夫婦もしくはカップル間の家事分担について思うこと

人を動かす立場であり、彼の仕事が超多忙なのは知ってる。
尚且つこのコロナ渦の中、休日返上で動き回ってるのも、
言わずもがな、なんとなくわかってる。

常日頃、彼からは「お前絶対仕事出来へんタイプやろ」と言われている。
理由は気が利かないから。主に家事周辺についてである。

彼のお家には月に2、3回程お邪魔する。

「洗濯終わってるのになんで気付かんの?
 なんで乾燥機入れてないの?そーゆーとこやで?」

いや、気付いてはいる。

私は、自分の肌で感じた感覚だけで言うと
無償の愛は親子間でしかありえないと思っている。
夫婦であっても、真っ赤っかな他人だと思う。

なのでやってもらって当たり前という感覚がどうしても理解できない。

感謝の気持ちや思いやりの気持ちありきでは?
損得勘定が働く場合は別として。

いつの間に乾燥機に入れるのが私のタスクになってるのだろうか?


以前、いつ行っても畳まれず散らかったままの洗濯物について
(※乾燥機から出した後はそのままリビングの床に散乱させられるのが
 この家の洗濯物たちの定められた運命である。)
どういった意図があるのか尋ねたことがあった。

回等→「君がいつ片付けるのか実験してるから。」

落ち込むほどにまじで理解できなかった。

馬鹿とかタコとか気が利かないやら言われまくってるので、
私が馬鹿なの以前に、そもそも思考回路が違うので
気付けないんだと思うと伝えると、

→「それじゃ今後食事デートは割り勘ね!」

別に割り勘でも何でもいい。そこじゃない。
いや、それを言うなら一緒に外食したことほぼない。


ふと思い出した。
元旦那と交際期間中にケンカした時に言い放たれた印象深い言葉

「あー。行きたいところ連れてって、食いたいゆうもん食わしてんのに
 何でそんなん言われなあかんねん。女ってわからんな。」


私はあまりわがまま言ったり、ねだったりすることが得意ではない。

普段ご馳走してもらったり、いろいろしてもらって
感謝の気持ちはあったものの、
上記のニュアンスに当てはまるものは自覚としてあまりぴんとこなかった。

ケンカの内容はこうだった。

元旦那は自分の話を逐一聞いてほしいタイプの人で、今日食べたもの、
一日の仕事でしんどかったこと等々、1時間以上にわたり
毎晩電話報告が行われていた。
これも彼女の務めだたと思っていた私はそれを約6年間こなしていた。

ある日、私が仕事でミスしてしまい翌日の出勤が憂鬱で仕方がなく、
普段は自分の話はほとんどしなかったがどうしても聞いてほしい時があった。

電話の向こうで、話している最中に寝たフリをされた。

カップルって、デートしたりいちゃついたりする関係というより
お互いが辛い時支え合える関係を第一意義として考えていた私は
(肉体的<精神的繋がり?)
その時の精神的な状況も相まってそう言い返してしまい
ケンカが勃発し、この言葉が放たれた。


なんか似てる?こいつら似てる・・・?


逃げ恥のドラマで、「好きの搾取」についての話があったように思う。

好きだから奉仕してあたりまえになってるという事実について
異論を唱えていて、それぞれが自分の得意とするテリトリーを守備しつつ、
できないところをお互いがカバーし合う体制にとても共感を持った。
(↑結論に関しては記憶があやふやですが、近々再放送があるそうなので
 おさらいしたい)

好きだからやって当たり前なの?やってもらって当たり前なの?
お金で解決できたら終わりなの?


ただ彼は仕事がよくできる。
私はできないらしい。

私がリカバーできるところでいうと家事をサポートするところでしか
ないのだろうか。

お互いが自分でできることは行い、どうしてもしんどいことや
不可能なところは互いにフォローし合えるのが理想的だと思ってしまう。

私の心が狭すぎるのだろうか。
私がもっと他人に甘えたり、頼れるような性格になれば、
考え方もかわるのだろうか。

彼の家のキッチンの、シンクにためられた洗い物たちが
無言で話しかけてきてうるさい。


そういえば書いてて思ったのですが、「赤の他人」という言葉、
他の色ではなく何で「赤」なのか、ご存知ですか?

日本語って面白い。

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