栗林良吏(広島)が次に目指す新人記録は?(1)/1992年の河本育之(ロッテ)
広島カープドラフト1位の栗林良吏(トヨタ自動車)が新人離れした好投を続けている。
https://note.com/mmiyauchi/n/nf583e61fe008
5月12日のヤクルト戦(神宮)では、9回をゼロに抑え、ついにプロ初登板から16試合連続で無失点。これまで日本人の新人投手の記録であった、2019年の甲斐野央(ソフトバンク)の13試合連続無失点をすでに破っているが、この日は、2019年に阪神のピアース・ジョンソンがつくったNPBデビューから16試合連続無失点に並んだ。
セーブ数「9」もセ・リーグトップタイである。
ここまで被打率.078、特に奪三振は26と、奪三振率14.04を誇り、対戦した打者の二人に一人から三振を奪っている。クローザーの条件である「三振が取れる」を地で行く投球内容である。
次に栗林が目指す新人記録は何であろうか?
まず、次回セーブを挙げれば、新人では史上17人目の二桁セーブに達するが、新人最多セーブ記録はDeNA・山崎康晃が2015年につくった37セーブである。
そして、栗林は16試合、16回2/3をゼロに抑えているが、新人のデビュー登板からの連続イニング無失点の記録には、まだ上には上がいる。
河本育之(ロッテ) 1992年 デビューから22イニング連続無失点(救援のみ)
千葉ロッテマリーンズの1991年ドラフト2位の河本育之は1992年、プロ初登板から10試合連続で無失点に抑え、当時のNPB記録を更新した。
河本は1967年、山口県に生まれ、地元・田布施工業高校では軟式野球部のエースであった。3年時には全国大会にも出場しているが、1回戦で1試合15奪三振を挙げながら、敗退した。
高校卒業後、社会人野球の新日鉄光に入社してから硬式野球を始めたが、都市対抗野球に補強選手として出場してから注目を浴び、1991年のドラフト会議でロッテから2位指名を受けた。
ロッテは前年の1991年に最下位、そして本拠地は川崎球場から千葉・幕張に移転が決定し、金田正一に代わって、OBでかつてのエース八木沢壮六が指揮官となった。
新生・千葉ロッテマリーンズは新たな本拠地・千葉マリンスタジアムで1992年の開幕カードを迎えた。
4月4日、オリックスとの開幕戦は、観衆35000人を集める中、若きエース・小宮山悟が2年連続、2度目の開幕投手となり、オリックスの星野伸之との投げ合いとなったが、小宮山が完投したにも関わらず、打線が星野に完封され、0-3で初戦を白星で飾れなかった。
続く、ダイエーとの開幕2戦目となった4月7日、ロッテは先発・牛島和彦の完投勝利で、5-1、千葉移転後、初勝利を収めた。
ダイエーを迎えて開幕3試合目となった4月8日の試合、3-4と1点ビハインドの7回、河本がプロ初登板のマウンドへ。
河本は決して身長は高くないが、左腕からビシビシと投げ込む速球で、打者の内角を攻める、強気のピッチングスタイルが身上だった。
それが初登板から遺憾なく発揮された。
まず7回、ダイエーの攻撃で先頭の3番・佐々木誠をキャッチャーフライに打ち取ると、ここから河本の独壇場となった。
続く、4番・ブーマー・ウェルズから空振り三振。
5番・山本和範からも空振り三振。
8回もマウンドに上がった河本は、先頭の6番・藤本博史から見逃し三振。
7番・吉永幸一郎からも見逃し三振。
8番・浜名千広も見逃し三振。これで前のイニングから5者連続奪三振。
河本は9回もマウンドへ。先頭の9番、湯上谷宏にはバットに当てられたが、セカンドフライ。続く、1番の山口裕二からは空振り三振、そして、最後のバッターとなる大野久からは見逃し三振を奪って、スリーアウトチェンジ。
試合はそのまま3-4でロッテが敗れたが、河本は3回を投げ切って、対戦したダイエーの打者9人を完璧に抑えたばかりか、5者連続を含む7奪三振を記録するという鮮烈なデビューを飾った。
前年から絶対的な守護神を欠いていたロッテにとって、河本の登場は渡りに船であった。
