卒研のタイトル考えるにあたって卒研振り返り申すか〜(編集中)
みかみです。
タイトルの通りです。だんだん自分が何をしているのかわからなくなってきた!振り返るのと、タイトルを考え直すのとをします。
振り返るぞ🎶 ルンルン🎶 wow wow🎶
私の卒研黎明期
私の創作活動に関する考え方
私はイラストや漫画など、作品を度々作ることがあります。
そのような作品を誰かに見てもらうとき、「『これ好き!』『可愛い!』『技術がある!』って評価してもらったり購入してもらったり、愛でてもらったりしたとしても、その作品に込められた気持ちには興味を向けてもらえないことがある」と感じていました。作品の受け取り手は、作品に込められた作者の気持ちを汲め!なんて義務はあっていいはずないし、というかないので、当たり前なんですけども。
でも、私が何かしらの作品を作るときは、日常において何か変化があったときや、常日頃考えているけど誰にもどうやっても打ち明けられないことが積もり積もったときであることが多くて、その結果生まれる作品は「誰かに自分の気持ちを知って欲しいから作る」という側面が強いものでした。
故に私の作品には、作品を通して私という人間の気持ちを汲んで欲しい、という邪な思いが、ほぼ常にこもっています。
プレゼミでの経験が結果的にモチベとつながった
そんな中、大学3年生後期の時にプレゼミをするという機会がありました。
プレゼミの一環として、メンバーと「自分が見聞きしたこと・感じたこと(自分が感じ取った生活世界)を描き出し、そこから制作した作品をゼミメンバーで持ち寄った。その結果語りが生まれ、作品を媒介に互いの生活世界が共有され、相手の視点も自分の視点に取り入れられるようになった」ということをしてました。
このプレゼミの後、私は「自分の生活世界から生まれた作品は、他者の目に入ったり手に渡ったりして『可愛い』『上手』と思ってもらった先に、他者の生活世界に何かしらの影響をもたらせる気がする」という気持ちを実感として得ました。
それに味を占めた私は、「自分の生活世界を絵や言葉で表現して開示することで、受け取り手に自分の気持ちを感じてもらえる可能性が高くなるのではないか。あわよくば、私の作品がトリガーとなって他者が自身の生活世界を考えるきっかけになったり、それを私に語り返したりしてくれるかもしれない。そうなってくれたらいいな」
と、思いました。
なんで「他者が自身の生活世界を考えるきっかけになったり、それを私に語り返したり」することが「そうなってくれたらいいな」なの?という問いは、多分、私が他者に自分のことをわかって欲しいのと同じで、他者も「私のことをわかって!」と思っているかもしれないという仮定によるものだと思います。
気持ちを伝えても誰にもわかってもらえないときや、そもそもそんな気持ちなんて最初からないかのようにあしらわれてしまうときの、虚しいような悔しいような気持ちは、なんとなくわかるつもりです。
この「自分の作品を通して、他者に自分の気持ちをわかって欲しいし、私の気持ちをわかってくれようとしてくれた人がいたならば、私はその人の気持ちを少しでもわかりたい」という気持ちが、今思えば卒研のモチベーションというか、卒研の始まりだったのではと思います。
卒研始まりたて
テーマ決めの時期、こころが参っていたのをなんとかしたかった
私はプレゼミのとき、不完全燃焼のまま活動を終えてしまったことに対する沈んだ感覚が残ってしまい、どうしたらよかったのとか、このまま自分や他者を責め続けなきゃいけないのなどという気持ちを持て余していました。
この気持ちを何かで上書きしたいと思い、ゼミメンバーの卒研になんらかの形で関わって、あわよくばみんなの力になりたいなと思い至りました。幸いみんないい人たちでみんなのことが好きだったので、彼らの何かを後押しすることで自分の停滞した気持ちを前に進めたいと考えていました(邪!!!!)。
