推し(A.C.E)に会うために初めてアメリカの土を踏んだ話
もうアイドルオタクなんてやめたいと強く思った推しの脱退の後、新しく出会った推しが大きな変化をもたらしてくれた。
要するに「好きなアーティストの海外公演に行った」というだけのことだけど、今思っても私には、清水の舞台から飛び降りるほどの大冒険で嬉しかったから、書き記しておきたい。
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2023年の4月に、例によって私は見知らぬ土地に異動していた。知り合いも誰もおらず初めての業務に対面していた。新しい上司達は皆優しく、業務は忙しいが慣れない北国の気候にもどちらかと言えばワクワクしていた。
私の4番目の推しが2022年秋にグループ脱退して事実上芸能活動を辞めてから、しばらく韓国アイドルを見るのが辛かった。
だけど新生活に忙しくそれなりに楽しさもあると思っていた日常がもしかしたら、新しい推しが必要なほどメンタルを削っていたのかもしれない。
どうしてまたYouTubeでKpopを観ていたのかも覚えていない。また同じパターンだ。曲は聴いたことがあるけどMVを見ると映像美に惚れてしまって、毎日同じMVを繰り返し見ていた。
グループの名前はA.C.E(エイス)。男性5人組。
魅力を語り出せば尽きないが、全員が極めて高い歌とダンスのスキルを兼ね備えていることは彼らを知る人々誰も否定しないと思う。
「A.C.Eが好きだ!」と自覚した時、彼らは5人ともが兵役/社会服務中で、グループの公式SNSもほとんど更新されていなかった。せっかく出会ったのに、もしかしたらこのまま自然消滅して二度と活動しないのかもしれない……と不安と情報の少なさに震えて日々を過ごした。やがて一人ずつ服務を終えて復帰していく様子が、雨上がりに少しずつ日が差していくように心に希望と暖かさをもたらしてくれた。
最も供給が少なかった時に出会ったから、もしかしたらその反動でより彼らの活動が再開されてからは熱っぽく入れ上げるようになったのかもしれない。
韓国アイドルを好きになった2019年、それ以降のオタ活のほとんどをコロナ禍に過ごしていたせいもありコンサートやイベントに行く機会は少なかった。それまでの推しも好きだったはずだけど、韓国のコンサートであってもかなり敷居が高かった。日本に来てくれないと会えないと思っていた。
それがいつの間にか、韓国公演に2度渡航し、いつの間にか初めてのアメリカツアーにも足を伸ばそうとしていた。
A.C.Eは海外特にアメリカの人気が高く、軍白期前にもUSツアーで12都市を回って盛況を収めていた。当時の映像からも熱気が伝わっていたのでいつか私もアメリカの風を受けて踊る5人を見てみたいと思っていた。
アメリカに行ったことはなかった。距離も遠いが韓国以上に日本とは文化がまるで違うから、ハードルが高くて仕事などのっぴきならない理由がなければ行くのはまだずっと先だったと思う。だけど推せるうちに推せの気持ちと、今の自分のオタ活へのエネルギーを後から見ても有意義なものだったと言うためだけに、行くことにした。もちろんアメリカの会場でしか見られない推しの姿を観たいという気持ちはあったけどそれらは今までのオタ活でも当然あった感情で、それだけではまだ見たことのない「ちょっと違う雰囲気のステージ」を観たいという気持ちだけで未踏の国に12時間以上のフライトを予約できるほどの行動力はなかったと思う。
かつて推しが脱退した後からは、いつも私のオタ活には虚しさと憂鬱がうっすら霧のようにただよい、感情を鈍らせる膜を張っていた。新しい推しが輝かしく見えて駆け寄りたくなるたびに、深入りするのはやめておこうねってブレーキもかかる。それが正しくて健全な向き合い方なのかもしれない。いやそもそもアイドル趣味に正解も何もないのかもしれないけど。だけどそれと同時に、「推せるときに推せ」は心の底から強く感じるようになっていたのも確かだ。おかしいね、一度は「今好きな気持ちも、後から『あれは嘘だった』と思わなければいけなくなる」なんて恐れていたのに、かえってまるで生き急ぐように、行ける現場は全て行かなくては、手に入るチャンスは全て挑まなくてはと思うようになった。
いつか来る終わりを意識するようにもなった。何がきっかけで終わるかはわからない、グループの契約終了かもしれない、推しのスキャンダルかもしれない、メンバーの健康問題かもしれない、自分の経済状況や、ある日突然熱が冷めてかもしれない。いずれにしても、自分が多くの時間やお金やエネルギーをかけたものを、いつか終わりの日がきても少しでも「有意義な日々だった」と思えるようにありとあらゆる保険をかけておかねばならないとも思うようになった。「どうせ終わりがあるんだから最初から好きにならない」なんてのは、無理だとわかったのかも。
おそらくそういったアイドルの推しに対する心境の変化(新しく加わった心構え)が、私に「アメリカのコンサートに行く」と「手紙を都度書く」という行動をもたらした。
なけなしの有給休暇と貯金を費やしてアメリカに飛び立った結果はどうかというと、概して成功だった……!
