ミンヒジンのインタビュー
動画URL https://youtu.be/mGX0u6xnUy4
少女時代、SHINee、f(x)、EXO、red velvetのクリエイティブディレクターで
アイドルコンセプトの職人と言われている
HYBE新規レーベルの代表になりましたミンヒジンさんをお呼びしました。
こんにちは
司会「1年前からオファーをしていたそうですが、今回出演してくれた何か理由があるのでしょうか?」
ミン:すごくありたいことなのですが、私は制作者なので。
制作者があまり出過ぎると、主人公の子達が隠れてしまうような気がして
実は意図的に出ないようにしていました。
司会:SMエンタで16年勤務した後、2019年にHYBEでCBO(ブランド総括者)をされたんですよね。そして現在、新規レーベルの代表となられました。
経歴を紹介すると、2002年にSMへ公開採用として入社後、新人グラフィックデザイナーとしてスタートされました。
2007年に少女時代をはじめ、SHINee,f(x)、EXO,Red velvetのコンセプト企画と
ビジュアルディレクション、アーティストブランド戦略を主軸に「クリエイティブディレクター」として活躍されました。
2017年にSMの登記取締役となり、平社員から取締役となる業界神話を記録しました。
ミン:私はSMでクリエイティブディレクターをしていたと思っていただければと思いますが、私がした実務自体が珍しかったとは思います。
なぜなら、私はグラフィックデザイナー出身でしたが、のちにMVまで総括しました。デザインだけ上手ければいいのではなく、「このアイドルたちが長期的にどんな風に見えるといいだろうか」ということを考え始めたら、1度きり(のディレクション)で終わらせることができないんです。なので、1つ目の音盤はこんな姿が良くて、2つ目の音盤はこの方がいい、と1人で構想を練ってみるんです。
その子たちの最終形までの姿を描きながら….
ミンヒジンVTR:単純な視覚的な具現に留まらず、音盤を完結性を考えながら作る作業、というふうに表現できると思います。
MV、アルバムデザイン、ロゴ、ポスター、アルバム写真、ステージコンセプト、衣装、プロモーション展示、この全ての要素を計画から制作まで総括
司会:それではSMで行った制作についてのお話をしましょう
2009年の少女時代、Gee、白いTシャツにスキニーパンツ
司会2:色とりどりでメンバーごとに違うパンツですね
テロップ:当時提案したカラースキニージーンズが旋風的な人気を巻き起こし、少女時代をファッションアイコンに作り上げた
ミン:少女時代が出てくる前までのガールズグループは、私が思うに定型化された感じだったんです。“辿り着くことができない少女““非現実的な感じ“というイメージでした。
コンセプトを考え始めた時に、大衆はすぐに飽きるじゃないですか。その飽きをどんな理論で倒すかというと、普通は、正・反・合の3段階で展開できます。
正があればそれに対する反ができて、その次の段階ではそれが混ざる合ができるじゃないですか。そしてまた、正反合が続いていきます。ヘーゲルのそんな理論を….