多分、このような背景で自分の気持ちが押しつぶされそうになっていたこともあり、私は私が生き延びる方法として「一回立ち止まって、自分の生き方を改めて考えたい」と思ったのかもしれません。だから「『よく生きる』を考える」ていうマジめっちゃ身の丈に合わないクソでか研究テーマを掲げたんだと思います。
卒研テーマ決定後、自分の生きる楽しさを思い出す
最初は、テーマである「よく生きる」って何?を考えたり、それに関連しそうな「持続的なウェルビーイング」という概念を考えてみたりとかしました。
その結果、自分のウェルビーイングの源となり、そのウェルビーイングを長期にわたって持続させてくれ、そうして私の生きる糧となってくれている「美味しいご飯を食べる」「絵を描く(作品を作る)」という2要素を大事にしていくことを決めました。
2要素が私にウェルビーイングをもたらしている様子は、以下の図です。「美味しいご飯を食べる」、「絵を描く(作品を作る)」以下のようなことが自分の中で起こって、この過程が全部自分にとって長期的な幸福、充実感、生きる楽しさ(=持続的なウェルビーイング)になっている、ということです。
それで、そういったことを通して生まれた「持続的なウェルビーイング」を持ったまま、その延長線として他者とよりよい関係を作ろうとしてみると、自分にとっても相手にとっても生きやすいような「よく生きる」を
(今思うと、自分にとって大事なものこと、もとい生きる楽しさを思い出すというこの行為が、当時の自分にとって必要だったのかもしれません。それくらい参ってたのかな〜)
ゼミメンバーについていき、行動の指針を得る(5月)
時は流れ、あるときゼミ生が洞爺湖に行く用事があったとき、何か力になれるかも〜と思って2度に渡ってついていかせてもらいました(私めっちゃ邪魔だったかもしれん、嫌な顔せずにいてくれてありがとう…)。
それで1度目のとき、たまたま地元の美味しいカフェ&バーのお店「MITTSU」さんに訪れて、めっちゃこのご飯うめ〜!となりました。
そのお店は個人経営店で、店頭には店主さんの趣味であると思われる素敵な絵本や手芸雑貨が並んでいました。そのような雰囲気や規模感、素朴でオリジナリティのあるお料理に、店主の等身大さが現れていた気がします。
今思えば、そのお店自体が店主の生き様を表していたというか、店主の生活世界の表現作品といえるものだったのかもしれません。その様子やめっちゃ美味しいお料理に魅了された私は「美味しいものを食べさせてくれてありがとうのお礼がしたい」と思いました。
私は普段、こういった場面で「おいしいものありがとう!のお礼をしたい」と思うことはあっても、また食べに行くこと以外に実行に移すことはなかなかありませんでした。ただの客が急にでしゃばると気持ち悪いかもとか、変に心労をお掛けするかもとか、逆に喜ばれて期待をかけすぎてしまって自分が耐えられないかも…などの気持ちがあった故です(これらの気持ちは今でもあるし、失っちゃいけない感覚だと思っています)。
しかしこの時は、自分の生活世界を、お料理とお店を介して先に開示してくれたMITTSUのお店・その店主さんがきっかけとなって、私の気持ちも形にして伝えてみようと、結果的に前に進むことができました。
行動を起こしてみた(6月)
それで、気持ちを伝えようと作ったものが「ごちそうさまカード」です。
なるべく受け取るお店にとって気持ちを強要しないような、物理的にも心理的にも負担にならないような、純粋な返礼の気持ちとして受け取ってもらえるように心がけ、このような形でのお礼になりました。
具体的にチラッというと、店主宛てのプレゼントはちょっとキモいな…圧になっちゃうかもな…と思ったので、わざとちょっとずらしてお店宛てのプレゼントにすることで、文化人類学で言うところの「返礼の義務(ものを頂いたんだから何か返さなくちゃ!みたいな義務感)」を感じにくくなるよう意識しました。
お店へのプレゼントとして説得力を持たせるために、お店に飾れるものを作ること、お店に飾るならお店に馴染むように華美なものは避けること、だけど自分の気持ちはちゃんと込め、日々美味しい料理を創造する店主さんへのリスペクトを込め、できあいのもので作るのではなく全てのパーツをできる限り手作りして制作すること…を心がけました。
