アイドルに抱く「性欲」と「小児性愛」
はじめに、このnoteでは旧ジャニーズ事務所の性加害報道を概ね事実とした前提で扱っており、また「小児性愛」を心に抱いた時点で忌むべきものとして言及しています。そこが受け入れ難い人はこの先を読むのはストレスフルであろうからおすすめしません。
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やはり明らかにジャニーズの性加害報道から、私のアイドルを見る気持ちは変わってしまった。いや、見る目は変わらないが、その視線の裏打ちに気づいてしまったと言うべきか。
かつては、視覚と聴覚から押し寄せる「感動」に身を任せて楽しんでいた。ところが流れ入る情報は変わらないのに、むしろかえって多様な舞台表現を身近で見るようになったのに、その感動を本当にそのまま飲み込んでいいのかと頻繁に考えながら客席に立つようになった。
ジャニーズアイドルに何の思い入れもない私がなぜあれにそれなりのショックを受けたかということを、過去に「自分のしてきたアイドル産業への消費活動が、似たような被害にわずかながら加担していたかもしれない」というふわっとした恐れとして書いたが…今では、もっと生々しい、「知らずに加担していた」なんてものではなく、自分が能動的な加害者側の人間だという危惧を抱くようになった。
私はジャニーズ事務所の功績に、わずかながら敬意を抱いていた。それは自分が大好きな芸能事務所の老舗・SMエンターテインメントのアイドル業が、ジャニーズアイドルのやり方を大いに参考にしていると聞いてからは一層のことであった。私の知るジャニオタの友達はみんな楽しそうだった。自分が好きなことに胸を張っていて、同じジャニオタの仲間を見つけてまた楽しそうな話をしていた。こんなにたくさんの少女達を幸せにしているのだから、立派な産業だと思っていた。
しかし事務所とアイドル業界のおびただしい罪の数々が露わになったことで、平たく言って「汚らしい世界」と嫌悪感を抱くようになり、それと同時に自分を含めたアイドルオタクの「性的欲求」と「小児性愛」について認識せざるを得なくなった。
私ですら孕んでいる、アイドルに対する「性的欲求」と「小児性愛」について、正直向き合うのはしんどいけど、あと結論も出ないけど、触れてみる。
まず「性的欲求」について。
そもそも「性的欲求」は人間の種の存続のために必要なものでそれ自体は悪いものではないはずだ。成熟した人間の魅力には少なからず「性的魅力」も含まれる。しかしアイドルとファンという非対称的で疑似恋愛要素をしばしば含む関係性においてそれらは暴走しやすく危険であると考えている。アイドルは普通の人間関係のようには、過ぎた行為に拒否を示せないのだから。潔癖症というつもりではないけど、私はできることならアイドルに対して「性的欲求」を極力抱かずにいたい。「みだらな心で見た時点で、姦淫しているのと同義」と聖書に記されているので、私がアイドルに性的魅力を感じることをどうがんばっても正当化することはできないと思っている。
先日行った最愛のグループのコンサートで、メンバーが客席の反応を見ながら、「皆さんは派手なダンスよりもセクシーな腰のウェーブを多用するダンスの方が好きみたいですね(大意)」と笑っていた。彼はさも「労力に見合わないなぁ」と言わんばかりの口ぶりだったが、私はそう言葉で指摘されて笑えなかった。恥ずかしくて申し訳ないと思った。どちらのダンスも大好きで、同じように歓声を上げていたつもりだったけど。腰を振るダンスはわざわざ性的魅力を感じさせるように構成されていることは明らかなのに、それを喜ばないことは彼らの表現を正面から受け止めてないようで失礼な気がして、どうすればいいかわからない…。
昨年友人に連れられて行ったそこそこ好きなグループのコンサートでは、その「セクシーなアピール」を俯瞰的に捉えることになった。自分がその対象に熱狂的ではないからこそ、アイドルが肌を露出する(といっても上着を脱ぎタンクトップになるという程度の)行為とそれに狂喜するファンの様子が、少し恐く感じた。自分も同じことをしている・しかねないと容易に想像できて、その日は終演まで気分が落ち込んでいたのを覚えている。
「美しい身体表現」「努力の証」なんて綺麗な言葉を使っていても、とどのつまりは「劣情の扇動」を言い換えたにすぎないのかもしれないと思うと、またそれを隠さないオタクの図々しさに、自分の感性がひどく低俗なもののように思えた。
遠い客席のいちオタクが舞台上のあるいは画面の向こう側のアイドルにどんな感情を抱こうが、誰も知り得ないし、「気にしすぎ」なのかもしれない。でも、自分の中の欲情を自覚しないまたは取るに足らないものとして制御することを放棄すれば、より私は私が嫌いな人間になりそうだ。「小児性愛」について後述のように、いちファンであるというか細い立場は、そんな感情を野放ししてよい免罪符にはなり得ないと思うからだ。
あぁ、気分が重い・・・この話題について文字に起こすことは体力がいるとわかっていたから、精神的にも余裕があるときにしようと思っていた。そうして今文字にしている。別に誰に頼まれたわけではなく、誰のために書いてるわけではないが、私の中に眠っている罪を、これを書き留めずして変わらぬ顔でアイドルオタクを続けるわけにはいかないと思ったから書いている。
