ローマ人への手紙2:25 〜 29★2022/10/20掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】ローマ人への手紙2:25 〜 29
25 もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。
26 もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。
27 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。
28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
《参考》
割礼の価値
*儀式としての割礼の有効性
パウロは、ユダヤ人の罪について論じている。
言行不一致について、ユダヤ人の罪を指摘。
「もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです」(25節)。
(1)割礼は祝福の保証ではない。
神の祝福は、割礼後に継続される従順な生活の上に下る。
(2)割礼を受けた者が律法にそむいているなら、無割礼になったのと同じこと。
「もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか」(26〜27 節)。
(1)パウロは、異邦人が律法の規定を守るなら、割礼を受けているのと同じことと論じている。
(2)内的に神に従っている異邦人は、儀式的なユダヤ人をさばくことになる。
*外的ユダヤ人と内的ユダヤ人
「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです」(28 〜 29節a)。
パウロは、ユダヤ人を2つのグループに分けた。
(1)外的ユダヤ人。
からだの割礼は受けているが、律法に従っていないユダヤ人たち。
文字(律法の文字)による割礼は受けているが、心はかたくな。
(2)内的ユダヤ人。
からだの割礼と同時に心の割礼も受けているユダヤ人。
御霊による割礼を心に受けている。
(3)「その誉れは、人からではなく、神から来るものです」(29節b)。
ユダヤ人やユダヤ教という言葉には、「誉れ」という意味がある。
ユダヤ人が受けるべき誉れは、儀式や文字ではなく、神から来る。
異邦人のクリスチャンは、割礼を受けていません。
パウロはガラテヤのクリスチャンたちにこう書いています。
「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラ6:15)。
★このことを私たちの教訓として受け止めよう。
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