湊の人生振り返ってみました②
小学校高学年5年生の時に
父が、新しいお家を建てたので、京都の常盤小学校から長岡京市の第七小学校に転校しました。
女子とは、あまり仲良くなれず、一部の男子と良く遊んでました。
活発だったので、ブランコ遊びで、飛び降りたり、学校内で、探検ごっこをしてましたね。
仲良くしていた男の子がいたので、女子など周りには、妬まれていた気がします。
もうこの頃から妬みをかっていたんだなあと!
妬みは、何故か?目立ってしまう方なので、常々起こるからこれが、邪魔くさくなり、自分を出すのが嫌になりました。
何故?目立つのかは、それこそマイダンジョンカード、GODSEAL、3Logicで、その意味を知って納得できました。
特に中学、高校が女子ばかりだったので、私だけじゃなく、妬みは当たり前な感じでしたね。
特に中学時代は、仲良しグレープを作って遊ぶといった感じだったのですが、それに馴染めず、話したい子と話したり遊んだりしていたら、あるグループから呼び出され、ある女の子から私の相棒を取らないで!あなたは、疫病神と言われたりしましたが、何言われてるのか?わからず、この人達?大丈夫か?といった具合に冷静な女の子でした。
たがら、学生時代は、生きにくかったなぁと思い出す。
だから今子供達の中で、生きにくいと思った子供達も大丈夫!
大人になると自分でいろんなこと自由に選択出来るので、だんだん楽しくなってくるかねーと伝えたい。
子供時代は、生きにくくても大丈夫だよ。
生きにくいと思っている子やそうだった大人もたくさんいるから。
お友達に合わせなくても大丈夫。
学校嫌なら、行かない選択もありだと思ってる。
ただ、学校行かない選択をするにあたり、ちゃんとどうして行きたくないのか?
ここからどうしたいのか?
どうしていくといいと思っているのか?わからなくてもいいから、ちゃんと子供自身に話させて自分の考えを確認していく必要はあると思っています。
自分の本音にうそ付かずに周りに伝えられる事をできる事ってとっても大切だと私は思っています。
これが、自己受容自己愛の根源だと思うのです。
話は、私の事の話からズレた気もするけど、私は、子供の頃自分の考え話すことの機会がなかったから自分でも良くわからなかった。
母に頑固と怒られたけど、自分の考え説明も上手く話しもできなかったからこそ、自分の考えを話せるようになる事の大事さを今更ながら思います。