消しゴムはんこを使って製作したお料理の絵柄が結構気に入っています。絶妙に手作り感とポップな感じと滲みが表現できている気がします。同じハンコと同じインクを用いたとしても、ハンコの押し具合・インクの具合によって押された絵柄が少しずつ変化が起きるのも、お料理自体と似たところがあるなって感じがして、とてもいいです。
行動を起こして、さらに行動して、その後
洞爺湖への2度目の訪問時、それを店主さんにお渡ししました。
そもそも受け入れてもらえるかどうかドッキドキだったのですが、ありがたいことに、それを受け取ってもらえて、喜んでもらえて、とても優しくしてもらいました。(なんならお店にカードを本当に飾ってもらいました、ありがとう…)
このとき、も〜本当に嬉しかったし、今思い出しても涙出そうだし(これ書いている今、めっちゃ眠いせいかもしれない)、それまで意図的に自分の中で完結しようとしていた「美味しい」「こんなに美味しいものありがとう」「なんならこの美味しい体験から勝手に作品作っちゃお」を、自分の外部の誰かに受け取ってもらえたのが、すごい嬉しかったです。
だって好意をそのまま好意として受け取ってもらえるのって難しいじゃないですか。言葉づかいや態度のせいで意図が間違って伝わってしまったり、それさえ気をつければいいかと言われればそうではなくて、タイミングとかお互いの状況とかにもよるので、もはやほぼ運みたいなところありますよね。だから自信がなくて、お店に対して好意を伝えたい…と思っても、「また買いに・食べに来る」という、お店側が想定しているであろう形式的な動きから逸脱しないよう心がけていました。
でも結果的にそれを逸脱して、誰かに好意を受け止めてもらったこの経験は、今まで抑圧していた「おいしいと伝えたい」とか「好きだと伝えたい」という気持ちをもとに行動を起こすための自信につながりました。
卒研の方向性を固めたとき、実践1(8月)
自信がついたことがあってか、この後も「好き!」「美味しい!」の気持ちを、他の人々にも伝えようとしました。
その伝え先は、いつもお世話になっているお菓子やパンのお店です。今度は好意を伝えるだけじゃなくて、お店にとっても何かいいこと?利益?があるように活動したいと考えました。私は好意を受け止めてもらうことで元気が出るし、お店の方も何かしらの利益があることによって、お互いに嬉しい気持ちになれるかも〜と思いました。
私は、自分だけが楽しいのって実質楽しくない…居心地悪い…と思っていて、それ故に、目の前の人にも楽しい気分になってもらいたいという気持ちがなんとなくあります。それに関連するのか知りませんが、以前読んだウェルビーイングについて書かれた書籍に、東洋人ならではと揶揄された「集団的で幸福を目指そうとする考え方」が掲載されていました。
日本の人々は自分と他者の境界が少しずつ融合していて、重なっているところがあるから、「幸せになる」ということを考えたとき、自分だけの幸福じゃなくて、自分と他者の幸福を考えよう!という方向に行きやすいらしいです。確か。
なので、「お互いに嬉しい気持ちになれるかも」をしたいのはそういう日本人もとい東洋人らしさからきてるのかもしれません。
とはいえ、いきなり「あなたのお店の食べ物が好きなんです!そこから発想した作品を勝手に作らせてください!!あなたにもプレゼントしますから!!」だと、ツッコミどころが多すぎて不快に思われてしまうかも…と思いました。なんらかの大義名分があった方がお店の方を混乱させずに済みそうと思い、元々参加予定だった「+P17ポストカード展」を利用することにしました。
「+P17ポストカード展」は、会場である大通駅の創成スクエアにて、作家さんのオリジナルのポストカードを購入できる販売会です。このイベントは参加費さえ払えば誰でも5種/10種のポストカードを委託販売できるのですが、私はなんかたまたま勢いでポストカード10種で参加していました。
