スキンケアを考える
近々qoo10セールということで、チャンネル登録している美容系youtuberがこぞって「qoo10で買うべきもの動画」をupしている。
突然だが、わたしは、「お肌のケア」について、だいぶ怠惰である。
ドラックストアの1000円もしない化粧水だけ使っている。あとはワセリン。導入化粧水や美容液などは使っていない。パックもしない。何もつけないで寝ていることもしばしば…
こっちの成分の方がお肌に合うかな?と考えることもない。季節によって使うスキンケアグッズを変えることもない。
要するに、肌トラブルと無縁なのだ。
思い返すと、「肌白い」「肌綺麗だよね」などと褒められた時に、学生の頃は、なんとなく自信が持てなかった。「肌をきれいに見せようとする努力を一切していない=褒められるべきことではない」という謙遜があって。ティーンの時期って、「美容に気を遣っていない女、お金をかけていない女は、女としてだめだ」みたいな「女の子の呪い」が強いじゃないですか。
スキンケアが好きな人は、好きだからやれているわけだけど、わたしは好きじゃないから当然全然気分が乗らないの。夜は一刻もはやく布団に入りたいし、朝は一刻もはやく身支度を終わらせたい。
それで、気分が乗らないことを、社会的に、性別的に、否定されている気持ちなることがよくあって、今思い返すと辛かった。youtubeでもインスタでも呪いの種っていっぱい落ちているし、時に友達とかにも言われちゃうわけです。
それで、youtubeやインスタや友達に踊らされて、少しよいものをライン買いしてみたこともあったが、結局リピートすることはなかった。「何が変わったのかよくわからない…」「もっと安くていいじゃん」ってなる。良さが分からない自分の鈍感さにさえ、辛くなっていた。
ピアノを弾かない人を社会的に誰も責めないのと同じように、「美」も、誰も責めない社会になったらいいのにね!
それか、脱毛の広告と同じくらいの割合で「全国民ピアノを弾け、弾かないと人生のしんどさが増すぞ」みたいな広告を電車中に貼ってくれたら許す。(暴論)
要因は定かではないが、そういった「女の子の呪い」からなぜか自然と解放されたのが社会人になってからで、最近は、肌ケアを頑張れない自分を「やばいかな?」と思うことはなくなって、堂々とドラックストアで安い化粧水だけを買っている。
肌を褒められると否定しないようになったし、「どんな化粧水使ってるの?」とか「どこか通ってるの?(美容医療)」と聞かれたときには堂々と「何もやってない」と言っている。綺麗なことを誇る必要もなく、かといって謙遜する必要もなく。
「肌が綺麗」とほめられたら、「肌が綺麗なこと」に対しての受け答えではなく、わざわざほめを言葉にして自分に伝えてくれたという「相手の心」に対しての受け答え、つまり感謝をすればよいということだよね。
冒頭に戻るが、qoo10セールのyoutube動画をみて、「そんなに勧めるなら使ってみようかな…」と若干思ったりもするが、その度に「いやいや、わたしは今のところは適当スキンケアで良いのよ!」と思い直すのでした。
これまでは見たら辛くなっていたのに、進歩🫶🌷と思ってこの記事を書いた次第。
(スキンケアグッズは買わないけれど、わたしは今回気になっていたトリートメントを買おうと思っています!qoo10購入記事とか読むのも大好きだからみんな書いて〜)
今日もお疲れさまでした♩