2024.3.29 後悔するなら
おそらく人生で初めて参列するお葬式。逝去したのは配偶者の母の母。何年か前の正月に一度会ったことのある人だ。
私にとってその人との思い出は無いに等しく、実際のところ近い親族ではない。しかし故人と深く関係のあった人々の気持ちを想像することはできるので、親族が悲しむ様子には心が痛み自分も涙を流した。
立派な棺の中におさめられたその人はいい夢を見ているような表情に見えた。思い出の品と写真、生前関わりのあった人たちから沢山の花を添えられた。喪主(私の配偶者の母の妹)は故人の顔周りの花を綺麗に整えたり、言葉を掛けながら頭や頬を撫でていた。
不謹慎だが私はその儀式の中で時折、昨年亡くなった母方の祖母と父方の祖父を思い出していた。二人の葬式には仕事と遠方を理由に参加することができなかった。
祖父母が人生を過ごした延岡という場所は広島から片道6時間程度かかる。通夜・葬式どちらか片方のみの参列だとしても少なくとも3日間は仕事に穴をあけることになり、それは確かに厳しい状況だった。
しかし私が不在だと回らないなんてあり得ないし、私や配偶者が居なくても自走できる組織を目指していたのに。
配偶者は今回の葬式に参列するため、本人だけではなく私まで参列する手筈を整えた。短い時間の中で準備万端まで整えた。私の時は「え、もしかして行くの?」という雰囲気だったのに。
別れを惜しむ家族と美しく見送られる故人。その儀式の中にいると、私も自分の祖父母を他の親族と一緒に見送ったり、思い出を振り返ったりしたかったなぁと悲しくなった。
こんな他責的な見苦しい後悔をするのなら、誰かに迷惑をかけてでも延岡に行けばよかったな。
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