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ローマ人への手紙1:18 〜 23★2022/10/07掲載分

デボーションガイド*ハーベストタイムより




【御言葉】ローマ人への手紙1:18 〜 23


18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。

20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

21 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、

23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。



《参考》




異教徒の罪

*はじめに


1:1 〜 17は、この書簡の序言。
救いの第1番目の要素「義認」について論考が始まる。
義認とは、「神が罪人に神の義を転嫁すること」を意味する。
神の御前で無罪宣言を受ける。
1:18 〜5:21 までが「義認」の箇所に当たる。


パウロは、義認を論じる前に、罪についての論考を展開する。
罪人としての自覚がないなら、救いを求めて神のもとに来ることはない。
パウロは、すべての人が有罪であることを論証しようとした。
1:18 〜 3:20が、その有罪宣言の箇所に当たる。
私たちは、自らが霊的に病人であることを知らなければ、霊的医者(イエス・キリスト)のもとに来ることはない。



*人類の2分法


(1)ユダヤ人による人類の2分法は、ユダヤ人と異邦人(異教徒)に区別すること。
これは、割礼を受けている者と無割礼の者との区別。


(2)それに対して、ギリシア人(又はローマ人)による人類の2分法は、文化的な人と野蛮人に区別すること。
ギリシア語を話す人が文化的な人で、そうでない者は野蛮人。


パウロは2種類の分類法に従って、論考を進めた。

①異教徒の罪(1:18〜 32)

ローマ人への手紙1:18~32
18.神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。 19.なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 20.神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 21.なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。 22.彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 23.不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。24.ゆえに、神は、彼らが心の欲情にかられ、自分のからだを互にはずかしめて、汚すままに任せられた。 25.彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである。創造者こそ永遠にほむべきものである、アァメン。26.それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、 27.男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。28.そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた。 29.すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 30.そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、 31.無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 32.彼らは、こうした事を行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、それを行う者どもを是認さえしている。

②文化的異教徒の罪(2:1〜16)

ローマ人への手紙2:1~16
1.だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。 2.わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。 3.ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。 4.それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。 5.あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。 6.神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 7.すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 8.他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。 9.悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、 10.善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。 11.なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。12.そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。 13.なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。 14.すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。 15.彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。 16.そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

③ユダヤ人の罪(2:17〜 3:8)

ローマ人への手紙2:17~3:8
17.もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、 18.御旨を知り、律法に教えられて、なすべきことをわきまえており、 19-20.さらに、知識と真理とが律法の中に形をとっているとして、自ら盲人の手引き、やみにおる者の光、愚かな者の導き手、幼な子の教師をもって任じているのなら、 21.なぜ、人を教えて自分を教えないのか。盗むなと人に説いて、自らは盗むのか。 22.姦淫するなと言って、自らは姦淫するのか。偶像を忌みきらいながら、自らは宮の物をかすめるのか。 23.律法を誇としながら、自らは律法に違反して、神を侮っているのか。 24.聖書に書いてあるとおり、「神の御名は、あなたがたのゆえに、異邦人の間で汚されている」。 25.もし、あなたが律法を行うなら、なるほど、割礼は役に立とう。しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまう。 26.だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされるではないか。 27.かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。 28.というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。 29.かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。
3章1.では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。 2.それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。 3.すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。 4.断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。5.しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。 6.断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるだろうか。 7.しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのだろうか。 8.むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。

④結論:すべての人は罪人である(3:9〜 20)

ローマ人への手紙3:9~20
9.すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。 10.次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。11.悟りのある人はいない、神を求める人はいない。12.すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。13.彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、14.彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。15.彼らの足は、血を流すのに速く、16.彼らの道には、破壊と悲惨とがある。17.そして、彼らは平和の道を知らない。18.彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。19.さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。 20.なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。


主イエスは、言われた。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マコ2:17)。


★自分が病人(罪人)であることを認める人は幸いです。
私たちの回りにいるまだ救われていまい人たちが、認罪に導かれるように、祈ろう。


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