・得たもの:渡米の経験(ESTAの申請方法や入国審査やアメリカのバスの乗り方など、一度経験していれば次回も何に備えておくべきか見通しが立ちやすい)、話好きなアメリカ人への好意的なイメージ、日本の食文化へのより強い愛着、鮮烈な夏の思い出
・失ったもの:お土産のツアーTシャツ1枚(販売員さんの入れ忘れ)、〇ヶ月分の給料
とにかく「命とパスポートが無事で、会場に無事に辿り着く」だけを目標にしていたから、現地で観光はほとんどしていないしいつも通り胃腸の調子を崩しほとんど食事をとらずに帰国した。傍からしたら「なんともったいない」あるいは「効率の悪い」滞在であったかもしれない。心残りだってたくさんあるけど、それでも私は私の大冒険を褒め称えたい。なんせ一人旅で、しかも治安の悪い州ワースト5の都市だったから。
おめでとう!これでわたしは望み通り「推しに会うため」「初めての渡米経験」という目標を果たせた。これにより、いつわたしがA.C.Eを降りても「はじめてアメリカに行くきっかけをくれたグループ」として残るし、USAという国が、私を無事にA.C.Eに引き合わせてくれた土地としてキラキラと記憶に残る。アメリカ人は噂通りに話好きで街中で初対面の人同士(多分)がすれ違いざまにゲラゲラ談笑してバーイと別れていく様子はまさにカルチャーショックだった。また行きたいアメリカ。
もちろん現地で目にしたA.C.Eのステージも最高にかっこよかった。既に見たことのある本国とも日本とも違う会場の雰囲気で、なんとなく、メンバーの気性もより大胆でフレンドリーなアメリカナイズド(?)されていて面白かった。地球の裏側でも愛と声援を受けるA.C.Eを目の当たりにして、とても胸が熱くなった。間違いなく私のオタク人生の中で最も強烈な思い出の一つになった。
経済状況や職場・家庭環境など少しでも違えば叶わないことだったから、「やりたい」と思った冒険が叶ったのは本当に幸運だった。
ただ行ってみて体感したのは、自分が行ってみる前は「羨ましい」としか思わなかった海外ツアーへの参加が、ものすごく金だけでなく時間だけでなく労力と精神力が要るということ。初めての土地でなければもっとマシだとは思うけど、それなりのスケジュールの工面と会場の門をくぐるまでの手続きの多さは、かなりのエネルギーが必要だった。それを知れてよかったと思う。これもまたA.C.E(のためにとった行動)が教えてくれたことだね。
オタ活は他人と比べたらお終いで、誰かに承認してもらおうと思うと、途端に楽しさが消え失せて焦りと憂鬱だけの日々になる。だから自分が自分のオタクとしての行動を肯定できる要素を、一つずつ集めていかなければと思う。もちろん後悔もする、アイドルの悲しい報道もあって、その度にもしかしたら自分のオタ活もこんな風に脆いまやかしとして暴かれてしまう日が来るんじゃないかと恐くなる。アメリカ渡航を今は良い思い出と振り返っているけど、もしかしたらこの先「行かなければよかった」と思うことがあるかもしれない。その日が来たら、この記事を読み返して、悩みながらも大冒険から帰ってきた20代の日々を、少しでも肯定的に懐かしむことができればいいなと思う。
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