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恋愛が怖くなってしまった24歳女性の話。
傷つかないための
気付かないふりばかりだ
信じることは悲しいこと
いつからだろうか。
自分が傷つかないように色んなことに目を伏せて、我慢するようになったのは。
運転中にSpotifyが久しぶりに、マカロニえんぴつの『ブルーベリー・ナイツ』を流してきた。
いわゆる「エモい」と称されるこの曲。
失恋中の女性の心境をつづっている。
今までは聴いてても、特になんとも思っていなかったのだが、恋愛に思い悩んでいる最中、私の心に染み込んできた。
気づけば、恋愛をしたくないと思うようになって、2年が経った。
好きな人だと思える人はいる。
しかし人を信じることが怖くなって、信じる必要がそもそもないような浅い関係しか築けないようになっている。
その人に踏み込むのが怖い。
裏切られたらどうしよう、嘘をつかれていたらどうしよう。
気づかないふり以前に、気づかないぐらいの距離感を保って、傷つかないよう自分を守っている。
好きだと思っても、思いを押し殺して我慢する。
そして、自分の嫉妬を見て見ぬ振りをする。
きっと好きになってもきついだけ。
辛い思いをするのはわたしなのだから。
嫉妬している自分が嫌い。
嫉妬している時間が嫌い。
それでも、女の子といるSNSを見かけたりしてモヤっとしたら、
好きを自覚してしまう。
そこから、嫉妬を押し込めるように蓋をする戦いが生まれる。
そんな距離感の人しか周りにいないからか、
泣きついて相談できるような特別な人はいない。
きつい時に助けてと言える人はいない。
相手にそこまで踏み込んでないということは、自分のこともあまりさらけ出していないのだ。
「自分の機嫌は自分で取る」
「自分のメンタルは自分でケアする」
そう自分に言い聞かせるようになり、
いつしか、泣き叫んで相手に感情をぶつけられる人が羨ましくなった。
友人には、「嫉妬して苦しんでる時間が無駄だから恋愛はしない」「恋愛で悩んでる時間が勿体無い」だの言っているが、
実際のところは、恋愛するのがただ怖いだけである。
確かに、上記二つあげたことは私が心から思っていることである。
恋愛でうまくいっているときは、すべてがうまくいく。
逆に、うまくいっていないときは、すべてがどん底に落ちたかのように何も出来なくなる。
だからこそ、そうなる自分が嫌で恋愛すらも恐れてしまっている。
恋愛依存なのだろう。
しかし、幸せ?と聞かれたら、私は間違いなく幸せと答える。
恋愛以外のことで幸せに暮らしているのだから。
恋愛していなくても、私は私なのだから。
けれど、時々思う。
こんな風にこじらせて小賢しい女になるより、もう少し素直な可愛い「普通」の女の子でいたかった、と。