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けふこ香りの旅

原体験


幼稚園児の頃、母がリヴ・ゴーシュ(イヴ・サンローラン)を使っていたのをおぼろげに覚えています。70年代初め生まれのグリーン・フローラルの傑作です。ターコイズブルーとシルヴァーと黒の縞の太軸ボトルが子供心にかっこよかった。
いま思えばハハが心ならずも小学校教師を辞めて、美術家になりたかった志を娘二人分の育児や自身と家族のスタイリングに注いでいた頃だった。妹と私用に隨分服も刺繍入りの袋も作ってもらった。このもうれつなエナジーをハハはのちに塾の起業経営に注ぎます。子どもの頃に作って貰った服や袋の写真は実家を探すとどこからか発見されるかもしれません。
この頃ハハが着ていたリアルタイム70年代スタイル服は80年代をくぐりぬけ、私が大学に入った90年代にもろもろお下がりになって現れたことも思い出されます。
物持ちがよい。

1980年代

父親の仕事の関係でドイツの現地校に通っていた小学生の頃は、4711の香りを嗅いでは「う〜ん良い香り」ってなってました。当時家族で暮らしていた家に大瓶があったのはおそらく母が買ってきたのでしょう。
当時暮らしていた街のカトリック大聖堂音楽監督夫人が日本出身の声楽家で家族ごと親しくしてくださり、なにかと大聖堂系のコンサートに行く機会も多かった。11世紀に献堂された大聖堂のロマネスク式巨大建築のしめった石壁のにおいや香炉から漂うぱきっと乾いた乳香の香りもよく覚えています。週末になると父に連れられて家族で回った城塞史跡のざらりと湿った岩壁やリーメス跡の煉瓦壁のにおいもよく覚えています。史跡がすきすぎて「おひめさまだいくさん」と称してお城の図面のようなものをひいて喜んでいる子どもでした。
帰国してから、住んでいた街の市立図書館にあった熊井明子さんの著作を読んでポプリに夢中になりました。原宿の「生活の木」にはよくお世話になりました。親たちも決して安くはない資材をよく買わせてくれたものだと思います。子どもの教育のために本と資材にはお金を惜しまない環境が今の私を作ったのだと思います。公園の檜の葉をちぎってはどうすると香りが抽出できるのだろうと考える子供でした。
なぜ建築や香粧化学を目指さなかったのか。

自覚的に使い始めた最初の香粧品はケルニッシュ・ヴァッサー4711でした。中学生のときでした。ドイツからの帰国生で、4711がとても身近だったからという説もある。4711シリーズには通常バージョンのほか、薄荷増量アイスヴァージョンもあって清潔感ゆたかで、中学生から高校生にかけてはずっとこれでした。生々しい人間の気配を自分から消したかったのもある。
そういえば資生堂の若者向けコロン各種も洗面所においていたなあと思い出されますが、強く印象に残っているのは4711シリーズです。
高校は私服校でした。もっぱらアイヴィールックで通っていました。ピンクのオクスフォード地のシャツとダークネイヴィブルーのニット地のプリーツスカートが気に入っていたのをよく覚えています。いまのティーンエイジャーが親しんでいる制服スタイルとはひと味異なる感じです。
背伸びしたお洒落に果敢に挑戦するお友達から、当時たいへん流行っていたプワゾン(クリスチャン・ディオール)やビザーンス(ロシャス)やSASO(資生堂)を嗅がせてもらって「おとなの香り〜」とはしゃいだことなども思い出されます。

1990年代



大学はきわめて男子学生の多い学校だったので、日々気持ちを奮い立たせるために香りを必要としていました。当時は学生アルバイトの給料もまだ良かった頃、一人暮らしをするには足りないものの、CDや本や映画や在京オケ学生席のチケットや香粧品にまだしもお金が使えたのでした。
実家暮らしのころは糖衣としての香りをよく使っていたように思います。ホワイトフローラルです。メタル(パコ・ラバンヌ)とか、レールデュタン(ニナ・リッチ)とかホワイトリネン(エスティ・ローダー)とか。
でも、レール・デュタンだと闘えないのよね。
メタルは瓶の意匠もバウハウスやル・コルビュジエを連想させるモダニズム建築ふうで、香りもすっきりと鋭角で、文系不良少女ごころを満たしてくれました。
フルーティフローラル人気のころで、私もご多分にもれずローラアシュレイNo.1とプリスクリプティヴのケーレックスが大好きでした。あの豪奢で新鮮な花かごのような香りを一吹きすると、毎日毎日男子の何倍もがんばらなければ、とがちがちに鎧った心身がほどけて、高校生のころのようにわたし最強、って思える女の子に戻れるような気がしました。
CK1やプチサンボンも人気でしたが、こちらにはあまり興味がありませんでした。
ラテン語のクラスで机を並べた友から、卒論のデータサンプル収集協力のお礼にオスカー(オスカー・デラレンタ)の香りのサンプルをもらったことが忘れられません。こっくりと深い香木の香りでした。とっても聡明で、とっても先鋭的におしゃれな子でした。元気かな。
そういえばオスカー・デラレンタの黒いジャケットをその後母のお下がりでもらってかなり長いこと着ました。身体にはとても合っていたのですが、着倒しすぎて泣く泣く処分しました。

