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周回遅れのローライ35、しかし…。

フィルムブームはいまだ健在なのか、去ってしまったのか、どうなのか、僕にはわからない。カメラもフィルムも高止まりがひどく、一時期より僕は明らかにカメラ業界に「失望」ないし「反感」を抱いている。だから僕は、以前よりカメラ業界を熱心にウォッチすることをやめてしまった。

それでも、かろうじて僕が写真「そのもの」をやめないでいるのは、写真を撮ることが世の中を覗く窓だと認識しているからで、これをやめてしまったなら僕はただの引きこもりになってしまうだろう(僕は引きこもり経験者である)。

そんな中、手に入れたローライ35である。

ほかのカメラは諸事情により、もうない。写真を撮るにはこれを使うしかない状態である。

数年前、世の中はたしかにフィルムブームだった。ナウなヤングがエモい写真を求めてフィルムに飛びついた。いや、ヤングだけではない、写真趣味者なら誰もがフィルムカメラを持っていた。

かつてフィルムはアツかった。

とりわけ、否応なく記録される自分の至らなさがいい。水平が甘い、露出が甘い、ピンが甘い、全部自分のナマの感覚だ。それが「残る」。それを「至らねぇなあ」と思いながらニヤニヤ眺めるのが好きだった。

さて、ローライ35である。

僕が一番フィルムに熱を入れていた時期はとうに過ぎ去り、また、世間もおそらくそんなにフィルムを推しているわけでもない。公園を歩いていても、だいたいは高倍率ズームを付けたデジタル(ミラーレス)カメラで溢れかえっていて、僕のようにフィルムで、しかも、単焦点しか使えませんというカメラは少数派になってしまった感がある。

いわば、いろいろな意味で「周回遅れ」のフィルムカメラである。

しかし、だからなんだというのだろう?

世の趨勢からズレていることを極端に怖がってたってしょうがないだろう(とは言え、僕は極端に世間からズレたことをする気にはなれない臆病者である)。

それから、フィルムを使えばおそらく失敗の山を築くことになるが、それもアマチュアの特権だと思ってヘラヘラ笑ってやり過ごしている。これが仕事だったらたまらないだろう(一応、僕はプロの現場で働いたことがある)。エラーの類を「これは味だ」と思おう、なんてのはちょっと甘いかも知れないが、それくらいの偶発性を写真の中に取り込んでもいいではないか、と思う。

ローライ35 + イルフォード XP2 スーパー

さて、この写真だが、たいしたことない写真に思うかも知れない。しかし、僕は思う。写真は原初、たいしたことない風景を撮っていた、と。そのたいしたことなさの中にちょっとした面白さ、はっとする瞬間を発見するのが僕が目指すところである。

写真は必ずしもすごくなくていい。そのためには、周回遅れのカメラでもまったく不足はない、と僕は信ずる。

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