「この販売イベントに参加する予定なんですが、実は好きなお店の好きな食べ物モチーフでポストカードを作りたくて、あなたのお店の食べ物をモチーフにさせていただいてもいいですか?その代わりってわけじゃないですけど、お店のことも紹介させていただくので…!!!!!!」とお店の方に言ってみれば、最小限の混乱で私の話を聞いてくれるかもしれないと思いました。
実際、この作戦がどれくらい効き目があったのかちょっとわかりませんが、お電話させていただいた5つのお店、全てに「良いですよ」と言ってもらえたので、とても嬉しかったです。同時に、お店の名前をお借りして作品を作るということなので、絶対良いもの作らなきゃってプレッシャーでわぎゃ〜って感じでした。
実践1(8月)のだいたいの概要
手作り感と量産を諦めきれず、判子で表現
ということで、私は許可をいただいたお店の食べ物をモチーフとした、お店の宣伝にもなる「食べ物はんこポストカード」を作るに至りました。
なんでわざわざはんこで作ったのか。
今考えるとこれにはいくつか理由があるんですけど、まず、ポストカード展の規定に、「量産可能なものを販売してください」っていうのがありました。
私は、「ごちそうさまカード」を作ったときと同様に、お店の食べ物をモチーフにさせてもらうにあたって「手作り感(お店の方へのリスペクト)」「滲みや盛り上がり感、質感(本物に近くて美味しそうに見える見た目の追求)」「同じ材料を使っても一つ一つちょっとずつ違って現れる感じ(お料理に似た要素)」はこだわりたいな〜と思っていたのですが、
「量産可能なものにしてください」の注意書きがあったので、絵の具やクレパスなどで手描きで一枚一枚ポストカードを作るのはちょっと無理があるか…となりました。
かといって、デジタルでイラストを描いて印刷して量産、というのも、一応手描きではあるけど手作り感と絵肌がな〜〜〜!まあ一応ファンシーペーパー使えば手触りザラザラ感演出できるけど、印刷感がどうしても強いよな〜〜!!!印刷感が強い食べ物ってちょっと変な気がする!とモヤモヤしていました。
そこで、量産と手作り感の両立ができそうな消しゴムはんこの手法を用いることにしました。ハンコ一個一個が手作り、ポストカードの絵柄が一個一個手押しです。
はんことポストカードができるまで
①ハンコを作る
②絵柄の量産
③完成!
こんな感じの流れで作っていました。
ポストカードのこだわり
たまたまポストカード10種で応募していたので10種作った(めっちゃ大変だった)んですが、各店舗2種類ずつ作ったのは今思えば正解だったような気がします。
たくさん種類があると、みてもらった人に「買う/買わない」の選択肢にプラスして「Aにする/Bにする」みたいな、なかでも気に入ったものを選ぶという感覚をもってもらえやすいと考えています。購買意欲に一役買ってくれたのではないでしょうか。
さらに今回は、MITTSUさんに「ごちそうさまカード」を渡した時の反省をへて、お店を利用している私の体験を紹介するエッセイ漫画を制作しました。
この漫画を作ってポストカードに同封した意図は、「作品(ポストカード)とイベントのお客さんを橋渡しすること」でした。
手に取ってくれた人に「このポストカードは、札幌の実在のお店に許可をもらって、実際に販売されている食べ物をモチーフに作らせてもらったものです」と理解してもらうことが、まず私の狙いを叶えるための第一歩だと考えました。
ここがうまく伝わらないと、お客さんに思ってほしいな〜と思っていた「これかわいいな」「お店に興味が出た」「作者さんが美味しいっていうなら行ってみようかな」というような気持ちにたどり着く前に、ただ「よくわかんない」と思われてそれ以上関心を持ってもらえなくなるな…それは避けたいな…と思いました。
完成品全体が下のようになっています。この写真はイベント会場に配置してもらったときのものです。我ながらかわいいぜ〜。
