愛の対義語
よく愛の対義語は憎しみや、無関心などと耳にします。
ですがその愛は偽物だったと私は思うのです。
憎しみであるとしたら、その裏には期待が隠されています。
本当はこうしてほしかった。
なのに裏切られたと思い込みます。
こんなに愛していたのに、地獄の縁まで呪ってやる。
これは違うと思います。これは執着です。
無関心であるとしたら、その人の世界には存在できません。
愛される対象も見つかりません。
どこまで行っても平行線で、交わることはありません。
これも違うと思います。
人間対人間の視点だと、求愛行動や生存本能から来る、ごくごく自然な営みに過ぎないと思いました。
本当の愛は、たった今確信しました。
今見ているこの次元がすべてで、怖がってもいいし、包み込んでもいい。
何を思ってもいいし、何かに吸い込まれて集中してもいい。
どうせ自分にとって学びでしかないし、自分が自分である限り、遅くても早くても、何をやっても結局同じ。
諦めました。もしくは、もう止まらないので全部お任せします。
その代わりおもしろいもの持って来い。
やっと言語化できました。
ここまで本当に長かった。
愛の対義語は存在できません。
美しい。