母親という者への憧れ
バイトでレジをしているときのある親子のやり取りの話。
おそらく、息子君に玉ねぎを選んでかごに入れておくようにお願いしたんだろうなという前提で会話は進む。息子君が選んだ玉ねぎは赤いネットに小さい玉ねぎが多めに入っている品だった。それを見た母親は、なんでこんなちっさい玉ねぎ?しかもすごく数が多いし…これしかなかったわけ?と説教じみた口調で言う。息子君は静かに頭をひねる。母親は続けて、これ値段は?と。息子君は400円くらいと一言。その言葉をきいた瞬間母親は激怒。商品をレジに通し終わりそうな私をよそに、こんなのに400円も出せるわけないでしょとかなり怒った様子で、私に断りもせずにずかずかと野菜売り場に戻っていった。
取り残された私と息子君は顔を見合わせて苦笑い。私の方でいうと、息子君の不憫さを目の当たりにして握りつぶされているように心が痛んだ。息子君と幼いころの自分が重なった。久しぶりにこの感覚を思い出して、苦しくなった。一気に疲れが押し寄せた。
こんな一見どこにでもありそうな親子のやり取りに心を痛めるのは、母親に安心感というものを期待することができない幼少期を過ごしたからである。
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母親とは、どんなものなのかといわれて私が答えるのは、身の回りの世話をしてくれる人というイメージだ。それ以外といえば、私を叱る役割の人間。だ。私は母に叱られていた記憶とキッチンに立って夕飯を準備したり、ベランダにいて洗濯物を干している姿やリビングで掃除機をかけている様子ばかりが浮かぶ。母に抱きしめられた記憶がない。母は私にとって、私の行動に評価をしてくる人であり、家事育児をしている人というイメージだ。
とにかく毎日びくびくしながら過ごしていたなと振り返ると思う。
幼少期は、父は仕事柄家に帰ってくることが少なく母と私と弟の三人暮らしだった。弟はものすごく手がかかって、母はそれにつきっきりだった。私は、割とほったらかし。
そんな中で、母に認めてもらいたいという気持ちはあって、弟の世話を積極的にしたり、自分の体対して重すぎるだろう買い物袋も持ったりした。母にとってそれは当たり前の日常に溶け込んでいたんだろう。もっとかまってほしかったしテストで100点を取ったら褒めてほしかったし、心が不安な時は抱きしめて大丈夫と優しい言葉をかけてほしかった。
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もしこの先に母親になる未来があったなら、私のエゴかもしれないけれど、私の理想の母になりたい。母親に安心という二文字を重ねられるように大切に育てたい。きれいごとだけでは済まないのが子育てであり、子どもにとってその20年は尊い人生の一部であり、また、親にとっても同じく人生の一部。お互いに、かかわりあって人として成長してゆくのだと思う。家族というのはかけがえのないたった一つの安心できる場所として、誰もが持つ権利のある唯一の居場所。子供にとって暖かく無条件に愛されることができる帰れる場所としての母親でありたいと思う。
それが私にとっての母親という者へのあこがれなのだ。