計5軒、一つのお店につき2種類ずつポストカードを作らせていただいたのはさっきかいたと思うんですが、一つはハンコの絵柄が単体で際立つものにして、もう一つはハンコの絵柄を使ってひねりのあるものを作るのを意識しました。
前者は「食べ物そのもののかわいさを強調して、お店で食べ物を選んでもらうときの感覚を表現」をイメージして作り、後者は「その食べ物を実際に買ったときの体験を思い出してモチーフを考え、構成したデザイン」になっています。
ひとつひとつのデザインについても詳しく解説したほうが(あとで論文を書く身としては)良さそうみたいやね。簡単に書いておきます。
【ポストカード:ベーグル・焼き菓子類販売店「アズィーベーグル」1】
ベーグルのまるっとした商品の感じを表現しようとしたやつです。
お店のロゴを商品タグみたいに配置しました。はんこの絵柄が綺麗に見えるように表現することを頑張りました。
【ポストカード:ベーグル・焼き菓子類販売店「アズィーベーグル」2】
このお店は、ベーグルを選ぶときにクラフト紙を敷いたカゴとトングを渡してくれるのですが、その様子から既にウキウキするし、見た目もかわいいんだよなあということを思い出しながら作った絵柄がこれです。チェックがらはカゴの作りをイメージしています。
【ポストカード:ベーグル専門店「ここのわ」1】
ベーグルならではの円状のまるっとボディを商品のように表現したやつです。白い紙に綺麗にハンコを押し、それを切り取ってポストカードに貼っているので、綺麗に色が出ています。
【ポストカード:ベーグル専門店「ここのわ」2】
ここのわさんでベーグルを買うとき、お店が遠くておいそれと通えないので、いつもたくさん買いだめるのですが、そのために毎回店内の買い物カゴを利用しています。そのカゴの形が孔子柄のように見えるのですが、そこから発想して絵柄を作りました。
【ポストカード:マフィン・焼き菓子類販売店「BAKED MUFF」1】
実はこの食べ物単体を表現しているタイプのポストカードは、どれも同じコンセプトです。なので「商品の感じを表現しようとしたやつ。お店のロゴを商品タグみたいに配置。はんこの絵柄が綺麗に見えるように白い紙に綺麗にハンコを押し、それを切り取ってポストカードに貼っている」とほぼ伝えたいことは同じです。
【ポストカード:マフィン・焼き菓子類販売店「BAKED MUFF」2】
BAKED MUFFで商品を購入するとクラフト素材の紙袋に入れてくれるのですが、その時のワクワク感、紙袋から購入したマフィンがチラッと見える感じを表現したくて、「紙袋に入ってる風のデザイン」にチャレンジしてみました。
【ポストカード:サンドイッチ専門店「もぐもぐ」1】
「商品の感じを表現しようとしたやつ。お店のロゴを商品タグみたいに配置。はんこの絵柄が綺麗に見えるように別の紙に綺麗にハンコを押し、それを切り取ってポストカードに貼っている」
【ポストカード:サンドイッチ専門店「もぐもぐ」2】
もぐもぐさんのお店では、サンドイッチが一切れずつ個包装されて、断面が見えるように販売されています。それが冷蔵庫の中で整頓されてびっしり並んでいる様子の充実感ってすごいんです。その時の見た目をイメージして表現したものになっています。
【ポストカード:チーズ・乳製品販売店「Table of Grace」1】
「商品の感じを表現しようとしたやつ。お店のロゴを商品タグみたいに配置。はんこの絵柄が綺麗に見えるように白い紙に綺麗にハンコを押し、それを切り取ってポストカードに貼っている」
【ポストカード:チーズ・乳製品販売店「Table of Grace」2】
私がこのお店で買ったチーズの一つに「マスカルポーネチーズ」があります。お店が発行している情報誌に「パンにハチミツと一緒に塗って食べるのがおすすめ」と書いていたのでやってみたら、めちゃめちゃ瑞々しくて雑味のないクリーミーな味わいが焼いたパンと蜂蜜によく合って美味しかったです。その時の様子を表現しています。
ポストカード展終了後、反省
結果、全部で合計27枚売れました!ありがたい!!!!!!
