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10代の時に浴びた価値観は一生もの


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人生観や考え方に影響を受けたものかあ。では「高校3年生、18歳までに影響を受けた」と限定して、思い出してみます。

大学に入ってからは、何かと批判的思考をもつことを強いられたり、作品の考察記事を読んだりそんなことをしていたせいで、本を読んだり映画やドラマを観たりした時に、その作品がテーマとしていること、言わんとしていること、そういう隠喩を探す癖が、無意識的にできあがってしまった気がしていて。そうするともう、純粋に自分の人生観に影響を受けているのかどうか、微妙なので…。

18歳までは、恥ずかしながらそういった作品批評をする能力もなかったし興味もなかったため、純粋に話を楽しみ、そしてたまに雷が落ちたようにダイレクトに影響を受けていた気がします。

ということで、「高校3年生、18歳までに影響を受けたもの」に限定して、思い出せる限り。

(ま、10代の時に浴びたものは一生ものとかって色々なところで言うし。)

ただ、そもそも18歳までのわたしの人生の影響度合いは  

学校生活(先生や友達との関わり)、家族 7割
音楽 1.5割
ドラマ 1割
本 0.5割



とにかく学校が好きで、そこでの営みが全て。
とにかく家族が大好きで、反抗期なかった。
クラシック音楽と吹奏楽に狂わされていた。
ドラマは家族の影響で大好きだった。
本はそこそこ。
映画はほとんど見たことがなかった。
アニメは全く知らない。
ちなみにジャニーズなどの芸能も全く知らない。

そんな感じなので、映画やドラマより、なにより身近な人からの影響が大きかったです。

前置きが長いな。

では!

曲げられない女


両親の影響で、ドラマがかなり好きで。ワンクール3.4本は観ていたと思う。幼稚園の頃から。笑

ごくせん、イケパラ、のだめカンタービレ、女王の教室、探偵学園Q、メイちゃんの執事、ドラゴン桜、家政婦のミタ、マルモのおきて、半沢直樹等々、流行ったものは大抵観ていて、それこそ色々影響を受けていましたが

なにより、これ!

小6の時に放送されていた「曲げられない女」は、特に流行ってもいなかったし、友達も誰も観ていなかったのに、なぜかとってもとってもとっても大好きだった。誰とも共有せず、1人で超影響を受けていた。

主人公は、司法試験に挑戦し続けるアラサー女性。正義感が強く「曲げられない」。とっても不器用で、仕事を実質クビになったり、婚約破棄したり、予想外の妊娠をしたり、色々ある。はたして彼女の行く末は…

みたいな感じの話。ちなみにちゃんと報われる話です。

世代も全然違うし、全然おもしろい話でもなく、幸せな話でもなく、ただただ不器用な女の人生の話なのに、当時あんなに夢中で観ていたのは何故なんだろう。小6で(笑)

自分もこういう生き方がしたいな、賢くて、主体性があって、なにより揺るがない芯のある人になりたいなと、そう思って観ていたのかなあ。

じゃあ、今、そうなれていたらいいな…

毎回日記を書くシーンが登場するのですが、その描写もすごく好きだった。日記をちゃんと書き始めたのも、もしかしたらこの影響かも。

「テンションが上がらない時にはマイケルジャクソンを聴く」という主人公のルーティンがあって、それを真似したこともあった。笑

ちなみに、これをみたからといって、弁護士になりたい!とは全く思わなかったなあ。
そこは影響を受けなかった。笑

そういえば、小6の時のわたしは、20歳の自分に向けてこんなことを書いていたんですよね。 ↓

ドラマに影響を受けている気がしてならない。


「ももちゃんは大丈夫ッ‼︎」

書くの恥ずかしいですが…

小6の時、ピアノの先生が、コンクールの舞台裏で「ももちゃんは大丈夫」と言ってくれて、背中を強めに押してくれた時のこと、ずっと忘れられない。

このコンクールの直前、わたしは足首の靱帯を切る怪我をしてしまい、ちゃんと歩けないし、ペダルをしっかり踏めないしで、メンタルがやられていて

加えて本番、自分の前の子が、プレッシャーからか舞台の上で泣き出してしまい、演奏が止まってしまったの。それを舞台裏で見ていた自分は、自分もうまくいかないのではないかと不安になり、そもそも足痛いしで、内心気が狂いそうだった…

でも先生が、「ももちゃんは大丈夫ッ‼︎」って背中をポンっと押してくれて、そうしたら、「もうやるしかない!!」と一気にゾーンに入って、過去一楽しくて良い演奏ができて。演奏中に「あっ楽しい」と思ったの、すっごい覚えている。

しかも結果もついてきて、地区代表になれたのでした。

※あまりに綺麗な話なのですが、全て実話です。笑 怪我ほんと大変だった〜笑

以来、プレッシャーのかかることをやるときはこのシーンを思い出すようになりました。自分は大丈夫!



素直で必死な人間には、応援してくれる人が必ずいる

この言葉も大切にしている。


「努力家で本当に自慢の娘です。親バカなんですかね?」
「運いいね!」


これも非常に恥ずかしいんですが…

父はフェイスブックをやっていて、たまーーーに更新するんですね。結婚記念日の日とかに。

父のフェイスブックの存在は、高校生の時に知って。中を見たら、わたしの中学の卒業式の時の投稿があった。

「卒業おめでとう」っていう友達からのコメントの返信に、「努力家で本当に自慢の娘です。親バカなんですかね?」って書いてあるのを見つけて、1人で大泣きした。

なんでって、父に褒められたことがほとんどなかったので。厳しいからではなく、むしろ超ゆるい親だったし、いつも冗談ばかり言ってるから真面目な顔して真剣なこと言うのが恥ずかしいとかそんな感じだと思うのですが。

何しても、すごいも偉いも頑張ってるねも可愛いも、特に何も言われたことなくて、唯一言われていたとすれば「運いいね!」だけ。

信頼されていることはわかっていたので、何も言われないことに不満があったわけではないのですが、やっぱり心のどこかで「努力を認めてよ!!」と思っていたのかもしれません。

コメントを見つけた時、「あっ、お父さんってわたしのこと評価してくれてるんだ、しかも自慢なんだ。笑」ってびっくりして、泣いた。

しかも、堂々と友達に返信してるところが推せた。笑

この歳なので、流石にもう反芻したりしない言葉ですが、当時は色々原動力となっていた言葉でした。「わたし努力家で自慢なんだし、胸張ってこ〜」みたいな。笑

思えば、「運いいね!」っていう父の言葉も人生観に影響しているかも。わたし、よく運いいな〜って思うのですが、多分、本当は大して運良くないと思うんですよね。

でも、自分では、素直に「運がいい人間だなわたしは」といつも思っている。まじで運いいのよ…(まだ言う)



こんな感じです。すみません…この記事…面白くないよね?!あんまりうまく答えられてないかも🙏

影響はあんま受けてないけど、10代の頃大好きだったドラマとかたくさんあるので、そういうのを紹介する記事をまた改めて書きたいです。

今日もお疲れさまでした♩


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ももか
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