。
という問いが産休に入ったころから生まれていた私は、「働くということ」という本を読んだり、何人かに働く意味を尋ねてみたりしました。悶々と考えるうちに出産し育児に突入。すっかりこの問いを忘れていたわけですが、先週、泣き止まない我が子を抱っこしてあやしやっと泣き止んだときの寝顔をみたときにふと問いを思い出しました。と同時に解が自分の言葉として生まれました。(このときの原落ち感は近年の私史上の中でも最上位レベルにスッキリするものだった・・)

今の私にとっての働くということは、
「家族と楽しく過ごすために、自分の心身が健やかでいるためにやることのひとつ」
であるということ。
自分のライフプランの起点はいつのまにか家族になっていて、
それでも不思議なのが、それで仕事をセーブしたいという発想にはなっておらず、
我が子も向かい入れ新しく作られた家族と健やかに過ごすために。

なぜ「健やか」かというと、
自分の心と身体が健やかな状態でないと、自分に余裕がないために、子供(家族)に対して楽しんで接せられないということを感じたから。
もちろん経済的な意味でも、子供に体験してほしいことや家族と過ごしたい時間を考えると大事だなと感じます。(経済面での考えや行動に移したことについては別途書きます)

ただ特に、「心」の健やかさを保つというために自分が仕事をしたい意味があると感じました。

働く意味は人生のフェーズによって変化していくんだろうなと思いました。
20代前半、もちろん独身だったころ。仕事を始めてつらいこともあったけど体力も時間も如何様にもなり楽しさで突っ走っていたころ。
今振り返ると、人生を仕事とプライベートの2つで考えていた気がします。
仕事とプライベートを分けるというよりはまぜこぜにして過ごしていたけど、カテゴリーの分け方はこの2つだったかな。
今はその上位概念というか人生の過ごし方の基準が言語化出来てきた感じです。

写真は、洗濯した赤ちゃんの服たち。

はぁーちっちゃい。ちっちゃいは、かわいい。

おわり。

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