ローマ人への手紙4:9 〜 12★2022/11/12掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】ローマ人への手紙4:9 〜 12
9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた」と言っていますが、
10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
《参考》
アブラハムと義認(3)
*割礼をどう考えるか
割礼に関する説明をする理由は、想定されるパリサイ人からの批判に答えるため。
パリサイ派神学では、割礼は救いの保証している。
考えられるパリサイ人からの批判とは、「アブラハムは割礼を受けたではないか。割礼は、行い(つまり業)なのではないか」というもの。
この批判のパウロの回答。
パウロは、アブラハムが義とされたタイミングに焦点を当てている。
「どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです」(10節)。
(1)アブラハムが信仰によって義とされたのは、創世記15章。
この時アブラハムは、無割礼だった。
(2)アブラハムが割礼を受けるのは、創世記17章になってから。
(3)つまり、割礼と義認とは無関係。
創世記15章と17章の間には、14年歳月があるが、アブラハムは無割礼の状態で義とされていた。
*無割礼の時に義とされた理由
「彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです」(11 〜 12節)。
(1)アブラハムは、無割礼の者の父となるため、無割礼の時に義とされた(無割礼の者とは、異邦人のこと)。
(2)さらに、アブラハムは割礼のある者の父となるために、自らも割礼を受けた(割礼のある者とは、ユダヤ人のこと)。
割礼のあるユダヤ人たちも信仰によって義とされるということ。
(3)割礼は、アブラハム契約の「しるし」(11節)で、アブラハム契約は無条件契約。
人間の努力によって、この契約に何かを付加できるものではない。
(4)「証印」(11節)とは、内面の変化を外面的に表すもの。
割礼のような外面的儀式が、内面を変化させるわけではなく、洗礼という儀式が人を救うわけではない。
★私たちも、信仰によって新生していることを神に感謝しよう。
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