「小児性愛」について。
私は自分の中に小児性愛を自覚したことはない。幸い「小児性愛」がおぞましいと思うだけの感性もある。
だけど、成人した男性アイドルを見て「かわいい」と思うことは多くある。それはわざと舌足らずに歌う「愛嬌ソング」の中だったり、失敗したときの照れ笑いにだったり、着ぐるみみたいな衣装を着せられて踊る姿にだったり...少し前に、「成人男性アイドルを『赤ちゃん』と愛でることについて」の個人記事がリツイートされてきたけど、あれを読んだときは自分で言語化できなかった一部が今はわかる。
ここ日本のメディアと大衆が、芸能人ことアイドルに「教養」「思慮深さ」「成熟した大人らしさ」を求めていないことには確証を持っていた。でもそれはもっぱら女性を対象にした話だと思ってたのだ。女子アナですら余計に知恵付いている必要はない、アイドルなんて尚更、アホっぽくしていた方が愛される、そうして大衆に「俺もあいつらよりは賢い」「他人の愛を乞うだけの憐れな弱者である」と優越感を覚えさせる方がよいと。それがひどく歪な利己心であることは即ち理解していたけど、自分はそうはならないとどうして信じていられたのだろう。
「小児性愛」という存在を知ったときに(知らずに一生を終えられるなら終えたかった気もするが)、これは上述のような「弱いものに対する支配・征服欲」と大いに通じていると感じた。
もしかして私たちが男性アイドルに「かわいい」と思う感情が、「白痴で幼げな男性」として、いずれ小児性愛に似た罪を実らせるかもしれない。これが例え当人達が選んだ魅力の表出方法だとしても、私の持つこの感情が、多くの若い男性アイドルとそのタマゴたちを泣かせた支配欲と地続きなのかもしれない。そう思うと身の毛がよだった。
(さらに言うなら、近年、K-popが欧米にも人気を広げていることにもどうしてもその懸念を拭えない。アジア人は彼らには実年齢よりもずっと若く見られやすい。K-popを楽しむたくさんの欧米人の中に、小児性愛が全く含まれないと果たして言い切れるのだろうか。)
少し話は逸れるが、私は初めから女性アイドルにはそこまで夢中になれなかった。かわいい、かっこいいとは思うけど傾倒できなかった理由を、はじめは「男が好きだから」だと思っていた。でも多分それだけではなくて、「か弱い女性が『消費』されている様を見ているのが辛い」せいでもあったと思う。
裏を返せば、男性アイドルは男性ファンからも女性ファンからも『消費』されようが、実害には繋がりにくいと信じていた。だから私がどれだけ好意を募らせようが、仮にサセン(ストーカー)化しようが、いざとなれば力でねじ伏せられるのだから、この気持ちは暴走したとしても実害にはなり得ず、脅威にもならないと安心して、気持ちを募らせられた。
昔から好きだったボーイズラブにも似たような幻想があったと思う。同性愛、ことBLの物語に魅かれる理由は様々あろうが、その中に「現実で感じているジェンダーの理不尽さがなく対等な2人の恋愛として読むことができる」というのがあった。実際は対等な2人の関係なんて作品は多くなかったが、その非対称性を「オラオラな男子とおしとやかな女子」のようにジェンダーに起因させる必要がないことが心地よかった。非現実的だと感じることが大事だったように思う。極端に言えば仮に性愛描写の中で一方がひどく辱められようと、男同士だから「いざとなれば力で逆転することも可能だろうし、気の毒がる必要はない」と気楽に思うこともできた。
だけど年を取って、男性が被害者の性加害も耳にして、次第に男性に対する「圧倒的強者」「搾取される側にはなり得ない」という神話が崩れてしまった。そうして一層自分の罪の重さが恐ろしくなった(本当は相手が強者であろうと弱者であろうと罪は罪なのだけど)。
そうして、男性であっても幼くて未熟な子供を愛でるグロテスクな性欲を、最悪の形で具現化した報道があれだ。
もはや何も知らなかったと言う私も無罪ではいられない。
ここまで自覚していても、私は今日もアイドルのSNSをチェックし、彼らの音楽を聴いて、またライブに行く予定を考えている。
この先自分が健全な感情だけを抱くようになれると自信を持っているわけでも、アイドル業界が自浄作用で清く正しい世界に変わると期待しているわけでもない。今更全てのアイドル趣味を手放すには、あまりに日常生活の多くを占めているだけだ。
一度心に抱いた情欲はなかったことにはならない。せめて一生隠して、相手に一抹の恐怖心も抱かせずに済むように距離を保ちながら陰ながらファンを続けるか、さもなくば二度とファンを名乗らずアイドルとファンの前から姿を消すしかあるまい。そう毎日言い聞かせながら、健全なファンのフリをして生きている。何の解決にもならないのはわかってるけど、アイドルオタクで良いこともあったと少しでも思えるように、韓国語を少しずつ勉強したり、知らない土地に出かけたりしている。本当にささやかだね。何か他にいいことあったかな。
今崇拝しているアイドルが、私の最後のアイドルの推しであってほしいなんて考えている。
いつか私が自分の性的感情をコントロールできるほどに成熟して、アイドルビジネスが不当な搾取なしで輝けるようになったら、その時にまた喜んでアイドルオタクとして帰ってこれる日が来ますように。
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