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観光なき離島の行く末は

沖縄の基地反対運動ををメディアで見る度にこの島のことを思い出す。
渡鹿野島だ。
沖縄のジレンマの一つに軍事基地自体が沖縄を支える収益源となっておりその依存体制から観光産業に舵をきろうとするも島民のコンセンサスが取れないことにある。

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渡鹿野島も離島として同じ境遇を抱えているかというと必ずしもそうではない。

渡鹿野島は「男たちの桃源郷」といわれタブー視されていた。たとえ表に出たとしても島の名称までは言及されなかった。
しかし、あることを切っ掛けに様相が一変する。それは2016年の伊勢島サミットだ。

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開催場所と目と鼻の先にあるため当然のように行政の指導対象となり、堰を切ったようにマスコミの餌食になり好奇の目にさらされる。

だから「島から泳いで逃げた」のような噂を聞くとブルースリーの燃えよドラゴンで麻薬漬けにされた性接待要員の女性たちを思い浮かべた。

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しかし、現在の島の状況を知ると肩透かしを食う。
建物は老朽化し人の姿もめったにみられないからだ。

とういうものの現在の寂れた様子からは想像が出来ない位、かつては繁栄してドラム缶から札束からあふれ出るような時期もあったようだ。

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全盛時の1970年代後半~1980年代前半には人口200人の島に60~70人の娼婦がいた。
そこまで人を引き寄せたのは離島という地理的条件が深くかかわる。
まず斡旋する置屋からしてみれば女性たちを管理しやすい。また女性側にとっても客の選択肢が限られているから、お茶をひくようなこともなくある程度の稼ぎが保障される。そして客は離島の風光明媚によって非日常的な感覚を味わることになる。それは自分の行為の後ろめたさを隠す働きもしていたのではないか。

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このように見ると客、置屋、娼婦の三方一両得のような感じがする。
しかし娼婦たちの中にはホストや暴力団に騙され人身売買のような形で働くケースも多かったようだ。

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栄枯盛衰は世の習いというべきか、売春産業もやがて斜陽化することになる。
売春産業のシンボルともいえるホテルが事件屋に騙されたことにより、もぬけの殻となったことでを失ったことが凋落要因であったことは否定できない事実である。
しかし時代の流れによる必然的な帰結ではあった。
当局主導の売春浄化運動、そしてデリヘルを代表とする2000年代の風俗の多様化。

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近年確認できる所では、置屋は実質2軒で接待するのは日本人2人、タイ人2人の計4人だという。現在ではもっと少なくなっているのかもしれない。

冒頭で比較した沖縄との違いは、渡鹿野島には観光スポットがないことである。
昔から住んでいる島民たちは島の歴史を否定せずに売春産業の恩恵をうけて共存共栄の関係を築けていたという。
浄化政策を担った行政には、売春産業なき鹿野島にいかなる青写真を描いていたのだろうか。ホテル群の廃墟を見ながらそのように思わざるを得ない。

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参考





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