プログラミングは無視
旦那がいない夜は大体親友とオンライン飲みをしている。6時間以上はザラで、酒を飲みお菓子を食べながら永遠としゃべり続けている。直接会っても話すことが尽きない、気の置けなさすぎる親友だが、遠く離れても関係が変わらないのが嬉しい。コロナ渦でオンライン飲みがメジャーになったのも有難すぎる。
親友の尊敬している部分は数多くあるが、その中でも最近心から「羨ましいな」と思うのは「虫が怖くない」というところだ。散々述べているとおり、私は虫だ駄目だ。怖い。とくに、やっぱり、想像通り予想以上に、島の虫はデカい。羽音もデカい。少し距離があっても見かけるたびにビクッとしているので着実に寿命が縮んでいる気がする。
東京で、例えば渋谷のスクランブル交差点で島の蝶々が飛んでいたら皆もとんでもなくびっくりするだろう。華麗な蝶々が、可愛い雀くらいの大きさなのだ。youtuberがふざけて飛ばしたおもちゃかと思うかもしれない。人々は足を止めてスマホを掲げる。点滅する信号。鳴り止まぬクラクション・・・くらいまでは想像できる。
先日のオンライン飲みでも私の十八番「この前ここでこんな虫を見た!こわい!」話を繰り広げていたのだが、親友が「虫の行動パターンは決まっている」という話を聞かせてくれた。出典は不明だが何かの本で読んだらしい。「□□を見つけたら◎◎する」、「〇〇が起きたら△△する」という風に、まるでプログラミングされてるか如く決まったパターンで動くというのだ。
虫はプログラミングされている。途端にSFっぽく感じられ、虫への恐怖が4割ほど減った(気がする)。
要するに、虫は私を見つけたから羽音を轟かして飛んでくる。私がギャアと叫ぶのでさらに付近を飛び回る・・・というプログラムが仕込まれているのだろう。ならば私はプログラムが作動しないようにするしかない。虫の視覚に入らぬよう道を歩き、仮に飛んできてもギャアと叫ばない。これを心懸けてこの地で生活を送ろうじゃないか。
ここでふと思い出したのはディズニーピクサーの映画「バグズライフ」だ。虫が大嫌いな私でもこの映画は別。ストーリー性、台詞回し、映像美、音楽、日本語吹き替えのクオリティ・・・どれをとっても素晴らしい。大好きな映画だ。こんなに虫の悪口を書いときながら虫の映画は大好きというブレブレの筋が通っているのが私だ。
バグズライフの蟻とバッタもプログラミングされていたのだろうか。蟻たちはバッタに脅かされながら来る日も来る日も餌を集め続ける。バッタたちは季節ごとに蟻の巣へ行き搾取と恐怖政治を敷く。ずっと同じことの繰り返し。しかし、疑問を抱いた主人公フリックがプログラミングを壊そうとした時に、物語が始まった。
私もフリックみたいに物語はじめたい。この島の虫のプログラミングを壊してやろうか。さもすれば虫に脅えず怖がらず、仲良く共存できる世界が開かれるかもしれない。
なんてことは一寸たりとも思えないので、今日も殺虫剤片手に部屋の隅々まで目を光らせております。
⊂二二二( ^ω^)二二⊃ブーン