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御刀さんがやってきた 7月になった

【7/11 日】

あっという間に7月になった。図書館が開いたので昨日総合図書館の方をチラ見してきた。工芸品と郷土資料のコーナーにいろいろありそう

●日本刀の研究と鑑賞(古刀編)P442
ディスられがすごい。美しくはないが実用的(意訳)て感じ。あと、この本にも大友宗麟が宝満山を焼いたので衰退したって書いてある。
備前刀の話が豊富なのと、巻頭に長船のお写真載ってるのはちょっと嬉しい。神社行ったよ!
お寺の方、黒田家のお墓と目薬の木は拝見したけど刀匠さん達のお墓もあったのは存じなかった。めちゃ古いお墓が並んでたので、あれだったのかな

●郷土刀の系譜
いろんなところの郷土刀の銘と所在地がひたすら並んでいる。有名無名関係なく、分かるやつ全部並べた感。新刀・新々刀が多い。銘だから「金剛兵衛」じゃなく「盛〇」で書かれてるんだな…関係者かどうか分からん…よその盛ナントカさんかもしれん…
筑前 袖湊、大宰府。袖湊は架空の地名のような…?
豊前 阿南、杵築、日出、高田あたりに盛~さん。日出に新々刀(天明)の吉盛さんがいるけど、関係あるかな…ないかな…
肥前 神崎に盛吉さん(慶長)
P310からのエッセイが楽しい。加賀の刀の話が多いな?あと二王刀持ってた戦時中のパイロットの話とかある

●日本刀の歴史と鑑賞 P114  30室町時代の刀剣の背景
直接金剛兵衛の話されてるわけではないけど、需要があがったことによる鍛冶の組織化の話など。武器だけでなく農具も普及が進んだっぽい
あと、豊後高田鍛冶のところで〇盛さんとか盛〇さんとかのお名前多い。関係あるかな

●九州史料落穂集
郷土資料コーナーにあった。2と3が高田鍛冶の話っぽい。関係あるか分かんないけどとりあえずメモ
同じ棚に大分近辺の武家?の……なんだこれ帳簿……?を現代仮名遣いにしたやつがめっちゃ並んでるけど手書きなのでちょっと…今度読む…
このへん、地元ぃーの独自研究みたいなやつがいっぱい並んでるからまたお世話になりそうかも

あと、ざーっと流し見た限り、太宰府関連の本だと大友さんは宝満山で厳しく検地を行ったとあるけど焼き討ちしたとは書かれてなかったりしてよく分からん。焼き討ちは検地に含まれるんです?(バナナはおやつに入りますか)
宝満山の発掘調査資料とかもあった。ちょっとずつ読もう

市博の方、もうすぐ徳川家の特別展があるんですが、先駆けて企画展が始まってたので見てきた。わーいすごい豪華!!
…その目でよぉぉぉーーーーーーーく見ると、長谷部さんとか安宅切さんとかもうちの吉盛さんと同じようなポチ(黒点)がありますね…安宅切さんは結構たくさん……逆に城井さんは超つるつる
じゃあやっぱこのポチは普通なのか。よかったーーーーー

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【7/18 日】

市博の特別展始まったウォー

めっちゃ豪華ですね……天下人だし奉納されたものだから当たり前かもだけど日用品から武具に至るまでなんか…良いやつしかない……(庶民の感想)
個人的に家光さんのフクロウの絵が好きでした。絶妙にゆるい(笑)
当時、将軍に絵をもらった家臣が宴を開いたりしてたらしいんですが、確かに一番偉い上司からこの絵をもらったら宴開くかもしれない。ちょっと一人で抱えるの無理。ギャップ萌えで死ぬ
それはそれとして刀すごかったです。序盤で見たソハヤノツルキと真恒は言うに及ばず、後半並べてある歴代の奉納刀も。華やか系から強そう系からきれいめ系までどれも美しすぎてオアーーーーーとなる…目の保養…
最近旅行してなかったから久々に楽しいを全身に浴びた。浴びすぎて初日お昼寝した。はーーーーー

九博の方もそろそろ特別展あるから行きたいなあ。国宝に指定されたばかりの展示品が4つくらい来るはず。ついでに4階で金剛兵衛さんつながりの何か(何)とかも見れたらいいなー


【7/29 木】

7月終わりそう!!