その翌日の4月9日のダイエー戦で、ロッテは1点リードの9回としびれる場面。しかし、ロッテ・八木沢監督はマウンドに河本を送ると、河本は期待に応え、湯上谷、山口、大野と三者凡退に抑えてプロ初セーブを挙げた。
ここから、河本は新人ながらクローザーとして起用されるようになった。4月17日の西武戦(千葉マリンスタジアム)では7回途中からマウンドに上がって、延長11回までの4回1/3を無失点で投げ抜くと、その裏、味方がサヨナラ勝ちしてプロ初勝利。
河本は4月だけで8試合に登板、2勝4セーブ、無失点、すなわち防御率0.00をマークして、新人としては史上3人目となるリーグ月間MVPを獲得した。ロッテは、ルーキー河本の活躍に引っ張られるようにして4月、11勝4敗と7つの貯金をつくり、本拠地移転後のスタートダッシュに成功した。
ところが、ロッテは5月に入って、いきなり4連敗と躓いた。
そして、河本は5月13日の西武戦(西武)で、同点の7回途中からマウンドに上がって、河本のドラフト同期で1位指名を受けた先発の吉田篤史が残した走者を還して勝ち越しを許してしまう。続く、8回にもマウンドに上がったが、4番・秋山幸二にソロホームランを浴びて初被弾するなど、初めて失点を許し、8回一死でマウンドを降りた。
秋山の一発は、河本がプロ入りして対戦した打者84人目にして初めて許した本塁打であった。
これで、河本のデビュー登板からの連続試合無失点記録は「10」でストップした。しかし、これは当時、堂々のNPB新人記録。
しかも、この間、デビューから22イニング連続で無失点に抑えていた。
ロッテは5月に4連敗、3連敗、5連敗を喫し、大きく負け越し、4月の貯金を吐き出して、早くも3位に転落。その後も、順位を落としていった。それでも、河本はオールスター前までに2勝3敗13セーブを挙げ、新人ながらオールスターに選出された。
地元・千葉マリンスタジアムで初開催となった第2戦では、4点ビハインドの場面ながら、8回からマウンドに上がり、セ・リーグの亀山努(阪神)と岡崎郁(巨人)から2つの三振を奪った。
河本は9回もマウンドに上がり、2死から1番の古田敦也を迎えた。古田はこの日、スリーベース、シングルヒット、ホームランを放って迎えた5打席目であったが、河本は古田にセンターオーバーを打たれ二塁打。オールスター史上初のサイクル安打を献上した投手となった。
オールスター明け、ロッテは8月に最下位に転落した。終盤リードした場面も減り、河本は思うようにセーブを稼げなかったが、それでもチームトップタイの40試合に登板はすべてリリーフ、そのうち36試合で試合の最後まで投げ切り、2勝4敗19セーブ、防御率2.58という成績を挙げた。
奪三振数はイニング数の76回2/3を大きく上回る91個だった。
ロッテは、河本が新人ながらこれだけの成績を挙げ、投手陣はチーム防御率がリーグ4位と踏ん張ったが、チ―ム打率は最下位、本塁打数も球場が広くなったこともあり5位と貧打を解消できず、2年連続で最下位と、千葉に移転した最初のシーズンは不本意な結果に終わった。
そして、パ・リーグ新人王レースでも、この年は新人の当たり年であり、近鉄からの単独のドラフト1位指名を受けた、高村祐(法政大学)が13勝9敗、防御率3.15と活躍し、駒沢大学から4球団競合でドラフト1位でダイエーに入団した若田部健一も10勝13敗、防御率4.00、野手では、日本ハムドラフト2位の片岡篤史(同志社大学)が125試合に出場、打率.290、10本塁打という成績を残していた。
結局、高村が受賞し、河本らは受賞を逃したが、3人とも優秀新人賞としてパ・リーグ会長特別表彰を受けた。
2021年のNPBも新人の当たり年であり、セ・リーグだけでも、栗林だけでなく、阪神・佐藤輝明(近畿大学)、伊藤将司(JR東日本)、中野拓夢(三菱自動車岡崎)、DeNA・牧秀悟(中央大学)らが開幕から活躍を続けている。
新人クローザーという大役を任された栗林良吏は、疲労も心配される中、今後、どのような活躍を見せるだろうか。
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