どういう人に売れたのか、買ってくれた人はどんな反応をしていたのかっていうのは、現地に常にいることはできなかったので、把握できませんでしたが…。
とはいえ、ツイッターでイベントのタグを検索すると、私のポストカードを写真で撮って「買いました!」「札幌に実際にお店があるらしい」の報告をしてくれる人をちらほら見かけることができ、とても嬉しい気持ちになりました。
また、「+P17賞」という、運営側の方々が選定する賞に選んでいただけたりしました。参加者番号のところにキラキラのリボンをつけてくれています。
この賞、実は狙っておりました(まさか本当に選んでいただけるとは思っていませんでしたが…!)。いろんな方に買っていただいて、賞までいただいて、とても嬉しかった…のですが、
イベントを終え、感じたことは「あ〜、やっぱり対人でこのポストカード販売したいよ…このポストカードを気にかけてくれたり買ってくれる人の反応をそばで見たいよ……」と思いました。
それは、自分の伝えたいこと(このお店めっちゃおすすめだからよかった行ってみてね…ということなど)がちゃんと伝わったかどうかの手応えが全然なかったこと、ポストカードがちゃんと、手に取った人を喜ばせられるような出来になっているかどうかの不安が拭えなかったことが理由として大きかったです。
おそらく、「賞をいただく」と「お客さんのウケがいい」は必ずしも結びつかないから、不安になったのもあったんだと思います。
ここだけの話、作り上げたポストカードの出来が個人的には微妙(技術不足が祟ったのと、〆切との兼ね合いで思い通りの絵柄が作れなかったものもあった)で、「もうちょっと可愛く作る予定だったのに…」ってお店に対する後ろめたい気持ちがすごかったんよね
手に取った人をよろこばせることができない(できていたとしても、実際にそれに鉢合わせていないので、実感が湧かない)のに、これを作品と呼んでいいのだろうか…もっと良いものに作り直したりした方がいいのだろうか…こんなんじゃ許可をくれたお店の人に顔見せできないにょ!!!!!!!!!と病み散らかしました。
この不安はのちにめっちゃ自分の首を締め絞めし、10月くらいまで呪いの如く私の背後に乗っかってきます。
実践2(10月)をする
八百カフェへの参加
自己満足活動(お店の人に感謝を伝え、それを受け止めてもらうことで嬉しい気持ちになりたい!あわよくば相手も嬉しい気持ちになってほしい!の気持ち)で始まって進めてきたこの活動ですが、だんだん「誰かから反応が欲しい!」と思うようになっていました。
これは、「ヒャッホウ!!もっと評価されてえ〜〜!!」というような欲が出てきたというよりは「自分の作品に自信が持てない!!このままじゃお店に顔向けできない!!!助けて!!これっていい作品になっていますか!?!!」という鬱感情によって突き動かされた気がします。
そこで、お客さんと一対一で、お店のことに関する会話も交えながら、ポストカードのことをもう少し深くお話しできるような対面イベントないかな~と思っていたら、うちの大学が主催してる地域交流マルシェ・八百カフェが10月にあることがわかりました。
なのでそれに参加し、お客さんの反応を間近で見よう!と意気込みました。
当日・10/2(日)、朝8時半くらいに大学構内に集合し、与えられたブースにて作品を設置し、9時くらいからイベントがスタートしました。積極的にお客さんに声かけしてみました。
<第三者(お客さん)との関わり合いが叶った>
会話録:
「このここのわさんって川沿のだよね?おいしいですよね~」
「ああ!ここ東札幌のとこじゃん(アズイーベーグルをさして)」
「今度ここのサンドイッチやさんに家族でいってみます」
「切手貼れば送れるよね?こういうの好きなお友だちに送るね」
(お客さんの反応を見ることができた いろんな人が手に取ってくれる作品にちゃんとなってたんだ…と安心した 逆にいうと今まで不安だった
→八百カフェという対人販売を通して、初めて「裏を見たらエッセイ漫画があるってわかるけど、気づかないまま通り過ぎてしまう時もある。勿体無い!」という指摘をしてもらい、あ〜そういうこともあるのね…と気づくことができた。)
Never mind the booksへの参加
(「ごちそうさまレポートカード」の作成、頒布…まだ帰ってきたものはないけどね!)