【7/30 金】

そういえば九博のHPにこんなんあった

九州国立博物館アジア文化交流センター研究論集 大宰府学研究
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_dazaifu.html

第一集 第6部 山岳信仰と宝満山
めっちゃ難しい。でも助かる。以下メモ
2章
・発掘調査(巨岩のとこ、崖下にぶん投げられた瓦など)によると、宝満山の信仰は8世紀あたりから古代祭祀的なやつがあったっぽい。空白期を挟んで、仏教色が強くなったのは11世紀ごろで、山岳信仰の草創期はたぶんこの頃。
3章
・宝満山の別名に三笠山、竈門山
・竈門神社のご祭神は玉依姫命。相殿に神功皇后、応神天皇。鎌倉期の「竈門山宝満大菩薩記」には御祭神の宝満大菩薩が神功皇后の姉だと書かれている。香椎宮と同時期に建てたって御由緒だって!へえ!
・平安後期から鎌倉にかけて、竈門山の大山寺では対外貿易も行われていた
・蒙古襲来を契機に修験化が進み、さらに英彦山を胎蔵界、宝満山を金剛界とする儀軌(儀式とか規則)も整っていった
・有智山城の落城とか大友氏による山岳寺院の城塞化(宝満城)とか福岡藩による復興とか英彦山ともめたとか
・そして明治5年に修験道廃止。その後いろいろあって地元のお祭りが行われたり九州登山客数No1になったりしている
4章
・八幡神のおばが竈門の神
・8世紀~外敵から国土を守る&鎮護→9世紀~渡海の安全も→蒙古襲来~修験道が加わる
・陸の交通の要所。対外交流も盛んで輸入品の陶磁器とか中国の経典とかも見つかった。南宋貿易
・宝満城は岩屋城の戦いの後、島津軍に降伏。建物の多くが焼けた
・豊臣さんとか小早川さんも復興に携わっている
・明治の廃仏毀釈で修験道解散するも、1982年に峰入り復活
5章
・宝満山遺跡群、めっちゃ広い。市をまたぐ
・7~8世紀 山裾の居住空間&山中キャンプからじわじわ祭祀場とか
・11世紀後期の遺跡から鍛冶炉数基。刀剣や鎧が見つかる。山中が寺内町みたいな感じだったっぽい
・下宮礎石群の規模見るかぎり、大宰府観世音寺講堂跡、宇佐弥勒寺講堂跡に次ぐ九州屈指の建造物
・水の要所を山岳寺院がおさえてたみたい
6章
・竈門神社の「竈門山旧記」によると大友氏の検地で宝満山の坊舎(山麓にあった)が大打撃を受け、修験者たちが宝満山山頂に二十五坊を建てた
・宝満城の兼ね合いもあり山岳宗教遺跡の典型例かちょっと断言できない詳しくは論文で!

たまに論文同士で内容ケンカしてるけど、諸説ありってことなんかな…
大友氏の検地によってテリトリー的な意味で「今日からこのへんウチの土地な!」て山頂に追いやられた説と、「お前ら使えるから今日から俺の部下な!とりま異動先は山頂で!」された説とあるっぽい?焼かれてはいない。
参考文献いっぱい載ってる!あと10年ちょっと前に九博で企画展があったんですね?図録あるかな

金剛兵衛一族は鎌倉後期あたりから作刀し始めたらしいので、修験道が盛り上がってきてた頃?宝満山丸ごとくらい都市化した山岳寺院があって、寺院の中に鍛冶場がいくつもあって、対外交流も盛んで外国の経典や器とかがたくさん入ってきてた時かなあ。もしかしたら元寇で交流というより戦闘準備でバタバタしていた時に始めたのかも。そこから室町時代に宝満山が武装して、修験道が落ち込むまで刀作ってて、戦国~江戸時代で支配者が入れ替わり始めた頃に、細川家について熊本に移動していった感じ?
吉盛さんは、まだ太宰府にいた頃だとしたら、ちょうど大友氏が宝満山に来て、山伏達が山頂に移り住んだりゴタゴタしてた前後~岩屋城の戦い、くらいのお生まれですかね……城塞化した宝満城の鍛冶場で生まれたのかな

参考文献、図書館で見つかるかなー。九博の図録もあるといいな

【7/31 土】

来月からまた引きこもり月間だそうな。まあそうなるよね…
我が家が全員ワクチン済になったのが救い。あと2週間でみんなフルチンだ(言い方)。職域接種も順調だし、うん。

ネットの海でこんなのを見つけた
いい仏壇 仏教と「山」 ~山岳信仰と仏壇の関係
https://www.e-butsudan.com/guide/1778/
仏壇って山の表現だったのか…須弥壇なるほど。
うちの吉盛さん、仏壇の隣に置いてるんだけどそういう意味では合ってるんかな。宗派違う気がするけど

何かこれ一回どっかにまとめとかないと消しそう。どっか置く。

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