楽園はまだ遠く(3)
鳥の声で目が覚めた。
デジタル表示されている時計を見ると、朝6時半。ええと今日本は何時だっけ、と思う。スリランカと日本の時差は、3時間半だ。
昨日、日付が変わるころ、倒れるように寝てしまったけれど、そのかわりぐっすり眠れた。普段から時差ぼけのような生活をしているので、このくらいの時差ならほぼ支障がない。
シャワーを浴び花柄の服に着替えてゆるゆると朝食を食べに行く。それが世界のどこであっても、わたしはホテルの朝食が好きだ。開かれていて、よく知っている安心できるメニューがあって、でもどこか探せばかならず、その土地のかすかな色合いみたいなものが紛れ込んでいる。
スリランカでは小麦は採れないはずなのに、おいしそうないろいろな種類のパンがバフェ台の目立つ所に積んであった。カレーが何種類か、蒸した赤米、もちろん白米もある。オムレツスタンドの横にカリカリのベーコン、美味しそうだけれど脂身の迫力に少しひるんでいると、その隣に見たことのないかたちのパンケーキのようなものがある。お椀のような形をした、深めのフライパンで薄く焼いている。
パンケーキから目を上げると、そこにいた女性がにっこり笑って、「ホッパー、とても美味しいですよ。いかがですか?」と。聞くと、お米の粉にココナッツミルクを入れた生地を専用の鍋で焼くのだという。話している間にも、彼女は次々ホッパーを焼き、そして皆にこにことそれをお皿に乗せていく。じゃあわたしも試してみよう、ひとつください、というと、彼女はにっこりと頷いて、卵は?と聞く。たまご、と繰り返すと、それを合意だと思ったのか、彼女は卵を鍋に割り入れる。
ナイフを入れると、卵はかすかにその形をとどめていて、半熟だった。ココナッツのいい香り。パリパリしている縁の部分を手でちぎって口に入れる。中心の部分はふっくらしていて、甘くない、あっさりしたパンケーキのような味わい。パンケーキよりもう少しふんわりしていて、口あたりも軽い。これはいくらでも食べられる、と恐ろしいことを思いながら紅茶を飲む。紅茶はさすがにとてもとてもおいしかった。
目の前には芝生とヤシの木、そしてプール。向こうの芝生の上では、ヨガをしている。明日はヨガに行こうかな、とぼんやりと思う。リスがやってきてわたしの傍らに昇り、何かほしいのだと訴えている。ミューズリーからアーモンドをつまんで差し出すと、鼻でつんとつついてから両手を出して受けとった。小さなカラスが飛んできて、すごいスピードでベーコンの山から上手にひとつせしめていく。穏やかな日差し、美しいヤシの木の影。生け垣の向こうには海が見える。
*
このホテルは、バワがそのキャリアの中で比較的初期に設計したホテルだが、バワが夢見た理想郷もこの近くにある。ルヌガンガ、と呼ばれるそこは、バワが弁護士時代に手に入れ、そこを完成させるために建築家を志し、最後まで手を入れ続けた場所。バワは、アルカディアを実現するために、人生を生きたのかもしれない。
ホテルの中を歩いていると、すべてが一つの美しいものがたりのようで、ページを繰るように新しい風景がみずみずしく目の前に立ち現れる。それはまるで、桜の花びらが風で舞い美しい一枚の絵を作りだすような、夢みたいに美しい偶然の姿。
セレンディピティ(serendipity)、という言葉は、伯爵でもあったイギリスの小説家、ホレス・ウォルポールが生み出した造語だが、それは彼が幼少のころ読み聞かされた『セレンディップの3人の王子』という童話にちなんでいるという。王の命令で見聞を広めるために旅に出た3人の聡明な王子たちが、振りかかる困難を次々に打ち払い、それだけではなく「もともと探していなかった素晴らしい何か」を見つけていく童話。聡明さと、心持ちから生み出される幸福な偶然。セレンディップはアラビア語でセイロン島のこと、そしてセイロン島はもちろん、この国のことだ。バワのことを思うと、いつも、このことを思い出す。
館内を散歩した後、プールサイドに出て、木陰に席を作ってもらう。ビール、と言おうとして思いとどまり、フルーツジュースを。今年は既にすっかり日焼けしているので、もう今更どうということもない、と思っていたらあっという間に足先が日に焼ける。暑くなれば泳いで、木陰でうたたねしてまた泳ぐ。木々がつくる影がやさしい。