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ヒクソン対藤田和之
当時、長州がヒクソンと戦う寸前だったいうのは報じられていた。
しかし、長州の「ヒクソン無し」でご破算になってしまったというのだ。
そこで親日サイドが別候補として挙げた選手が二人いる。中西と藤田だ。
ヒクソンは中西に対しては検討するとのことだったが、藤田に対してはあからさまに敬遠したとのことだ。
ヒクソンの最強説に対して、猪木はことあるごとに「自分より弱い奴しかやらない」と評していた。それは交渉の内幕を知っていたこともあるのだろう。
しかし、ヒクソンは良い意味で宮本武蔵的な武道家だった。対戦相手の力量を見抜く力は突出している。
中西も藤田もどちらもアマレスの実績が高く総合格闘技への転向が嘱望されていた。期待値は甲乙つけ難かった。
では実際に総合格闘技にどちらが向いていたかというと文句無しに藤田だったということは、今だから分かることだ。
でもヒクソンは当時から見極めていた。
ミルコ、ヒョードル戦いで見せた藤田の思い切りの良さは十分ヒクソンにも通用していたはずだ。
達人こそ畏れを知るというが、ヒクソンはリングに上がるまでもなく、藤田と対峙した時に自分の身に何が起こりうるか見えていたのだろう。
仮に親日サイドが大金を積んで藤田、ヒクソン戦が実現していたら総合格闘技の歴史も変わっていたのではないだろうか。
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