司会:ヘーゲル(哲学者)まで出てくるとそこまでは…(笑)正反合までは理解できたんですが、ヘーゲルまでとなると難しいです(笑)
ミン:はい(笑)そして、このグループ達の前にある反はなんだろう、と考えたときに、とても親しみやすくて、派手さを抜いた、すごくシンプルなイメージでした。音楽自体がとてもフレッシュだったので、その強みを生かすには全くの正反対にただ引こう!と思いました。実はディテールにはかなり気を使いました。ただの白Tシャツでも、どんなものかによってデニムに合わせると雰囲気が変わるんです。
テロップ:Gee発売10周年ビルボードにて「これは少女たちの純粋な姿と混ざり合いKーPOPが世界的に広まる機会となった」
そして、ミンヒジンの感性の真髄と呼ばれたf(x)のPink Tape
ミン「f(x)の場合は、実は少女時代の反でした。アイドルの定型的な姿から脱出した姿を見せたい、という私の中にあり続ける欲求のようなものだったと思います。とても風変わりな冒険をしたかったんです。そのため、一緒に働くスタッフたちを説得して、理解してもらうことから始まりました。
今でもmock-up(実物模型)があります。私が初めに「絶対にこうしたい」と思って作ったモックを捨てることができないんです。それが何かというとデザインではなく、本当にピンク色のテープ(VHS)でした。
私は、VHS時代で、たくさん見た世代だったので、ビデオテープに対してノスタルジーを感じます。自分が想像できないストーリーが込められているような感じを、映像を想像させるような音源になったらいいなと思いました。
なので、絶対にテープを使いたくて、f(x)のお話を込めるのであればピンク色じゃなきゃいけないと、とても象徴的に。だからPink Tapeを作りたいと思いました。
テロップ:そうしてPink Tapeというビデオテープを模したアルバムが完成した。大衆にf(x)の独歩的な雰囲気を感じさせるアートフィルム。f(x)のPink tapeのティザー映像では一編の映画のような雰囲気でミンヒジンの力作と呼ばれた。この作品を契機に、彼女はMVの制作を新たに担うことになった。
ミン:とにかく私が表現しようとした画そのものを、スタッフたちがよく知らない状態で撮るのには、1日では難しいと思っていたんです。だからもう私が撮ろうと、思い描いているイメージがすごく明確だし、私が撮る方が楽だろうなと。
だから、彼女たちとは1日だけ撮影をして。というのもf(x)は、反対をせずに息を合わせられる子達だったので、よく理解をしてくれて、昇華させるのもすごく上手なので、いい成果物を作ることができたんだと思います。
EXOシンドロームの出発点
司会2:なぜ制服が思い浮かんだんですか?
ミン:本当に音楽を聞いた瞬間に、まず良くて。ウルロン(吠える)という題名もすごく面白くて、吠えるというのは青春の象徴でもあるじゃないですか。
その時だけ、吠えられるという青春の象徴。制服は、人生の中で一期間だけ着ることのできる特別な服じゃないですか。みずみずしい制服(正)を着て、タフなダンス(反)を踊る姿は誰でも好きになるんじゃないかと思いました。
司会:今ヒジンさんがお話ししてくださったように、これが大ヒットしたわけじゃないですか。多くの人が熱中した、その時の感情は?
ミン:素晴らしいですよ。正直、変な話ですが、一度も外したことがありません。これはいけるだろうと作って、ダメだったことがないんです。
司会:登記取締役になったのに、翌年退社しますよね。
ミン:私が取締役になった時、とても疲れていた状態だったんです。
司会:どんなことに疲れていましたか?
ミン:仕事を頑張りすぎました。多い時は1ヶ月にMVを5〜6本撮って、アルバムも5〜6個作ったりもしていたので、チームメンバーでこんな話をしていたんです。「サバイバルゲームに出たら1位になるだろうね」と。なぜならものすごく短い時間に、続けて出すから。正直、20代、30代は仕事に没頭していました。
ただ一生懸命やろうとすればするほど….休暇に取ったこともあまりないし、もちろんチームメンバーには休暇を取らせましたが、私が取るのはすごく難しかったんです。バーンアウトもすごく酷かったし、いっそ仕事を辞めようかとも思いました。
司会:それでも簡単に会社は離さなかったと思いますが
ミン:はい、先生たちに初めて話した時には泣きました、お互いに。
ある時から「なぜ私はこんなにも辛そうに生きてるんだろう」と考えるようになりました。自虐も酷くて、自我審査(周囲の反応により自分の意見表明を控えること)も酷かったし。もちろん、ありがたいことに仕事は上手くいったけど、成功したその瞬間にこう思うんです「これは幸せなのか?幸せの終わりなのか?」それで、結局そう思うことから逃げるために退社しました。でも私の中には、まだ出来ていないことも、やりたいこともすごく多くて、その度に「私はうまくできるのに」と思っていました。その気持ちがあまりにも大きかったので、新たな挑戦をすることにしました。そしたら何日もしないうちに、色んな会社から連絡が来ました。最初の方に連絡をくれたのがHYBEでした。
司会2:今日のお話を聞いていると“一人で隠していた、辛さ“があったのだと感じます。誰に対してもこんな話をするわけではないですよね?
