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地元のメイドカフェに行ったら努力について考え込んでしまった話。

えんまちゃんです。今回は答えが出てない悩みぶちまけ回です。(多分)
まず、サムネを作りました。
このサムネのときはだいたい、行ったメイドカフェとかコンカフェの話をするときです。

へたっぴですが描きました。

さてさて、今回は地元のメイドカフェにいってきました。
県内唯一のメイドカフェですって。

まあそれはそれは、顔面偏差値が高くて見事デレデレしてきました。


チェキを撮ったり、お歌を歌ってもらったわけですが、チェキの落書きを待っている間、私はそこで努力について考えてしまったわけです。


◆努力とは

努力:[名](スル)ある目的のために力を尽くして励むこと。「努力が実る」「たゆまず努力する」「努力家」             小学館/デジタル大辞泉

これによると、とある目標に向かって何かを頑張ったり、力を入れることが努力というらしい。

そもそも、私がメイドカフェで感じた努力の体現というのが、


・チェキの落書き

・歌

・体型

・メイク

・ヘアアレンジ

だったのです。


毎日、可愛い自分でいるために出勤の何時間前にも起きて、ばっちりメイクして髪もまきまきしているわけです。

チェキの落書きは、メイドさんがその場でお話ししながら書いてくれて、すごく可愛く書いてくれたのです。

「チェキの落書きすごいですね」

って話かけたら、

「他にもこういうの書いてるんですよ〜」って画像を何枚か見せてくれました。

それは、お客さんと髪色がプリキュアみたいだねって話になったから、プリキュアのアニメのロゴ書いたとのことでした。

再現率本当にすごかったです。


私のは、ポムポムプリンが好きだとお伝えしたら裏面にプリンくんを描いてくださいました。


上2枚が今回頂いたチェキです。

これは、またチェキ撮りたくなるわ、、、、、ってなりました。

だってすごいんだもん。

一枚一枚、丁寧に違うバリエーションで書いてくれて、感動してしまいました。

ここで、絵とか落書きのバリエーションとか勉強したりしてるんかな、、努力やな、、って思ったわけです。


◆自分の努力を考える

ここからは自分語りなので流し読みでも飛ばしてもらっても構いません。


今、24歳だからまあまあいい歳な訳ですよ。

自分の今後のキャリアや生き方についてすごく考える時間が多くて、だからこそ今努力をすべき時で、踏ん張りどきなのでしょう。

周りには、居酒屋の経営者だったり、ダンスのイントラだったり、自分で何かを売って生計を立てている人が多くて、

保育園という組織で働くのも楽だし悪くはないけど、果たしてそれでいいのだろうかという疑問がここ数ヶ月自分の中にあります。

だからこそ、何か自分で発信して出来ることを増やしたりとか、自分のマインドの整理の一環で、noteも始めたわけですが。


話を努力に戻しましょう。

正直、私は”努力”という感覚がわからない。

中学受験して、私立に行ったけど名前書いたら受かる学校だった。

高校受験は、結局目標校よりレベルを落としたとこに入学し途中で単位制に転校した。

大学受験は、AO入試だったし難なくクリア。


学生生活は、生徒会やったりビジコン参加したり至って真面目なサークル活動に勤しんだり、割とアクティブな学生でした。

でもそれも、努力したよ!って言えるかと問われると何故か素直に「うん」と言えないわけです。

私は、本当に胸を張って努力してきたと言えるものがなくて。

何事も中途半端に手をつけては、やめてを繰り返してしまっていて。

本とかも、半分ぐらい読んで「ああそれ面白かったよー」って言ってしまうタイプ。

何も極めてないし、誇れるものが特にないと思ってしまうのです。


唯一、ダンスに関してはコンテストに出たりイベントのために、いわゆる目標に向かって、力を入れていたかもしれない。

しかしながら、感覚的には努力っていう感覚ではない。

ダンス好きだもんな〜そりゃ頑張るよっていう感覚。
しかしながら、自分が努力だと気づいてないだけで、実はそれって努力なのかもしれないともちらっと思ったりもする。


◆好きこそ物の上手なれ

メイドさんのチェキの落書きの話。

そのメイドさんはそもそも絵を書くのが大好きらしい。暇なときは絵描いて、アクキーとかも作ってるって言ってました。

歌も上手くて、練習とかされたんですか?って聞いたら、カラオケが好きでよく行ってたらああなりました〜って言ってました。

私のダンスも、好きだからもう数十年続けてます。

「好きこそ物の上手なれ」

という言葉があるように、きっとそれに恋したら、自ずと上達するし継続もするのでしょう。

継続が一番の努力なのかもしれないという説が自分の中であるので、これはまた別で書きます。


努力の感覚がわからないっていうのは、きっと私の中で努力とは

「嫌なことややりたくないことを我慢して取り組んだ」

という感覚があるからかもしれません。

私にとってそれは、勉学でした。

だから、受験もすごく楽な道を選び、テストで上位になることも特にありませんでした。

だから、努力したと思えないのかもしれない。


ダンスを細かく見てみると、アイソレーションリズムトレーニングというものがあり、振付だけ練習しても上達はしないのです。

私は、アイソレが嫌いだったけど(めっちゃ地味だしめちゃくちゃ眠くなるから)それって踊りが上達するためっていう最終目標があったから頑張れていたのかなと思います。


ダンスにしても、メイドさんにしても、とあるゴールが、例えば大会や受験とか何かのイベントっていうより、

「こうありたい」

に近いのだと思いました。


例えば、あのモデルみたいになりたいとか

加工後の顔に少しでも近づきたいとか

あの人みたいに踊りたいとか

自分が提供したもの(チェキの落書きとか)で人を笑顔にできる自分でいたいとか


「ありたい自分」に近づくために、自分が自信をつけるために継続してやっていた行動が、

結果を残したとき、または他人から認められた時に、それは努力と言えるのかもしれません。


「他人から認められる」っていうのはすごく大事だと思ってて、

客観的に見れる第三者から目標に近づいていると、言語化してもらうのは、

モチベにも繋がるし、それで正しいのだと思えますもんね。


◆まとめ

努力とは、目標であるイベントや「ありたい自分」というゴールに近づくために、継続して行う取り組みであり、結果を認められた時に努力となるのでしょう。

自分で胸を張って努力したと言えることも素晴らしいし、なおかつ他人から認められたらそれは結果に結びついていくのでしょう。



少し長くなってしまったし、主張がそれでいいのかわからないけど、自分の考えです。善し悪しは置いといて世に発信するとします^^


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