2000年代

2002年にケッコンし、香りの自問自答の長い長い迷走がはじまりました。
mixiで香りの友の皆様に出会い、より世界を広げました。Lucky ScentやFragranceXやLes Senteursなどのサイトも教えていただき、海外個人輸入でサンプルを取り寄せる方法も学びました。
30代の頃は背伸びしておげらんさまの名香を使っていました。透明感重視のみかけとおとなになりたい香りのギャップで肩に力が入りすぎでした。
しかも、運命の香りにはなかなか出会えない。伊勢丹新宿店の香りものコーナーによく通っては試行錯誤したものでした。
文献調査で倫敦に滞在した折に知ったFlorisとPenhaligon'sの香りがすきになりました。Penhaligon'sではとくにViolettaとBlenheim Bouquetが好きでした。
ヒースロー空港の免税品店では2000年代前半にはエンジェル(ティエリー・ミュグレー)やロリータ・ド・レンピツカを勧められていました。当時は星形や林檎型のキュートなボトルにも、美味しそうなヴァニラと八角の香りを自身が着ることにも大変抵抗がありましたが、いまなら勧められた理由が理解できるような気がします。東洋人のふんわりした人からあの香りがしていたら可愛かろうよ。

ViolettaやBlenheim Bouquetを愛用していたものの、これこそが私の香りだ、という手応えがいつまでも持てなかったことも思い出されます。ケーレックスやローラ・アシュレイNo.1の季節は遠くに過ぎ去っていました。颯爽として度量深く聡明な大人になりたい自分と、実際のどこへいってもしっくりくる居場所がなくて不全感を抱える自分のあいだをつなぐ香りになかなか出会えませんでした。
なにしろ博士論文を書いていたころ、どんな香りを使っていたかあまり記憶にありません。

香りの旅で迷走する私に、年長の香りの友のみなさまがシャネルの白檀系の香りやエルメスの驚きの水(オードメルヴェイユ)を勧めてくださいました。
そのころはぴんとこなかったけれど、どうして選んでお勧めくださったのかもいまならわかる。ほがらかに生きるためにともに歩む心強い香りが人生には必要だった。いまは好きな香りです。
驚きの水を作った調香師Natalie FeisthauserはSous le Manteau作品も手掛けています。ナタリーさんの作品には好きな香りが多いです。

博士号取得以後(2011年〜)


博士号をとったので仕事人としてまじめに生きようと思い、シャネルNo.19をずっと使っていました。剣呑な環境でも晩年のガブリエル・シャネルのねがいの霊力をかりて生きられるような端正で豪胆なアイリスの香りで、フルボトル使い切りました。いまも好きです。学生からも評判が良かった。
Facebookの香りの友の投稿がきっかけでLa Parfumerie Tanuさんと出会い、現在に至ります。
Tanuさんのブログとイベントは日常を深く耕す香りの地平を広げてくれます。香りの正典的作品とニッチフレグランスの系譜と販売戦略の歴史を体系的にたどって服蔵なくあふれる香粧品愛をもって紹介してくれるブログはいままで日本語世界ではなかなかなかったもので、貪るように読みました。愛があるからこそ辛口のコメントもユーモアに包むブロガー作法についても学ぶところが多い。
Tanuさんご紹介の品では、Maison VioletとSous le Manteauの香りがすきです。フルボトルで入手したのは折り目正しい夏の爽やかなアイリスとチュベルーズの香りComplimentと秋冬のよい焚き火の香りCycle 001(Violet)、心やすらぐ塗香の香りOsidiaque No.6(SLM)です。15ml瓶で手に入れたSLMのエレガントなヴァニラの香りCuir d'Orientと夏涼しく冬清潔な沈香の香りEssence du Serailで日々満たされています。
Cuir d’Orientにはおゲランさまのシャリマーの親戚感がありますが、静かで穏やかで和む香りです。SLMの乾いた中東スパイスの香りVapeurs Diablotinesもハンサムです。
Violetの制作販売チームは感じのいい機智に富んだお兄さま揃いとききます。SLMの制作思想は非常に繊細な説明を必要としますが、博物学精神に富んでいて素敵です。「下着は通年、SLMの香りは何種類あっても楽しい」とのタヌさん評は大いにうなずけます。
これでしばらく香り遍歴は落ち着きそうですが、さらにTanuさんのサンプルサーヴィスでさらに気絶するほどよい香りをいろいろ知ってしまいました。香りの世界は無限大ですが、財布と自分の鼻と皮膚は有限です。

2023SSの私へ:予算の見通しがたちしだい、SLMのEssence du Serailの15ml瓶を補充してください。あれはよきものです。
ところでシャネルNo.19のトワレは持っていてもよいのではないでしょうか。物持ちのよすぎるあなたが使い切るほど親しんだ香りですし、あなたの生まれた時代に巨匠が女たちよたくましく生きよとねがいを籠めて遺した傑作です。記号としてわかりやすく、若者にも伝わるのは大きな美点です。

ところでタヌさんブログはほんとうに面白いのでぜひみなさまも読みにいってみてください。知的にも満たされてきっと好きな香りと出会えるはずです。

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