愛の周波数
涙が堪えきれないくらいの感動で「何か」に感謝せずにはいられなかった経験はありますか?
昨日の記事の中で伝えられられなかっった、「大事なこと」とは、感謝の気持ちのことです。
「感謝の気持ち」って、一言で言っても、親切にしてくれたことに対する「ありがとう」の気持ちから、結婚するときの親への感謝、赤ちゃんがちゃんと産まれてきてくれた時の感謝、合格・勝利したときの感謝…などいろいろありますよね。
その中で、私が最も波長が高く、神なるものと繋がっている時の状態というのは、
「今、生かされていることに対して、感謝で涙が溢れて出てきてしまうほどの状態」
だと思うのです。
何かをゲットした時、願望が叶った時、とかではなく、
ただ、息をして、見える目があって、聞こえる耳があって、動く手足があって、こんなにもたくさんの幸せを既に与えられていたんだって気づいて、
己の傲慢さを反省し、見えざる大きな何かに対して、心からの謙虚さを持って「ありがとうございます」と全てのことに感謝して魂が震えて涙が堪えきれなくなる瞬間。
これが、本当に大事だと思います。
その時、個体である身体から発せられているオーラ(周波数)はものすごくて、容姿やバックグラウンドなど全く関係なく、本当に美しい魂のかたまりとして、周囲に移ります。
生かされていることに心の底から喜んで、内側から光を発している状態の時、本当の意味で「愛の周波数」を発しているのだと思うのです。
うん、またここで「愛」という言葉を使ってしまうと、混乱要因になってしまいますね…。
自然の生物は、創造者に対して文句ひとつ言わずに、ただ受け入れて、ただ自分の生を全うしてこの世を去る。
人間だけが、愚かにも薄っぺらな知識、限られた世界でしか通用しないしょうもない価値観で、大した経験もしていないのにまるで自分の考えが一番正しいかのように振る舞う傲慢さを持ってしまうのですよね。
何でもできると無限大の可能性があるように思えていた若い頃はなおさらです。
「愛の周波数」は、苦悩や苦労、苦しみや悲しみ、孤独や絶望を経験したことのある人が、それもこれもぜーんぶ合わせて、「今に感謝」できた人にしか発することができないと思うんです。
結局のところ、幸せを感じ続けられる人になりたければ、不幸せも噛みしめて乗り越えて全てを経験しなさいってことじゃないのかなぁ…
乗り越えた先に、厚い雲の上に真っ青な空が広がっているように、何が起こっても動じない、自分に嫌な思いを与える出来事さえも、「次の一瞬先の未来のために」自分の心を穏やかで感謝に満ちた気持ちに即切り替えできる心の強さを持てるようになる。
zzz…っと、今日は眠すぎて支離滅裂な文章になってしまったか…?
また、明日・明後日とおでかけしますので、更新できたらがんばります。
まだ、ほとんど誰も見てくれることのない記事だけど、自分自身の頭の中のダウンロードとして書いているから、いつか、誰かの必要な時に必要に応じて目にしてもらえる日のために、書き続ける。
それでは皆様、今日も最後まで読んでくれてありがとうございました。
良い連休をお過ごしくださいね。
またね。