関電問題と京都での学生時代ー前編

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関電の金品受領問題に関して同和が俎上に挙げられている。
一方では関電側の役員が責任逃れのために同和をスケープゴートにしていると非難し、他方で関電側の言い分を汲んでいる。
まだ情報が十分ではなく事の推移を見守る他ないが、ただ奥歯にものが挟まったような「空気感」が支配しているのは確かだ。そのもどかしさは関東と関西のメディアの取り上げ方の差に現れているように思う。

自分は進学のために京都に移住し、それまでは関東に住んでいたため同和問題に関しては全く無知といってよかった。歴史的なものでありそれが現代的なものであることを認識する機会はほとんど無かった。小林よしのりの差別論も読んでいたが、漫画の力で持ってすら同時代的な問題との実感することは難しかったように思う。

しかし、京都で学生生活を送るにつれて否が応でも意識せざるを得なかった。大学の一般教養に同和問題をテーマにしたものがあった。また、市バスのアナウンスでは次の駅名の前に差別の反対をうたったスロガーンが放送されていた。バスに揺られながら窓の外に目を移すと、地区毎に町並みが一変する。無論商業地と住宅地で異なるがそれ以外でも見えない境界線でもあるかのように取り残されて影を落とした場所は存在したものだ。

あと、車中のように閉鎖された空間では人は社会性や理性を失いがちだ。例えばそれが他人の悪口程度ならよいが、差別的な感情を剥き出しにすることがある。そのような嫌悪感を起こさせる経験を2回した。同じような言い草で、車で移動中に外に目をみやりながら「このあたりの場所は〇〇だ」。耳を疑ったものだが、一人に関しては正直普段からデリカシーのない人間であったから無知な奴だなとしか思わなかったが、もう一人に関しては気持ちのいい青年で好感すら持っていたからだ。2人の共通点は京都で生まれ育ったこと、そこに問題の根の深さを感じた。日本の著名な哲学者が若かりし頃、戦時下にドイツのヒトラーユーゲントと交流した際、彼らほど爽やかな青年は見たことがなかった旨の印象を書き記しているが、そのことを思い出した位だ。

その釈然としない気持ちを誰かに吐露して気分を軽くしたかった。話し相手は、信頼が置け関西圏外から進学時に京都に来た人を選んだ。自分の経験を縷縷述べたところその相手も似たような体験があり、その友達もと胸襟を開いてくれ思うところを語ってくれた。曰く三つ子の魂位百までではないが小さい頃に身近な人の差別的な言辞を耳にして育つと、それから学校等の教育がされても右の耳から左の耳に抜ける状態になるのではないかとう言うことだった。

分からない人には想像しがたい土壌が未だ残り、またそれを背景としたビジネスも自分の狭い見聞の範囲内でもあった。その事に関しては次回の記事に譲りたい。


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