ローマ人への手紙2:1 〜 16★2022/10/15掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】ローマ人への手紙2:1 〜 16
1 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。
2 私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。
3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。
4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
6 神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。
7 忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、
10 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。
11 神にはえこひいきなどはないからです。
12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。
13 それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行う者が正しいと認められるからです。
14 ─律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行いをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。
15 彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。─
16 私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。
《参考》
文化的異教徒の罪
*はじめに
ここでパウロは、救いの第1番目の要素「義認」について論じている。
義認とは、神が罪人に神の義を転嫁すること。
義認の箇所、1:18 〜5:21。
学ぶ前に罪について理解する必要がある。
パウロは、このような論理展開をたどった。
①異教徒の罪(1:18〜 32)
②文化的異教徒の罪(2:1〜16)
③ユダヤ人の罪(2:17〜 3:8)
④結論:すべての人は罪人(3:9〜20)。
*弁解の余地はない
1節
「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです」。
(1)「すべて他人をさばく人」は、ギリシア人(又はローマ人)のこと。
彼らは自分たちと異教徒を区別し、優越感を持っていた。
(2)彼らは、パウロが展開してきた論、1章に出てきた異教徒の罪に関して、パウロの意見に同意。
(3)パウロは、彼らに対して「あなたに弁解の余地はありません」と宣言した。
【理由】
①文化的異教徒は、神に関する知識を持っていた。
②知識を他人(野蛮な異教徒)に適用。
③他人を断罪しながら、自分では実行していない。
④1:20と同じように、彼らも「弁解の余地はない」。
文化的異教徒も、神に栄光を帰していないので、弁解の余地はない。
2節以降でパウロは、神の裁きの原則を3つ上げて、彼らに「弁解の余地はない」と言った。
言行不一致の問題、分かっていても実行していない。
「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか」(ヤコ2:14)。
「…信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです」(ヤコ2:17)。
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