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ローマ人への手紙3:9 〜 20★2022/10/29掲載分

デボーションガイド*ハーベストタイムより




【御言葉】ローマ人への手紙3:9 〜 20


9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。

10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。

11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。

12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」

13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」

14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」

15 「彼らの足は血を流すのに速く、

16 彼らの道には破壊と悲惨がある。

17 また、彼らは平和の道を知らない。」

18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」

19 さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

20 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。



《参考》




すべての人は罪人(6)

*救いの必要性


パウロは、1:18 〜 3:20までで「有罪宣言」について論じた。
「義認」を説く前に、全人類が罪人であることを証明する必要があった。
「義認」の教理に入る前に、もう一度、救いの必要性について確認。


9節「では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです」。


(1)「すべての人が罪の下にある」とは、罪の支配下にあるという意味。


(2)この聖句には、罪の擬人化。


(3)イエス時代のユダヤ教の主要テーマに、「2人の主人についての教え」があった。
「人には2人の主人がいる。それは、神と罪である。そのどちらの主人に仕えるかによって、その人の生き方が決まってくる」
この考え方は、福音書の中にも出てきます。


「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタ6:24)。



*罪という主人


罪人は罪という主人に仕え、その支配下にある。
6:23「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物たまものは、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」。


(1)罪という主人に仕える者は、その主人から報酬(給与)を受け取る。報酬とは、「死」。


(2)神に仕える者は、イエス・キリストにある「永遠のいのち」を贈り物として受ける。

罪人は、罪の赦しだけでなく、罪の力(支配)からの解放も必要になる。
罪の赦しは、義認によって与えられ、罪の力からの解放は、聖化によって実現する。


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