ローマ人への手紙4:6 〜 8★2022/11/11掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】ローマ人への手紙4:6 〜 8
6 ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
7 「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
8 主が罪を認めない人は幸いである。」
《参考》
アブラハムと義認(2)
*ダビデの場合
アブラハムの義認を論じている箇所で、パウロは、突然ダビデを話題に上げます。
パウロは、なぜダビデを例に出してきたのか。
(1)「アブラハムは信仰によって義とされた」というパウロの主張に対し、反論が起こってくることを想定し、ダビデの体験を取り上げた。
反論とは、「アブラハムの時代、モーセの律法はまだなかった。もしモーセの律法がすでに存在していたなら、アブラハムは律法を行うことによって義とされていたと考えられないのか」というもの。
(2)パウロは、律法の時代に生きたダビデを取り上げ、「律法とは別の方法」で義とされたことを証明した。
これがダビデを登場させた理由。
(3)さらに、ユダヤ的論法に注目。
当時のラビたちは、律法(トーラー)の教えを論証する時、預言書か諸書から引用し、自らの議論を補強した。
パウロはこのラビ的論法に従い、詩篇32篇を引用(詩篇は「諸書」の中に含まれる)。
*詩篇32:1〜2の引用
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。【主】が、咎とがをお認めにならない人、その霊に欺きのない人は」
(1)この詩篇の背景には、バテ・シェバ事件がある。
ダビデは、この事件で姦淫と殺人の罪を犯した。
詩編51篇は、32篇の続篇でダビデが体験した「悔い改め」と「罪が赦される喜び」が記されている。
(2)パウロは、「【主】が、咎をお認めにならない人」とダビデを表現。
これは律法による義ではなく、信仰による義。
もし律法による義を求めたなら、ダビデは律法に違反したので滅びるしかない。
(3)要約すると、ダビデは「律法の時代」の人だが、信仰によって義とされたと証言している、ということになる。
信仰義認の原則は、旧約聖書の時代からあった。
律法が与えられる前の時代(アブラハムが代表)も、律法が与えられて以降の時代(ダビデが代表)も、人は信仰によって救われるという原則は変わりない。
★私たちもこの原則によって救われた。
救いの条件として、それ以外のものを付け加えるのは、聖書の真理に反する行い。
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