(複数枚買ってくれた方もいた、ありがたや)
(ここの記憶、「ごちレポ」の作成の思い入れとたくさんの方の手に渡っていったことの嬉しさしか記憶ないやね)
実践3(11月)をする
お店に「ありがとう」を言いに行こう
お店に「ポストカードのモチーフとして使わせていただいてありがとう!」のお礼をしたいと思ってたのにずっとしてなかったので、しにいく
手土産がわりに、お店のポストカード作る時に使ったモチーフを応用したマスキングテープを持っていく(使ってくれたら嬉しいけど、それを求めてはいけない…だって用意したのは私の勝手やから…)
っていうのを先生に相談したとき、
・お店に行く時、何かしらの仕掛けを持っていくといいよ!(構想練っていく、この活動に関してのこと… どんなところに心の変化があったのか…みたいなことも述べる)
・八百カフェ、ねばまのことも言うといいな…お客さんがお店のこと言っていましたよ とか
・活動名も考えよう(消費して終わりではなく、消費する側もものづくりの人になりうる)
・模倣の法則(模倣は社会活動の基礎)(社会とは模倣によって…)→じゃあ、模倣されるものとは何?(模倣こそが本質的なやりとり)
社会の内なる部分から社会の外なる部分へと移行していく(のが模倣?)→消費者が新しい製品を求める→消費経済は模倣の反復によって作られている
となった。
<お店(つくり手)との関わり合いが叶った>
■テーブルオブグレースにて、会話録
()内はみかみの言葉または補足説明、それ以外はお店の方より
■ベイクドマフにて、会話録
■アズイーベーグル、会話録
卒研を振り返って(考察、まとめ)
活動名、考えてみるか
・「焼き焼きるんるん」みたいな手軽さが欲しい
・自分の思想が説明しやすいネーミングにしよう
・自分や誰かを幸せにしたいという気持ちが原動力になっている
・たくさん考えて(たくさん思考をこねて)何かを生み出している
・手作りの品を届けに行っている
・美味しい
・食べ物
・てごね
・てづくり
・工房
・製品というよりは、食品加工品
・〇〇宅急便
・〇〇配送便
・〇〇配達便
・〇〇飛脚便(歩いて渡したり会いにいくから)
・「づくり手」たち?
タイトルまじでどうしたらええの
私にとって興味関心のある「食」というジャンルにおいて、日頃お世話になっている飲食店を経営する店主さんの世界や価値観(これがやっぱ最初の前提になる!!!)を感じ取って、それに触れ、いちファンとして私が「好きです!」の気持ちを込めた作品を作り、あくまで第3者の視点でお店の名前とともに販売活動をし、他のファンやお店の方と繋がっていく…という流れで活動していた。
そしてこの活動は何より、私が自分の生きやすさを生み出すためにしていた活動だった。だけどそれが回り回って、誰かにとっても生きる喜びの一部になってくれていたのかもしれない。
店主の生き様を感じ取って、それをリスペクトする作品を作り、第三者に共有することで、自分の生きる楽しさを開拓していく、そして他者や店主の人生に、人生を明るくするもの(希望的観測)として組み込まれていく…
こんな感じなのかな…