ミン:まぁ仲良い友達は知っていますけれども。(笑)
司会:俺たちに初めてこの話をしてくれたんだと思ったの?(笑)
司会2:なんだか、一人で抱えていたお話を気楽に話してくれているように感じて
ミン:それはそうです、なぜならこれまで私は、とても発言には気を付けていたし、言動にも気をつけなきゃいけなかったし、誰かが強いた訳ではありませんが初めて話すことではあります。(司会2が)最初におっしゃっていたことは合っています。私はこれまで、他人のために生きてきて、自分のために生きてきたとは思いません(涙)急に悲しくなってしまって…
司会:そうだったことと思います
ミン:だからといって会社が強いたわけではなくて
司会:今日ヒジンさんのお話を聞いたからといって、全てを理解することはできません。でも今なぜ言葉に詰まってしまったのかということは、わかる気がします。
ミン:元々、悩みが多い性格だけどであるのと….
司会:それほど一生懸命生きてこられたからこその涙だと思います。一生懸命だったからこそ、この場にいらっしゃるのだと思います。
司会:HYBEに移籍後、初めて担当された仕事が新社屋の空間デザインだったんですか?
ミン:シヒョクさんが私に提案されたのは、元々BigHitという会社でブランディングしてください。ということだったんですが、社屋が移転することまでは話してませんでした。ブランディングの成功率を上げるためには、社屋という物体で見せつけなければいけないという考えが私にはあって、移籍するついでに一緒に作業するのがいいと思いました。実は私もとてもプレッシャーだったんですが、シヒョクさんが私に「ヒジンさん、これは上手くいっても100%悪口を言われることになります。でも新たに移籍してくれるわけだから、僕はヒジンさんが悪口を受けないようにしたい。」と助言をくださいました。実は完成してから、「これでうちの会社の人たちからのディス免除権を得たな」と思いました(笑)すごく感動したというメールをたくさんもらいました。その一方で、誤解されている方やよく思わない方もいて…
司会:正直、全ての人を満足させることはできません
ミン:はい、真心を注いで何かをしても、すごく難しい。さらにもう1つ、混乱した事件があったんですが、うちの会社のエアコン事件といえば有名なのですが。
エアコン稼働がうまくいかない問題で、議論がありました。賃貸ビルなので、コンファームも権限もない事件でした。私のせいではないけど、私が作ったので、もちろん悪く言われることもあります。でもすごく悔しくて、悔しいことは我慢できない性格ですが、とても悔しくて。空間の設計ミスが、誰かだけ景色を享受する結果を招くことがあります。私は地位が高い人に対して、いい席をもらおうなんて気持ちはひとつもありません。なぜなら、私たちはみんなに公平な空間を設計したからです。
コンセプト職人が作ったガールズグループニュージーンズ
ミン:実は曲を2年前から準備していました。入社した時から、素晴らしいプロデューサーと準備をしてきました。とても新しい方向にいくのではないかという期待があって。なるべく早く、お見せしたいと思っていました。
デビューした子達のご両親にお会いしたんですが、皆さん私と歳が近いんです。
いい叔母さんになりたいし、いいお母さんになりたいと思いました。信じて任せて、いい時間を過ごせるように。アイドル産業は、とても幼い子たちで仕事を作っていくので、働く過程が仕事ではなく、その子たちにとって訓育になると考えています。制作者として責任感が人一倍強いし、その面からもこの子達と仲良くならなくてはと思いました。週末になると、1人ずつ家に呼んで、料理をして、一緒に散歩して、仲良くなる時間を持とうとしたんです。それがすごく難しかったです(笑)
10代の子達とはジェネレーションギャップがあるじゃないですか。誰かが私にかけてくれる言葉ですごく好きな単語が2つあります。
世界観とアーティストという言葉なんですが、自然にアーティストになる過程を作ってあげたいのです。未熟ながらも本当によく頑張る子達なんです。
VTR
ミン:私は、いくつか達成すれば、自己証明が終わると思っていたんです。でも自己証明が終わりなく続くんです。正直障壁がどんどん大きくなるような。
自分自身に勝ち続けないゲームみたいな。そこで私が大切にしているの責任感です。とてつもない責任感が土台になってこそ、安心感を持って冒険することができるからです。一緒に仕事をする人を説得して、話して、それがダメなら別の対策を作らなければいけません。私の仕事では闘争心も必要になります。闘争心と責任感で仕事をしています。
終わり